――マルシェから少し離れた、カフェのテラスで。
「クロル……大丈夫かな」
リリアは、不安げな表情で呟きました。
テリー監督に逃げるように連れ出され、そのままクロルとはぐれてしまったのです。
落ち着かない様子のリリアに、向かいに座るテリー監督が言います。
「帰る場所はクレイダーだと決まっているんだから、大丈夫だろう。先に戻っているかもしれないよ」
一度マルシェへ戻り、クロルを探そうともしましたが、有名なジャン・カルロ監督の出現に人がさらに集まり、近付くことすらできず……
人通りに面したこのカフェで昼食を摂りながら、クロルが通り掛かるのを待つことにした、というわけです。
クロルと離れた途端、リリアの心に一気に不安が押し寄せてきました。
知らない人。知らない街。
羽が生えている自分のことを、通りを行き交う人々が「何かの撮影?」と珍しそうに見てきます。
「………………」
好奇の視線に居心地の悪さを感じ、リリアは体を縮こませました。
その様子に気付いたテリー監督は、申し訳なさそうに彼女を見つめ、
「……お昼を食べたら、一度列車に戻ってみようか」
そう、優しく声をかけました。
それに、リリアが「うん」と答えた時、カフェの店員さんが注文した料理を持ってきました。リリアはパンケーキとスープ、テリー監督はスパゲッティです。
リリアは顔を上げ、「ご馳走してくれてありがとう」とお礼を述べます。
テリー監督は「いやいや」と手を振り、
「友人とはぐれさせてしまったお詫びと、この街に来てくれた歓迎の気持ちだ。遠慮しないで、さぁ食べて食べて」
そう言われ、リリアは食べ始めますが……心の中は、やはりクロルのことでいっぱいでした。
駅に着いた時、もう列車がなかったらどうしよう。
置いて行かれたらどうしよう。
鳥の雛が最初に目にしたものを親と思うように、外の世界で最初に親切にしてくれたクロルの存在は、リリアにとってとても大きなものになっていました。
肩を落とし、あまり食の進まないリリアを見て、テリー監督はますます申し訳なく思います。
なにか、なにか話しかけなくては……そう思い、こう切り出してみました。
「なぁ、リリアちゃん。君は、その……なんでクレイダーに乗ってきたんだい? あれに乗っているってことは、新しく住む街を探しているんだろう?」
リリアは、パンケーキを切る手を止め、テリー監督の方を見ます。
そして、簡単に自分の生い立ちと、昨日までの出来事を話しました。
生まれた時から『天使さま』として崇められてきたこと。
それが嫌で、街を飛び出してきたこと。
羽を取って、普通の人間として生きられる街を探していること。
クロルにはとても助けられていること。
彼女の話を聞きながら、テリー監督は徐々に目頭を熱くし……終いには、おいおい泣き出してしまいました。
「えっ。な、なんで泣くの?!」
リリアが困ったように尋ねます。
テリー監督は、サングラスの下のつぶらな瞳を拭いながら、
「だって……まだ十三歳なのに、そんな壮絶な人生を抱えて、たった一人で生きてゆく場所を探しているだなんて……とても強いんだね、リリアちゃんは。感動してしまったよ。『事実は小説より奇なり』って言うけど……本当に、映画よりも奇なり、なんだなぁ」
そう、しみじみ言いました。
リリアは「きなり?」と首を傾げながらも、とりあえずハンカチを差し出します。
テリー監督は「ありがとう」と言ってそれを受け取り、涙を拭い……
それからガタッと立ち上がり、真剣な面持ちで言います。
「リリアちゃん。君のその強さと美しい羽があれば、とても良い映画が作れると思うんだ。観た人を感動させ、勇気を与える、そんな作品がね。そうすれば君も、有名女優の仲間入りだ。みんなが君を認め、賞賛してくれるだろう。どうかな? この街に……住んでみる気はないかい?」
そう聞かれ、リリアは目を見開きました。
それは、考えたこともない生き方でした。
彼女には『女優』というものがよくわかりませんでしたが……この街に住めば、この羽ごと一人の人間として認められるというのです。
彼女の脳裏に、昨日のクロルの言葉が蘇ります。
『その羽も含めて、リリアじゃないか』
……たしかに、そうかもしれない。
けど……
まだ自分は、どうしても今の自分のことが、好きになりきれなくて……
うーん、と俯いて考え込むリリアに、テリー監督はどうしたら彼女に「うん」と言わせられるか考えました。
何か、この街の魅力を伝えられる術はないか……
そう考えながら、周囲をキョロキョロ見回していると、
「待てー! どろぼう猫―!!」
少年が叫びながら、魚を咥えた黒猫を追いかけているのが見えました。
昼下がりのカフェテラス……
美しい羽を持つ少女……
逃げる黒猫と、追う少年……
――その瞬間。
「……これだ!!」
テリー監督の脳裏に、電流が走ったかのようなひらめきが起こりました。
そして、
「カットカァーット! そこの少年と黒猫くん! 今のシーン、やり直し!!」
急にメガホンで叫ばれ、駆けていた少年と黒猫、そして目の前のリリアまでもがビクッと驚き、動きを止めます。
テリー監督はメガホンて手招きをし、少年と黒猫を呼びます。
「ちょっとこっちに来て! それから、さっきの店員さんもいいかな?」
と、先ほど料理を運んでくれたカフェの店員さんをも呼び寄せると、
「リリアちゃんも。今のシーン、リテイクね。こんな感じでやってみて」
テリー監督は、三人と一匹に台詞や動作の指示を出しました。
それを少年と店員さんは慣れた様子で、リリアは目を丸くして、黒猫も魚を咥えたまま何故かおとなしく聞いていました。
――そして。
「よし、いいね? では……シーンワン、テイクツー! よぉーい……ハイ!」
テリー監督が脚本・演出を務めた"日常のリテイク"が、始まりました。