賑やかな話し声が聞こえるリビングの真上は響の部屋だ。
帰宅後、響は一家団欒には仲間入りせずに自室のベッドの上で無気力に寝そべっていた。
脱いだコートはハンガーに掛けず、フローリングの上に無造作に放り投げた。
マスコットキャラクターのエプロンを身に付けた母親の郁海が「お風呂は?」と言いに響の部屋を覗きにきたが、響は「あとで入る」と言って後回しにした。
最初、郁海のエプロンは稔と響からは不評だった。
せめて年齢に見合ったエプロンを身に付けてほしいと稔と響は言ったのだが、胡桃が母の日にプレゼントしてくれたエプロンなのだと郁海は嬉しそうに笑いながら言った。
小学生の少ないお小遣いの中から、胡桃が郁海のためにプレゼントしたのだ。
稔と響は胡桃の母親への愛情を高く評価して、これ以上エプロンについては何も言わないことにした。
静まりかえった響の部屋は無意識に物音に集中してしまう。
先程から、やたらと窓が鳴る。
響は窓に近づくと、ほんの少しだけ開けてみた。
それだけでカーテンは激しく上下に舞い、冷たい雪は温かい居場所を求めるかのように部屋に入れろと響に容赦なく向かってくる。
たったこれだけで響の上半身は濡れてしまい、風も公園にいたときと比べると強くなっていた。
いつの間に、こんなに大雪になっていたのだろうか。
響が急いで窓を閉める。
その直後、停電して暗闇になったがそれも数秒間だけのことで、またすぐに電気が点き明るさが戻る。
階下から胡桃の騒ぐ声が聞こえた。
停電になるとやたらとはしゃぎだす人がいるが、どうやら胡桃もその一人らしい。
今回はまだ許せるが、命にかかわるほどの緊急事態のときは反感を持たれやすいから、そういった態度は控えたほうがいいと、稔、郁海、響は胡桃に注意することだろう。
ふと、響の脳裏に卓登が過った。
今、大きな自然災害が発生した場合、家に一人でいる卓登は大丈夫なのだろうかと響は卓登のことを心配した。
卓登と知り合ってから今まで気にとめたことなど一度たりともなかったのに、どうして今になって卓登の孤独をこんなにも気にかけてしまうのだろうか。
今日、卓登の両親は仕事で家には帰らない。今頃、卓登は自宅で一人でいるのだろう。
本当に?
本当に卓登は今、自宅にいるのだろうか。
響は素早くコートを着ると自室のドアを壊れるほどの勢いで開けた。そして階段を転げ落ちる速さで駆け降りて玄関で靴を雑に履く。
そのあわただしい物音に驚いた稔がリビングから顔を出した。
「響!? どこに行くんだ!?」
「ちょっと公園に忘れ物! すぐ戻る!」
忘れ物なんてない。
あえていうなら卓登を忘れてきた。
何を根拠にそう思うのか。
今も卓登があの公園に一人でいるかもしれないだなんて、なぜ、そんな胸騒ぎがおさまらないのか。
もしも卓登がまだ公園にいたとしたら、響は拒めるものも拒めなくなる。
こうしてわざわざ戻ってくるということは、卓登のベッドに連れて行かれたとしても文句は言えない。
そうなったとしても、響は卓登を、自分自身と同じ体の構造をしている男を受けとめて、受け入れられるのだろうか。
響には男同士の情交が想像できない。
テレビや雑誌、SNSなどで同性愛を見たり聞いたりする機会は度々あったものの、それはあくまで響の私生活の範囲外であり、範囲内まで踏み込まれるとは思ってもいなかった。
遠い存在であり続けるだろうと決めつけていたから、いざ身近にそのような人物が現れたとき響は遠ざかろうとした。
卓登は大切な存在なのに、そんな卓登を一瞬でも否定して避けようとしてしまったことが響は許せないでいた。そんな数時間前の自分を殴り飛ばしたくてしかたない。
そんなふうに反省する反面、卓登に山ほど質問したくもなる。
女がほっとかないほどの眉目秀麗に高身長の持ち主で、何もしなくても、ただ黙っているだけでも女に不自由しなさそうなのに、なぜ男を愛するのか。
男と営みたいだなんて、いったい男の体のどこに興奮するのか。
その相手がなぜ自分なのかと響は考え込む。
二年も音信不通だったのに?
いつ? どこで? 卓登の心に響への恋愛感情が芽生えたのだろうか?
雪の塊が響の頬に当たるたびに、凍傷になりそうなほどに肌が痛む。それはまるで拳で殴りつけられているかのようだ。
必死になって走ったことによりあふれ出てきた汗が、額からこめかみ、顎へと流れ落ちていくなか辿り着いた公園には誰もいなかった。
卓登と響が一緒にいた形跡など荒れ狂う吹雪によりすべて消されていた。
ブランコが揺れている。おそらく強風が揺らしているのだろう。
まぎらわしい。つい先程まで卓登がブランコに座っていたのかと勘違いさせるような幻影など用意していてほしくはない。
響の顔面がこんなにも濡れているのは、雪なのか、汗なのか、もはや判別のしようがなかった。
響がさりげなくコートのポケットの中に手を入れると、忘れていた記憶がよみがえる。
響はネックレスを空高く投げ捨てた。その行方を目で追おうともしなかった。
真弓に捨てられた強がりとか、反発からではない。
今の響に真弓への未練は少しも残っておらず、それなりに値の張ったネックレスではあったが、響にはもう玩具のプラスチックにしか思えなくなっていた。
桜の咲く季節になり、中学生になる胡桃が真新しいセーラー服姿の自分を家族に見せながら、
「可愛い? 可愛い?」
と、しつこく聞いてくるようになった。
響は、稔、郁海と一緒に胡桃の入学祝いをしたが、響がお祝いしたいと思うもう一人の一年生、卓登からは響のスマートフォンになんの連絡もないまま高校の入学式当日を迎えた。
帰宅後、響は一家団欒には仲間入りせずに自室のベッドの上で無気力に寝そべっていた。
脱いだコートはハンガーに掛けず、フローリングの上に無造作に放り投げた。
マスコットキャラクターのエプロンを身に付けた母親の郁海が「お風呂は?」と言いに響の部屋を覗きにきたが、響は「あとで入る」と言って後回しにした。
最初、郁海のエプロンは稔と響からは不評だった。
せめて年齢に見合ったエプロンを身に付けてほしいと稔と響は言ったのだが、胡桃が母の日にプレゼントしてくれたエプロンなのだと郁海は嬉しそうに笑いながら言った。
小学生の少ないお小遣いの中から、胡桃が郁海のためにプレゼントしたのだ。
稔と響は胡桃の母親への愛情を高く評価して、これ以上エプロンについては何も言わないことにした。
静まりかえった響の部屋は無意識に物音に集中してしまう。
先程から、やたらと窓が鳴る。
響は窓に近づくと、ほんの少しだけ開けてみた。
それだけでカーテンは激しく上下に舞い、冷たい雪は温かい居場所を求めるかのように部屋に入れろと響に容赦なく向かってくる。
たったこれだけで響の上半身は濡れてしまい、風も公園にいたときと比べると強くなっていた。
いつの間に、こんなに大雪になっていたのだろうか。
響が急いで窓を閉める。
その直後、停電して暗闇になったがそれも数秒間だけのことで、またすぐに電気が点き明るさが戻る。
階下から胡桃の騒ぐ声が聞こえた。
停電になるとやたらとはしゃぎだす人がいるが、どうやら胡桃もその一人らしい。
今回はまだ許せるが、命にかかわるほどの緊急事態のときは反感を持たれやすいから、そういった態度は控えたほうがいいと、稔、郁海、響は胡桃に注意することだろう。
ふと、響の脳裏に卓登が過った。
今、大きな自然災害が発生した場合、家に一人でいる卓登は大丈夫なのだろうかと響は卓登のことを心配した。
卓登と知り合ってから今まで気にとめたことなど一度たりともなかったのに、どうして今になって卓登の孤独をこんなにも気にかけてしまうのだろうか。
今日、卓登の両親は仕事で家には帰らない。今頃、卓登は自宅で一人でいるのだろう。
本当に?
本当に卓登は今、自宅にいるのだろうか。
響は素早くコートを着ると自室のドアを壊れるほどの勢いで開けた。そして階段を転げ落ちる速さで駆け降りて玄関で靴を雑に履く。
そのあわただしい物音に驚いた稔がリビングから顔を出した。
「響!? どこに行くんだ!?」
「ちょっと公園に忘れ物! すぐ戻る!」
忘れ物なんてない。
あえていうなら卓登を忘れてきた。
何を根拠にそう思うのか。
今も卓登があの公園に一人でいるかもしれないだなんて、なぜ、そんな胸騒ぎがおさまらないのか。
もしも卓登がまだ公園にいたとしたら、響は拒めるものも拒めなくなる。
こうしてわざわざ戻ってくるということは、卓登のベッドに連れて行かれたとしても文句は言えない。
そうなったとしても、響は卓登を、自分自身と同じ体の構造をしている男を受けとめて、受け入れられるのだろうか。
響には男同士の情交が想像できない。
テレビや雑誌、SNSなどで同性愛を見たり聞いたりする機会は度々あったものの、それはあくまで響の私生活の範囲外であり、範囲内まで踏み込まれるとは思ってもいなかった。
遠い存在であり続けるだろうと決めつけていたから、いざ身近にそのような人物が現れたとき響は遠ざかろうとした。
卓登は大切な存在なのに、そんな卓登を一瞬でも否定して避けようとしてしまったことが響は許せないでいた。そんな数時間前の自分を殴り飛ばしたくてしかたない。
そんなふうに反省する反面、卓登に山ほど質問したくもなる。
女がほっとかないほどの眉目秀麗に高身長の持ち主で、何もしなくても、ただ黙っているだけでも女に不自由しなさそうなのに、なぜ男を愛するのか。
男と営みたいだなんて、いったい男の体のどこに興奮するのか。
その相手がなぜ自分なのかと響は考え込む。
二年も音信不通だったのに?
いつ? どこで? 卓登の心に響への恋愛感情が芽生えたのだろうか?
雪の塊が響の頬に当たるたびに、凍傷になりそうなほどに肌が痛む。それはまるで拳で殴りつけられているかのようだ。
必死になって走ったことによりあふれ出てきた汗が、額からこめかみ、顎へと流れ落ちていくなか辿り着いた公園には誰もいなかった。
卓登と響が一緒にいた形跡など荒れ狂う吹雪によりすべて消されていた。
ブランコが揺れている。おそらく強風が揺らしているのだろう。
まぎらわしい。つい先程まで卓登がブランコに座っていたのかと勘違いさせるような幻影など用意していてほしくはない。
響の顔面がこんなにも濡れているのは、雪なのか、汗なのか、もはや判別のしようがなかった。
響がさりげなくコートのポケットの中に手を入れると、忘れていた記憶がよみがえる。
響はネックレスを空高く投げ捨てた。その行方を目で追おうともしなかった。
真弓に捨てられた強がりとか、反発からではない。
今の響に真弓への未練は少しも残っておらず、それなりに値の張ったネックレスではあったが、響にはもう玩具のプラスチックにしか思えなくなっていた。
桜の咲く季節になり、中学生になる胡桃が真新しいセーラー服姿の自分を家族に見せながら、
「可愛い? 可愛い?」
と、しつこく聞いてくるようになった。
響は、稔、郁海と一緒に胡桃の入学祝いをしたが、響がお祝いしたいと思うもう一人の一年生、卓登からは響のスマートフォンになんの連絡もないまま高校の入学式当日を迎えた。