響は物心ついた頃から自分の住むこの町に雪が降る景色を幾度となく見てきた。
 雨とは違い、雪には地面に降る音がしない。粉雪が牡丹雪になっても、無心に無音に白く埋めつくしていく。
 だけど今、響は雪の降る音を初めて聞いたような気がした。
 でもそれは響自身の心臓の音だった。
 響は自分の心音が自然界の嵐なのだと錯覚していた。
 卓登の座っていたブランコが響の視界から消える。気がつかないうちに雪によって隠されていた。
 卓登の響へと向けられていた恋愛感情もそうだった。
 今日まで卓登はその一途な恋情を心の奥底に深く沈めて隠し通してきたのだ。
 響は卓登の気持ちに気がつかなかった。いや、気がつくことすら難しいだろう。
 年下の大人びた後輩は響から見たらあくまで後輩であり、そんな後輩から、まして男から性的な目で見られていただなんて誰が想像できようか。
 響は卓登に拒絶反応を示して体をふるわした。そして、そんな自分自身が最低だとも思える。
 優しくしてもらった相手の告白を聞いた途端に逃げ出そうとするだなんて、あまりにも身勝手だ。
 だから言い訳をする。言い聞かせる。
 これは拒絶ではなく、寒さのせいで体をふるわせているのだと。
 響の目の前に立つ卓登の顔に(きり)(もや)がかかる。
 雪が邪魔しているのか。それとも響の口内から洩れる白い吐息が壁を作っているのだろうか。
「あ……、オレ、そんなに落ちこんでいるように見えたか?」
 今にも凍死してしまいそうなほどに体が硬直してはいたものの、響がなんとか発した言葉は薄っぺらな見栄だった。
「悪いな。つまんない話に付き合わせちゃって。でも、もう大丈夫だから」
 何が大丈夫なのか。
 愛する女に捨てられた可哀想な自分?
 響の脳内にもう真弓はいない。
 年上の女に失恋した痛手よりも、この年下の男から貰い受けた愛の告白のほうが響をはるかに困惑させて、悲痛を与えた。
「オレ、そろそろ帰るけど、卓登も早く帰らないと風邪ひくぞ」
 先程の響は卓登の帰宅時間を心配していたが、今の響はあきらかに厄介者を帰そうとしている。
 卓登は響を逃がすまいと、離すまいと、ブランコに座る響の前にすがりつくようにして(ひざまず)いた。
 今このときだけ、身長の低い響が背の高い卓登を見下ろす体勢となった。
「響先輩。迷惑なら迷惑だと、俺の気持ちに応えられないのなら応えられないと、はっきりそう言ってくれて構いません。そういうはぐらかし方だけはしないでください」
 卓登の穿いているズボンが土と雪で汚れ、膝から染みを広がしながら濡れていく。
 そこは昔、卓登が自転車から転倒したことによって怪我をした、響に手当てをしてもらった膝だ。
 だけど今の響は卓登の膝を心配するどころか、苦しく冷たく避けようとしている。
 それでも卓登は響の態度にめげることなく、さ迷う響の両手を自分自身の両手で閉じ込めるが、卓登からの衝撃的な告白を聞いた響の冷静でいたいと思う強張った心は閉じる気配がまるでない。
 心臓が押し潰されてしまいそうなほどに脈拍数は乱れており、動揺を隠しきれない。
「本気なのか……?」
 冗談だと信じたい。
 確率は低いが冗談であってほしい。
「本気です。ずっと響先輩のことが好きでした。響先輩だけが好きです」
 堂々と構えているつもりではいるが、正直なところ、卓登は恐怖心いっぱいで鼓動は荒波のように激しく泣き叫んでおり、今にも死にそうだった。
 最悪の場合、響は卓登に笑いかけてくれなくなるかもしれないのだ。
 一途に想い続けてきた恋愛感情を声に出して伝えることは容易(たやす)いものではなく、とても勇気のいることで、響の手を握りしめる卓登の両手に力が入る。
 この人肌の手袋に、響はなぜだか赤面した。この温もりに照れるだなんて馬鹿げている。
「響先輩が彼女と別れたのは俺からしてみたら好都合です。このまま響先輩を帰さないで、今すぐ俺のベッドに連れて行きたいです」
 響は卓登に甘えていたことは認めるが、こういった予想外な甘えまでも望んでいたわけではない。
 傷心から脱出するために男と寝るだなんて、響にそんな趣味とそこまでの覚悟はない。
 卓登の入学祝いをしようと言ったばかりの響だが、その台詞を今すぐ取り消したい。
 危険な年下の男の接近を阻止したい。
 そしてまた、疎遠になればいい。