とはいえ、卓登と響は喧嘩をして気まずくなり疎遠状態になっていたわけではない。
 突然の再会に素直に喜べる。
 重く上がらなかった響の腰は軽くなり、ブランコから勢いよく立ち上がった。
「卓登! うわっ! 偶然だな! すっげー久しぶり!」
「はい。俺も驚きました。まさか響先輩とお会いするなんて」
 こういう響の人懐っこいところが、年上ぶって偉そうに威張らないところがそのまま変わっていなくて卓登は安心した。
 だが卓登は変わった。
 落ち着いた口調や物腰、振る舞いといったものは変わっていないが、響は自分と卓登との身長差を無視せずにはいられない。
「つーか、卓登。お前、背が伸びたな!」
「そうですか?」
 卓登は自分自身の頭の上に手を乗せて、そんなに伸びたでしょうか? といった仕草を響の目の前で見せた。
 たしかに言われてみれば、二年前と比較すると響と合わさる目線の位置が少しばかり下になったような気がしないでもない。
「二年でそんなに伸びんのか!? 羨ましいぞ!」
 お互いに会うことのなかった、この二年間。
 響の身長は伸びたのかどうかも怪しいところだ。
 それに比べて卓登の身長は成長期のごとく、ぐんぐん伸びていった。
 二年前は響より数センチほど高かった程度だが、今は十センチ近く、いや、それ以上と思えるほどに身長差ができていた。
「響先輩に俺の身長、少しだけ分けてあげましょうか?」
「嫌味だなあ」
 他愛のない冗談の投げ合いは二年間の空白をなんなく飛び越える。
 卓登との会話が弾むなか、響の険しい表情は消えていくが、けっして忘れたわけではない。そう簡単に心から拭えない。
 響は平静を装い、涙声になりそうな己の弱い心を必死に追い払おうとしていた。
「響先輩。何か温かいものでも飲みませんか?」
「え?」
「俺、近くの自販機で買ってきます」
 予期せぬ卓登との再会ではしゃぎすぎたのか、響の首に巻かれていたマフラーがずれ落ちそうになっていた。
 卓登は響を気遣い、響の首を守るようにして、苦しくならない程度にマフラーを丁寧に巻き直す。
「響先輩。そんなふうに無理をして笑わないでください」
 二年間の空白だ。
 お互いのことを昔からよく知る幼馴染みや親友というわけでもない。
 それなのに、なぜ、こうも簡単に見抜かれてしまうのだろうか。
 心臓が押し潰されそうなほどの悲痛を抱え込み、それを必死に押し隠そうとしているその姿と態度に、なぜ、こんなにも無性に腹が立ってしまうのだろうか。
 卓登の大きな掌が、脆くて壊れやすいガラス細工を扱うかのように響の頬に優しく添わされる。
 響は身動き一つしない。
 動いているのは──、
「こんなに冷えて、いつからここの公園にいたんですか?」
 残酷にも言い当ててくるかさついた唇と、白く蒼い、響と同じく卓登の冷えた指先だ。その指先は響の血流が通常に働いていることを感じとる。
「作り笑い、下手ですね」
「……そう見えるか……?」
「はい」
 見えます。明朗の中に強引に閉じ込めた悲愴が。
 見るなよ。見抜くなよ。マジで泣く。
 響の黒光りな瞳が困惑しながらも(つや)やかに潤む。
 それと同時に卓登の指先が響の目尻をまるで愛撫しているかのように優しく撫でる。
 卓登は自分自身の指が濡れていないことを確認しても、その指は響の素肌から吸盤のように吸いついて離れようとはしない。
 温める振りをして、流れでそうな涙をすくい取る振りをして、卓登は響に一秒でも長く触れていたいと懇願し、それを手放したくないでいる。
 それでも自分自身を偽り、抑制して、離れていかなくてはならないつらさと、悲しみと、歯痒さが、卓登の心の中で嵐のように激しく入り乱れる。
 触れるだけではなく、この両腕で響を力いっぱい抱きしめたいと思う気持ちとは裏腹に、警戒されたくはないからと、卓登は本音を押し殺して響から距離を置いた。
 気温が徐々に低下してゆき、公園に設置された数々の遊具に(しも)が降りかかっても、かじかんだ手に反発するかのように指の感覚だけは麻痺しない。
 自宅に帰るか、もうしばらくブランコに揺られていようかと行ったり来たりしていた響の迷った心。それを卓登が新たに歩道を作って響を自分のほうへと渡らせようとする。
 このまま、貴方を帰せない。
「響先輩。何が飲みたいですか?」
 このまま、お前に甘えたい。
 響は卓登から突発的に用意された道標(みちしるべ)にすがった。
「なんでも……」
 そう、なんでもいい。温かければ。
 響の優柔不断な物言いに、卓登は柔和な笑顔をそのまま崩さずに穏やかに咎める。
「そういう答え方が一番悩むのですが」
「あ、悪い。じゃあ、お茶ならなんでも」
「はい。俺が買って戻ってくるまでそこから逃げないでくださいね」
 響に見えない鎖を繋げてその場所で待つように言い残すと、卓登は急ぎ足で公園を出て行った。
 これ以上冷えていたら、響の体はもしかしたら氷河期へとタイムスリップしていたのだろうか。
 心も体も凍えそうだった響だが、響の鼓動が意味もわからず加速しはじめたことで、響の体は凍結されずに内部から火照りはじめる。
 響の首に巻かれた卓登のマフラー。
 響は鼻から下をマフラーに(うず)めた。
 つい先程までこのマフラーが卓登の首に巻かれていたのだという事実に、響は妙に恥ずかしく感じてしまい、戸惑い、落ち着けないでいた。
 マフラーに覆い隠されて、マフラーに塞がれた響の唇が当たるそこは、卓登が響にマフラーを巻いてあげる前、卓登の唇が当たっていた場所だった。
 間接的な口づけに気がつかぬまま、卓登と響の唇は冷気に当たされてかさついていく。
 それを知ったとき、二人の唇は光沢して腫れあがるのだろうか──。