敦騎は響の返事を待たずに響の隣ではなく向かい側の椅子に座った。
「敦騎、仕事しなくて平気なのか?」
 自分自身も今、仕事を怠けているようなものなのに響は偉そうに敦騎に説教する。
「今日はほとんど客も来なくて暇だし平気だろ」
 敦騎はあっけらかんにそう言うと、響が食べていたワッフルを奪い取って悠長に食べはじめた。
「マスターがものすごい顔してこっちを睨んでいるんだけど……」
 いくら暇とは言え、堂々と仕事を怠けている敦騎の態度はまったく褒められたものではなく、マスターは眉間に皺を刻み怪訝な表情で敦騎に視線を送る。マスターからの無言の威圧感にも敦騎は少しも動じない。
 しかし、ここでマスターが敦騎を叱らないのは普段の敦騎の仕事振りを知っているからだ。
 敦騎は仕事には真面目に取り組む。それに加えて面倒見も良いことから人望も厚いのだ。
「まあまあ。細かいことは気にすんな。そんな堅苦しいことばかり言ってると、いつまでたっても小さいままで身長が伸びないぞ? 大きく成長できないぞ?」
「小さい言うな! それに身長は関係ねーだろ!」
 響は茶化しながら頭を優しく撫でてくる敦騎の手を勢いよく振り払った。
 冗談を交えた会話の途中、不意に敦騎の表情が深刻になる。
「こないだは悪かったな」
 響は敦騎が何について謝っているのかわからなくて、響の脳内では疑問符が並んでおり、敦騎の顔を凝視しながら首をかしげた。
「あの合コン、響からしてみたらまったく乗り気じゃなかったんだろ? 無理に付き合わせちゃって悪かった」
 そんなことを今までずっと気にしていたのかと、瞳を丸くした響がキョトンとした顔になる。
 眉毛を八の字に垂らし、無神経すぎたと反省する敦騎の姿に胸を打たれた響はますます敦騎に好感を持つ。
 親しいだけではなく、響は敦騎に信頼をも寄せている。
「響は今、好きな人とかいないのか?」
 唐突にそんな質問をされてしまい、困惑した響は言葉に詰まった。
「……敦騎はどうなんだよ?」
 だから質問には答えずに、はぐらかすようにして同じ質問を敦騎に問い返す。
「俺はいつもフラれてばかり。全滅だよ」
 曖昧に受け答えて上手く誤魔化そうとする敦騎ではあるが、敦騎が常日頃から年齢や立場問わずに数多くの女たちから求愛されていることは周知のとおりだった。
 実際にあの合コンでも女性陣から一番人気があったのは敦騎であり、敦騎が一番話しかけられていた。
「ちょっとアリサちゃんから気になることを聞いちゃってなあ」
 アリサって誰だっけ? と響は思ったが、敦騎がセッティングしたあの合コンで響にしつこく言い寄ってきた同年代の女であることを思い出した。
 響にとってはどうでもいい存在の女だったので名前すら記憶に残っておらず、敦騎の口から言われる今の今まですっかり忘れていた。
「あの合コンの最中に響を連れ去った男がいただろう?」
 卓登の話題に突入しそうな雰囲気になり、動揺した響の心臓がドキドキと痙攣しはじめる。
 鼓動は不規則になり荒波のように穏やかではないが、響はなんとか平静を保とうと努める。
「あの後すぐにアリサちゃんが響とそいつの後を追いかけて行ったんだけど、割り込む隙もなかったと言って不貞腐れていたぞ」
 響に夢中だったアリサは卓登を見た途端、あっさりと響から卓登に心変わりをした。
 そして卓登と親密になろうとするアリサの存在を(わずら)わしく思った響は二人の仲を徹底的に妨害してアリサを邪魔者扱いした。
 あの嫉妬心丸出しの響の言動を見たアリサは卓登と響の謎めいた秘密の関係に何か違和感を覚えたのだろう。むしろ感づかれたも同然であろう。いつの時代も女の勘というものはよく当たるもので油断ならないものなのだ。
「あの合コンのときに突然やって来たのは、オレの後輩だよ」
 響はドクンと跳躍する心臓と喉の痺れを自力で抑え込みながら真実を一つだけ話し、もう一つの真実は胸の内に押し隠した。
「それだけか?」
 敦騎が前のめりになり、興味深そうに瞳を大きく見開く。
「それだけって……そうだよ。なんで?」
 響は敦騎から瞳を逸らすと、頬杖をつきながらフルーツの盛り合わせをフォークでつつく。
 遊び心を匂わせる敦騎からの問いかけに響は気丈に振る舞い、あくまでも卓登は後輩であることを貫きとおそうとする。
 お客がまばらである店内の穏和な雰囲気とは真逆に響の鼓動は尋常ではないほど騒がしい。
「べつに。ただの俺の好奇心だ」
 敦騎はそれ以上、響にしつこく卓登のことをたずねたりはしなかった。
 根掘り歯掘り訊きだそうとする噂好きの人ほど何食わぬ顔でその人の交友関係を面白そうに詮索しようとしてくるものだったりするが、そんな態度を示してこない敦騎に響は安堵した。

 新たにお客が来店してきて、そのお客は日替わりのセットメニューを注文した。
 そうだ。卓登と自分自身もセットであると響は納得した。
 響一人では存在意義など無いに等しい。
 響の心と体は卓登によって支えられている。
 だから卓登にだったらどんなに束縛されても構わないとさえ響は思う。そして響も卓登のことを束縛したいと望む。
 みっともないほどに卓登に執着しているのは良くも悪くも響も同じであった。
 それでも、こんなみっともなくて卑しい自分を受けとめてほしいと、今すぐ卓登の胸の中に飛び込んで行き、卓登の両腕の中に包まれて熱い抱擁を交わしたいと響は思った。
 あの喧嘩別れしてしまった日、卓登と響の予定は大幅に変更されてしまった。
 それを今すぐにでも響は修復させたいと願っている。いつまでもこの(よど)んだ空気を長引かせたくはない。なんとかして断ち切りたい。
 だから今、響はここで本日の予定を自分だけに見える心の手帳に書き込んだ。それも絶対に消えないように特別に発注した油性ペンで、太く、大きな文字で書き込んだ。
 バイトが終わってからの予定を響は敦騎に自慢気に話したくなった。