雨降りの毎日が続いていることもあり、外出を控えている人たちが多いのか、いつもは満席で埋まる喫茶店も日に日に客足が遠退いてゆく。
 マスターは伸びない売り上げに嘆いているのか重苦しいため息ばかりが増えていく。
 少しは売上金に貢献しろと、響はマスターに無理矢理ワッフルを買わされた。
 これはバイト中、滅多にミスをしない響を心配したマスターなりの気遣いであり、今はそんなに忙しくないからしばらくの間休んでいろという意味でもあった。
 マスターは響のために、苺、パイナップル、シャインマスカットをお皿に乗せただけの簡単なフルーツの盛り合わせまで作ってくれた。
 たまに来店してくるお客に響は上の空で接客していた。
 注文を間違えたり、お釣りを間違えたりと、響らしくないミスを連発してしまい響は申し訳ありませんと何度も頭をさげる。
 これ以上、お店やほかのバイト仲間たちに迷惑をかけられては困るとマスターから厳しい口調で注意されたが、マスターが本気で怒っていないことは響にはわかっていた。
 ほかのバイト仲間たちも響のしたミスを優しくフォローしてくれた。
 響はミスを繰り返す己を不甲斐なく思い、マスターやバイト仲間たちに感謝しながらも隅っこの窓際の席に座り休憩する。
 そこでワッフルを一口食べると、あまりの美味しさに頬がとろけそうになった。
 マスター自慢のワッフルをじっくりと味わうと口の中いっぱいに甘さが広がる。
 ワッフルを少しずつ口内に運びながら、響は先程からなんの代わり映えもしない外の風景をつまらなそうにぼんやりと眺めていた。
 バイトしている響の姿を見たいと言っていた卓登も何度かこのカフェに来店したことがあり、バイトに励む響の凛々しい姿を見ては惚れ惚れとしていた。
 もちろん今日が響のバイトの日であることは卓登も知っているが、いつまで経っても、いつまで待っても卓登が喫茶店に姿を現す気配がない。
 響は自惚れていた。
 卓登は響がいないとダメなんだと。響無しでは日常生活を送るのも困難なのだと。
 だけど本当はその逆で、響がダメなのだ。響が卓登無しでは日常生活に支障をきたしてしまうのだという事実に響は今、初めて気がついたのだ。

 つい、いつもの癖で響は卓登のことを探してしまう。
(卓登が来るわけなんてないのに……。オレはいったい何を期待しているんだか……)
 卓登はいつも響のバイトが終わるまで待っていてくれる。何時間待たされても文句一つ言わずに待っていてくれる。
 そして待ち続けた卓登が待たせ続けた響に発する第一声は決まって「響先輩、お疲れ様です」だった。
 それも満面の笑顔で響のことを出迎えてくれるのだ。
 我慢できないほどに響は卓登からの「響先輩」が聞きたい。今すぐ聞きたくてたまらない。響は今すぐ卓登に会いたくてしかたなかった。
 今、卓登はどこにいるのだろうかと響は考える。響と同じでバイト中だろうか。それとも自宅にいるのだろうか?
 今日はバイトが終わったらこのまま卓登の家に立ち寄ってみようかなと響は思案する。
 でも玄関で門前払いを食らう可能性もあるなと、そんなふうに考えるだけで響の足はすくみ、卓登の家に立ち寄る勇気もしぼんでしまう。
 卓登から追い返されてしまうくらいなら、いっそのこと卓登と少し距離を置いてしばらく会わないでみるのも一つの最善策なのかもしれない。
 だけど卓登との接点を無くしてしまい、このまま自然消滅なんていう最悪な結末になってしまったらどうしようかと、響はそんな悲観的な思考も振り払えないでいる。
 響は焦燥感と悲愴感、そして日に日に膨れあがる自責の念に囚われており、その中でもがき苦しんでいた。
 響は最初、自分が一言謝ればそれで済むことなんだと思っていたが、今回は「ゴメン」の一言で済む問題ではないような気がしてきてしまい、説明しようのない不安感と罪悪感に襲われる。
 やはり、あんな暴言を吐き捨てながらお金を手渡したのは良くなかったなと、あれは卓登を侮辱する最低の行為であったと響は己を戒めずにはいられない。
 あんなひどいことをした本人である響でさえこんなに嫌悪感を持ってしまっているのだから、卓登はそうとう怒っているだろう。許してはくれないだろう。恋人としても先輩としても完全に嫌われたに違いないと響は落ち込まずにはいられない。
 今すぐ卓登に会いたい響ではあるが、会ったら会ったで何を話せばいいのかわからないでいる。
 いや、話したいことは山ほどあるのだが、会話が続くかどうかも怪しいものだ。
 最悪、聞く耳も持たずに無視されてしまいそうだなと、響は何一つ行動に移せない根性無しな己に嫌気が差していた。
 この喫茶店にずっといれば卓登は迎えに来てくれるだろうか。
 そして、あの端整な顔で「響先輩」と最高に癒やされる極上の笑みを浮かべながら朗らかに声をかけてきてくれるだろうか。
 もしもここに今、卓登がいたら、卓登がいてくれていたら、響は卓登に飛びついて、そのままきっと、いや、必ず卓登のことを抱きしめるであろう。

 感傷に浸り、テーブルの上に突っ伏してあれこれ考えを巡らせてみても、尽きることのない悩みの種は次から次へと増えていくばかりで解決の出口には一向に辿り着きそうにはない。
「響、隣に座っても良いか?」
 明るく声をかけられて浮かない顔を上げると、そこには人懐っこい笑顔で敦騎が立っていた。
 チーズと蜂蜜のタルト、カボチャのプリン、レモンティーを持ってきた敦騎はそれらをテーブルの上に置くと、それだけではなくドライフラワーをお洒落に添える。
 こうした主に女性客が喜びそうな可愛らしい演出は、サービス精神旺盛な敦騎が普段から接客の一つとして取り組んでいることで非常に手慣れたものだ。
 沈んだ気持ちでいる響は上機嫌でいる敦騎を見て羨ましくなった。
 今の響の心境も敦騎のように上機嫌になりたいと思っている。