「大丈夫ですか? 顔、真っ青ですよ。どこか怪我しましたか? 立てますか?」
成人男性は卓登とは違い、なかなか起き上がろうとしない響が今しがた発生した事故に相当なショックを受けていると思っているのか心配そうに手を差し伸べてきた。
事実、響はショックを受けていた。
ここで無理矢理、卓登から抱かれるかもしれないと思った響は差し出されたその成人男性の手が神々しく見えてしまい、一刻も早くこの状況から抜け出したくて、今すぐ助けてくれと言わんばかりに成人男性の手を取ろうとする。
「あ、はい……。大丈夫です……」
だがしかし、年下の恋人がそれを許さない。
「響先輩、大丈夫ですか?」
卓登から差し出された手が、響に(当然、俺の手を取ってくれますよね?)と言っているのが響には痛いくらいに伝わってきた。
その手で卓登は響の体を弄び、散々、嬲ろうともした。
卓登が助ける素振りをして無理矢理情交へと突き進もうとするのではないのかと思った響は、卓登の存在を嫌悪して軽蔑もする。
卓登が不愉快に思うことはわかっていた。
この後、卓登が激怒することも響にはわかっていた。
こんな簡単な選択に何も迷う必要なんてない。何も躊躇する必要なんてどこにもないはずなのに……。
それでも響はわざとバカな選択をした。
響は最も愛する年下の男の手ではなく、なんの感情も持たないこの成人男性の手を取ってしまったのだ。
恋人の手ですら逃れようとしていた響が、まさか見知らぬ成人男性の手を取るはずなんてことは絶対にしないと卓登は慢心していた。
響の行動はちょっとしたイタズラ心から生まれたただのフェイントであって、最初は成人男性の手を取ると見せかけて最後には卓登の手を取ってくれるだろうと確信していた。
それなのに……響のとった行動はフェイントでもなく演技でもなかった。
響が選んだのは卓登の手ではなく、偶然乗り合わせただけの成人男性の手だったことに卓登の怒りと悲しみは頂点に達する。
そして卓登はこの偶然すらも疑う。
本当は響とこの成人男性は最初から知り合いで、このバスを密会所にしようとしていたのではないのかと怪しむ始末だ。
「信号無視した自動車が走ってきたみたいですよ。驚きましたが、これくらいで済んで良かったです。怪我人もいないみたいですし」
「そう……ですね……」
落ち着いた口調でかっこ良くこんなことを言っているこの成人男性も、最初は一番に己の身を守ったに違いない。
その台詞を言うのに相応しいの卓登だ。卓登だけだ。卓登だけが言うべき台詞なのだと響は心の中だけで反芻して卓登のことを称賛した。
運転手が乗客全員の安否を確認する。みんな無事だとわかると何事もなかったかのように再び発車する。
現在、卓登と響の手は繋がれておらず離れていた。離れすぎていた。
今の響は三十分間バスを待っていたときの卓登と同じになっていた。ただ真正面だけを一点見つめていた。
動いて見えるはずのバスからの景色がなぜだか止まって見える。
バスの窓硝子が鏡の役目となり、そこに映る卓登と響の姿が斜めに流れ落ちる雨粒によって段々と歪みながら濁っていく。
ほんの一瞬かすった程度だった。けれども心臓が破裂しそうなキスだった。
よくも余計なことをしてくれたなと、卓登は成人男性の顔を鋭く光る刃物のように横目で睨み続けた。
この成人男性が響に手を差し伸べたりさえしなければ、響は自分の手を取ってくれたに違いないのにと、卓登は胸中だけで負け惜しみを連発する。
響の手がとても綺麗で魅力的だから、本当は響に魅了されて響に触りたかっただけなんだろうと、自分自身も魅了された一人だから理解できると卓登は皮肉を込めた同調もする。
でも見物客というのは文字通り『見るだけ専門』なんですよと、響に触った成人男性の手を汚らわしいものとして、卓登は今すぐにでもその成人男性の手を切り落としたくてしかたなかった。そして響の手には消毒を施したいと強く念じていた。
成人男性は卓登とは違い、なかなか起き上がろうとしない響が今しがた発生した事故に相当なショックを受けていると思っているのか心配そうに手を差し伸べてきた。
事実、響はショックを受けていた。
ここで無理矢理、卓登から抱かれるかもしれないと思った響は差し出されたその成人男性の手が神々しく見えてしまい、一刻も早くこの状況から抜け出したくて、今すぐ助けてくれと言わんばかりに成人男性の手を取ろうとする。
「あ、はい……。大丈夫です……」
だがしかし、年下の恋人がそれを許さない。
「響先輩、大丈夫ですか?」
卓登から差し出された手が、響に(当然、俺の手を取ってくれますよね?)と言っているのが響には痛いくらいに伝わってきた。
その手で卓登は響の体を弄び、散々、嬲ろうともした。
卓登が助ける素振りをして無理矢理情交へと突き進もうとするのではないのかと思った響は、卓登の存在を嫌悪して軽蔑もする。
卓登が不愉快に思うことはわかっていた。
この後、卓登が激怒することも響にはわかっていた。
こんな簡単な選択に何も迷う必要なんてない。何も躊躇する必要なんてどこにもないはずなのに……。
それでも響はわざとバカな選択をした。
響は最も愛する年下の男の手ではなく、なんの感情も持たないこの成人男性の手を取ってしまったのだ。
恋人の手ですら逃れようとしていた響が、まさか見知らぬ成人男性の手を取るはずなんてことは絶対にしないと卓登は慢心していた。
響の行動はちょっとしたイタズラ心から生まれたただのフェイントであって、最初は成人男性の手を取ると見せかけて最後には卓登の手を取ってくれるだろうと確信していた。
それなのに……響のとった行動はフェイントでもなく演技でもなかった。
響が選んだのは卓登の手ではなく、偶然乗り合わせただけの成人男性の手だったことに卓登の怒りと悲しみは頂点に達する。
そして卓登はこの偶然すらも疑う。
本当は響とこの成人男性は最初から知り合いで、このバスを密会所にしようとしていたのではないのかと怪しむ始末だ。
「信号無視した自動車が走ってきたみたいですよ。驚きましたが、これくらいで済んで良かったです。怪我人もいないみたいですし」
「そう……ですね……」
落ち着いた口調でかっこ良くこんなことを言っているこの成人男性も、最初は一番に己の身を守ったに違いない。
その台詞を言うのに相応しいの卓登だ。卓登だけだ。卓登だけが言うべき台詞なのだと響は心の中だけで反芻して卓登のことを称賛した。
運転手が乗客全員の安否を確認する。みんな無事だとわかると何事もなかったかのように再び発車する。
現在、卓登と響の手は繋がれておらず離れていた。離れすぎていた。
今の響は三十分間バスを待っていたときの卓登と同じになっていた。ただ真正面だけを一点見つめていた。
動いて見えるはずのバスからの景色がなぜだか止まって見える。
バスの窓硝子が鏡の役目となり、そこに映る卓登と響の姿が斜めに流れ落ちる雨粒によって段々と歪みながら濁っていく。
ほんの一瞬かすった程度だった。けれども心臓が破裂しそうなキスだった。
よくも余計なことをしてくれたなと、卓登は成人男性の顔を鋭く光る刃物のように横目で睨み続けた。
この成人男性が響に手を差し伸べたりさえしなければ、響は自分の手を取ってくれたに違いないのにと、卓登は胸中だけで負け惜しみを連発する。
響の手がとても綺麗で魅力的だから、本当は響に魅了されて響に触りたかっただけなんだろうと、自分自身も魅了された一人だから理解できると卓登は皮肉を込めた同調もする。
でも見物客というのは文字通り『見るだけ専門』なんですよと、響に触った成人男性の手を汚らわしいものとして、卓登は今すぐにでもその成人男性の手を切り落としたくてしかたなかった。そして響の手には消毒を施したいと強く念じていた。