響と卓登が初めて会話をしたのは、卓登が中学に入学して間もない頃だった。
 自転車通学になった卓登にまるでコメディ漫画のワンシーンのようなハプニングが起きた。
 お約束といった典型的な展開にもかかわらず、卓登は文句一つ言わない。
 卓登の不注意でこうなったわけではなく、突然わき道から飛び出してきた同じ学校の男子生徒が乗る自転車をあわてて避けたがために起きた事故だった。
 なんとか正面衝突は回避できたものの、卓登は自転車から転倒してしまった。
 卓登とぶつかりそうになった相手は謝罪も無しに無責任に行ってしまう。
 肘と膝を打った箇所から痛みが広がり、学ランを脱がずに素肌を確認しなくても血が滲んできているであろう事実を悟れた。
「大丈夫か?」
 自転車に乗って卓登を心配する男。
 いや、女? 
 卓登と同じように学ランを着用しているのだから男だ。
 学ランの金ボタンが同じデザインだ。おそらく学校も同じだろう。
「怪我をしたのか? どれ見せて」
 自転車を降りて、少々乱暴な手つきで卓登の傷を独自の方法で診断する。
「あぁー……、これは水でちゃんと洗って消毒したほうがいいかもな。バイ菌とか入ったら大変だし。オレ、絆創膏っていう用意周到な物を持ってないんだけど、学校まで我慢できるか?」
「あ、はい」
「保健室まで一緒についていってあげるからさ。立てるか?」
「はい。大丈夫です」
 粗野ではあるが、卓登にかけられる一つ一つの言葉全部が優しい。
 優しいから卓登の自転車も持ち上げてくれる。それと同時に卓登本人も立ち上がる。
 並んで立ち、優しい男は自分よりも身長が若干高い怪我人の学年を興味津々とばかりにたずねてみた。
「君、何年生?」
「一年です」
 謙虚な口調と態度から年下だとは思っていたが、どう見ても年下には見えない。
 老け顔とか、そういった(たぐい)の意味ではなく、中学一年生にしてはしっかりとして大人びている印象を受けた。
 つい最近まで小学生だったとは信じがたい。
「オレは三年」
「えっ!? 嘘!?」
「その反応はどういう意味なのかなあ?」
「あ、いえ……」
 卓登は口ごもり、その先の言葉を探すが見つからない。
 なんとなく気まずい雰囲気になり、卓登は視線を斜め下に落とした。
 思わず本音をそのまま声にしてしまった失礼な後輩に、先輩は怒るどころか笑いながら卓登のお腹を軽く小突き、ふざけた調子で卓登をおちょくる。
 卓登にはこの先輩がどう見ても年下、よくて同い年にしか見えなかった。
 自分と同じ学ランを着用している時点で中学生ということはわかったが、まさか年上、しかも一つではなく二つ年上だったことに卓登は驚いた。
 小柄で童顔、一見すると女っぽい可愛らしい容姿とは真逆に口調や態度はそのまま性別を表す男なものだから可笑しかった。
 大怪我というほどでもなく、卓登は再び自転車に乗って学校を目指す。
 膝の痛みから、どうしても自転車をこぐ速度は落ちてしまうが……。
 卓登の隣で自転車をこぐ可愛い男前な先輩は、卓登のこぐ自転車のペースに合わせてくれている。
「あの……すみません……。俺のせいで迷惑をかけてしまって……」
「良いって! 気にすんな!」
 歯並びの良い真っ白な歯を主張するかのように元気いっぱいに笑う。
 外されている学ランの第一ボタンの部分から見え隠れする白いスクールシャツがとてもよく似合う。
 それが響だった。

 それから響と卓登は学校から帰る方向が一緒ということもあり、学年は違えど自転車置き場は全校生徒共有だったため、自転車置き場で待ち合わせをして一緒に下校する日々が続いた。
 卓登と響の性格の相性はどちらかといえば合わない印象がしたが、言葉を交わせば次から次へと話題が尽きず、不思議と会話が途切れることはなかった。
 でもそれは下校のときだけで登校は一緒ではない。
 響にも響なりの付き合いがあるということは卓登にもわかっている。
 卓登だけに構うわけにはいかない。
 卓登の知らない、卓登以外の友人との付き合いも大切にしたいだろうし、もちろん恋愛もしたいだろう。
 それでも積もり積もる願いは、止まらぬ想いは卓登を欲張りにさせて、朝、響の登校時刻に合わせてそれを狙い自転車をこぐ。
「おはようございます」と挨拶をすれば、朗らかな笑顔で「おはよう」が返ってくる。
 いつもいつも、どんな状況でも迷惑そうな顔一つせずに、卓登のことを快く迎えてくれて優しい態度で接してくれる。
 そんな作戦登校を継続させた結果、響と卓登は下校だけではなく登校も一緒にするようになった。
 お人好しな先輩は、後輩とよく会うこんな偶然が重なることがあるんだなと、卓登のことを少しも疑う様子はなく最後まで素直に信じきっていた。
 だけど、それも一年だけの期間であり、響が中学卒業して同じ学校という共通点がなくなってからは疎遠状態だ。
 先輩後輩といった上下関係は深い絆のようなもので、案外簡単に切れたりもする。