「あれ? 響じゃん」
 聞き覚えのある声で名前を呼ばれて響が卓登と繋がれた手を咄嗟に離そうとしたら、独占欲を織り混ぜた卓登の手によって封じ込められた。
「……あ、惺嗣。梢と埜亜も一緒にどうしたんだ?」
 親しい友人たちと出くわした嬉しい偶然だというのに、響の表情は強張っている。
 それは、この最も愛する眉目秀麗な後輩をどうやって説得させようかと、どうやってこの状況を上手く切り抜ければ良いのかと思考をめぐらせているからだ。
「響のほうこそ何してんの? 今日はバイト休みなんだろ?」
 いつもそうであるように、惺嗣は無邪気に笑いながら響に近寄り元気いっぱいに話しかけてくる。
 惺嗣と卓登の間に挟まれて緊張した響の表情はますます引きつり鼓動が早鐘を打つ。
 響の首筋から背中を嫌な汗が流れてスクールシャツをじっとりと濡らしてゆく。
「ああ……えっと……、今日は卓登と約束をしていて……」
 梢と埜亜の三人でボーリングをして遊んだ帰りなのだと楽し気に告げてくる惺嗣に対して響の歯切れは悪く、思い浮かんだ言葉を適当に言い連ねているだけだ。
 そしてさりげなく卓登から手を離し、卓登と適度に距離を置いた。
 卓登は表面上は響が信頼する友達三人に好印象を与えるべく礼儀正しく会釈をするが、離れていった響の手を恨めしそうに鋭く睨みつけている。
「ああ! たまに響と一緒に昼飯食ってるイケメンくんかあ」
 惺嗣は卓登に詰め寄ると、卓登を食い入るように観察する。
「──ったく、梢といい卓登くんといい、本当に不公平な世の中だよなあ。おれもこんなイケメンに生まれたかったよ! そしたらたくさんの女からモテまくるのになあ」
「惺嗣の場合、外見よりも中身を変えなくちゃ無理だよ」
 不平をこぼす惺嗣に埜亜が説教じみた口調で冗談半分に言うと、惺嗣は埜亜の頬を痛くない程度につねり、それだけではなく頭も軽く小突いた。
 短所だけではなく、埜亜が満面の笑顔で惺嗣の長所も付け足す。
「だってさ、ボク、惺嗣の外見はそんなに悪くないと思うもん。むしろかっこ良い部類に入ると思うよ。だからあとは性格に問題があるんじゃないのかなあ」
「えっ!? マジで⁉ おれ、見た目は悪くねーの?」
 単純な惺嗣は嬉しさのあまり埜亜から言われた嫌味など一瞬で忘れてしまったのか、そのままの勢いで埜亜に飛びついた。
「そうだね。僕も惺嗣はイケメンだと思うよ」
 梢も落ち着いた口調でお世辞ではなく埜亜の意見に賛同する。
 惺嗣の容姿についてみんなが盛り上がるなか、卓登だけは誰にも打ち明けられない慟哭と格闘しながらも、どんどん濁りきっていく薄汚い本性を見透かされないように必死に取りつくろっていた。
 でもそれは無駄な努力だよと、卓登は心の内だけで嘲笑する。
 なぜならば、卓登は響へのあふれんばかりの無償の恋愛感情には嘘をつけないからだ。
 卓登は自分のすぐ隣で友人たちと楽しそうに談笑している響の様子を、ただ静かに無表情に傍観していた。
 そしてバスだけではなく、誰からも邪魔されない響との幸福な時間の訪れを一人虚しく待ち続けていた。

 短いようで、とてつもなく長く感じた三十分間だった。
 惺嗣、埜亜、梢の三人に手を振り笑顔で別れたそのほんの数分後にバスは来た。
 先程は時間どおりに発車したバスを腹立たしく思った響ではあるが、今度は時間どおりに来てくれたことに深く感謝した。
「卓登、バス来たな」
 卓登からの返事はなく無反応だ。
 黙っている卓登に、やはり手を離したことを怒っているのだろうかと響が自己嫌悪に陥りはじめた次の瞬間、卓登の手が響の手を素早く掴んだ。
「卓登⁉」
 バスが卓登と響の二人に近づいてくる。
 だけど近づけば近づいてくるほど響の手を握る卓登の手の力は弱まるどころか強さを増すばかりだ。
 本当にこのまま響の骨を粉々に砕いてしまいそうなほどのすさまじい力だ。
 卓登は強欲で色欲な悪魔に取り憑かれてしまい、その悪魔と意気投合してしまった。
「さっき響先輩はバスが来るまでの三十分間は俺と手を繋いでくれると言ったのに、最初の十五分は俺と手を繋いでくれましたけど、残りの十五分は俺から手を離しました。だからこのまま俺と手を繋いだままの状態で一緒にバスに乗ってもらいます。十五分間の穴埋めをしてください」
「卓登、それはダメだ!」
「どうしてですか? 手を繋いでいるだけなんですよ? 普通にしていれば変に思われません」
「でもっ……ッ!」
 卓登も最初はバスが来るまでの三十分間だけでも響と手を繋げるのであれば、それで満足だった。幸せだった。
 それなのに最初に裏切ったのは響のほうではないかと、卓登は自信満々な顔と責めるような口調でさらに響の精神を追いつめ束縛していく。
 冷酷非道で邪悪な魔物を心の奥底に住まわせた今の卓登に怖いものは無しだ。
「響先輩は俺とイチャつきたいんでしょう? だったら思う存分、好きなだけイチャつきましょうよ」
 たしかに響はそう言った。
 それは認める。
 認めるが……、だけどそれは……それは──。
「俺はイチャつく相手が響先輩ならば、いつでもどこでも大歓迎です。周囲の人たちの目線なんてまったく気になりません。そんなものは俺からしてみたらどうでもいいことです」
 こんな公衆の面前でという意味ではなく、卓登と二人っきりのとき限定なのだという意味であるのだと響が主張しようとしたところで、バスが卓登と響の目の前に停車して扉が開く。
 響にはその扉が罪人をおびき寄せる地獄の入口のような気がしてならない。
 卓登はというと、堂々とした立ち振る舞いで口角を不敵に歪ませている。