月末の週末、響は敦騎がセッティングした合コンに参加していた。
 ただの人数合わせなだけに誘われたわけではない。
 響に恋愛感情を持つ、響と同い年の女子友達から頼まれたが故に敦騎は響を合コンに誘ったのだ。
 面倒見の良い敦騎はその女子友達からのお願いを快く引き受けた。
 この女子は敦騎と響がアルバイトしているカフェの常連客でもあり、次第に響へと惹かれはじめてゆき、最近では響と話したいがためにカフェに通っているようなものだ。
 敦騎は響が真弓と別れたことは知っているが、卓登という年下の恋人と付き合いはじめたことまでは知らない。
 これは、そろそろ新しい恋愛に目を向けてみてはどうだろうか? といった敦騎なりの親切心でもあった。
 これを余計なお世話だなと思われないところは、敦騎の人柄の良さによるものなのかもしれない。
 最初、響はこの合コンにまったく乗り気ではなかった。
 それなのに、敦騎からの誘いを断らずにこうして合コンに参加しているのは卓登への当て付けでもあったのだ。

 あの学食で一緒にお昼を食べた後に、卓登から「泊まりに来ませんか?」と誘われた日、響は若干緊張した面持ちで卓登と一緒に卓登の住むタワーマンションへと向かった。
 そして卓登の部屋に入るなり、響のほうから卓登に抱きついた。
 少しでも時間を無駄にはしたくないと思っている響は、一分、一秒も待てないほどに、一刻も早く卓登と一つに繋がりたかった。
 その最大限の勇気を振り絞った響からの意思表示はもちろん卓登にも伝わっていたが、卓登は自分自身の体を囲む響の両腕をやんわりと払い除けた。
「すみません……。今日はちょっと……」
 卓登は邑夢がイジメられていることが気になってしかたなかった。
 そこに恋心といった特別な感情はいっさい含まれてはいないが、邑夢の学校生活を心配するあまり、卓登はこんな遣り切れない、どこかスッキリしない気持ちの状態のまま響と体を重ねながら睦み合う、恋情に陶酔した甘く至福な気分には到底なれないでいたのだ。
 卓登の心境と事情を何も知らない響は、卓登が泊まりに誘った意図を一人で勘違いしてしまったと、卓登から拒絶されてしまったのだと解釈してしまい、急に恥ずかしくなり咄嗟に卓登から離れた。
 てっきり、そういう意味での誘いではなかったのかと、自分は自意識過剰になっていただけなのかと響は居たたまれなくなってしまう。
 若干、気まずい雰囲気が漂いはじめたちょうどその時、卓登のスマートフォンが鳴った。
 卓登はスマートフォンの画面を確認すると、迷う素振りを見せずに即座に電話に出た。
 電話の相手は嶺邇で、卓登の口から邑夢の名前が何度も放たれる。
 それを卓登の隣で聞いている響は眉間に皺を刻み、唇をヘの字に曲げて仏頂面をしている。
「響先輩すみません……。俺、今からちょっとだけ出かけてきます。すぐに戻りますから」
 嶺邇との通話を終わらせると、卓登は申し訳なさそうな顔で響に言った。
「べつに無理して戻ってこなくてもいいよ」
 帰り支度を始める響に卓登は冷静な口調で声をかける。
「何をそんなに怒っているんですか?」
「べつに怒ってなんかねーよ」
「怒っているじゃないですか」
 響の投げやりな物言いに、つい卓登も刺々しい口調になってしまう。
 あきらかに不機嫌になっている響はその感情を隠そうともせずに、体を反転させると足早に玄関へと向かい靴を履いた。
「オレ帰る。オレじゃなくてほかの人を卓登の部屋に連れ込めばいいじゃん」
「俺は何もそんなことまで言ってないじゃないですか」
 感情的になるまいと、落ち着いて話さなくてはならないと頭ではわかっていても、これ以上言葉を続けてしまったら、卓登も響もけっして望んでなどいない口論になるであろうことは安易に予測できてしまえる。
 勢いよく扉を開けてマンションを飛び出した響の後を卓登は追いかけてきてはくれなかった。

 あの一件から、卓登と響は一度も連絡を取り合ってはいない。
 一緒に登下校もしなければ、学校で一緒にお昼も食べない。
 卓登と一緒ではない帰り道は非常に寂しくて、悲しくて……。
 どんなに温かくて美味しい料理を舌の上で味わっても、響の心はどんどん冷えていくばかりで料理の美味しさも半減だった。
「ねえ、笹沼くん。このあと二人だけで抜け出してどこか行かない?」
 己の好感度を上げようとして、ずっと響の隣で話し続けていた響に好意を寄せる同年代の女が響にそっと耳打ちしてきた。
 どこか期待を含ませた、子猫のような丸い瞳をトロンと潤ませながら響を誘惑してくる可憐に恥じらう姿を見ても、今の響には卓登の仕草にしか魅了されなくなってきており、この同年代の女が少しも可愛いとは思えない。
 だがしかし、響と親密になりたいがための作戦の一つでやっている鬱陶しい行動だとわかってはいても、そんなに悪い気分がしないのも否定できないでいる。
 こうやって男は女の計算高い演技に騙されてしまうんだなと、男はある意味、馬鹿で単純な生き物だなと響は嘲笑せずにはいられない。
 この後、響と響の隣に座る同年代の女がこの場所から抜け出して、ただ軽くお茶をするだけで終わるはずがない。
 どんな状況になるのかなんて、響にはわかりたくなくてもわかってしまう。
 響の最も愛する人は誰もが認める眉目秀麗な男だが、響は女特有の柔らかい体への興味を完全になくしたわけではない。
 響は理性を働かせて踏み止まるべきなのか、それとも、この場の空気の流れに身を任せて突き進むべきなのかと脳内で質疑応答を反芻(はんすう)したが、すでにもう響の意思は傾きはじめていた。
 後々、面倒なことになったらその時に考えれば良い。
 響が同年代の女に承諾の返事をしようと決めたのと、卓登があわてた様子で店内に飛び込んできたのはほぼ同時だった。
「卓登!?」
 卓登は驚いている響の腕をお構いなしに掴むと、その場所から強引に響を連れ出した。
 店内に残された敦騎とほかの合コンのメンバーは何が起きたのかわからずに、ただ呆然と戸惑うばかりだった。

 街中で賑わう人混みの中を縫うようにして上手くすり抜けながら、卓登はただ前方だけを見て進んで行く。
 車のヘッドライトが卓登と響の横顔を照らしだす。
 背後から響が何度も卓登の名前を呼んでいるが、卓登からは歩みを止める気配がまったく感じ取れない。
 大通りから外れた歩道の所で卓登はようやく足を止めた。道端の片隅に生えている草花がかすかに揺れ動く。
「響先輩は俺と別れたつもりなんですか?」
 響を厳しい口調で問いつめてくる卓登の声はふるえている。
 卓登は響とは向かい合わずに背中を向けているため、響には卓登が今どんな表情でいるのかわからない。
「だから、合コンに参加して新しい彼女でも作りたいなと思ったんですか?」
 響の手首を掴んでいる卓登の手の力が強まる。そしてここでやっと卓登が振り返り、響と直接目を合わせた。
 その卓登の綺麗な黒光りの瞳からは、卓登が怒っているのか悲しんでいるのかさえも響には見抜けない。
 現状、卓登と響は穏やかとは程遠い険悪な間柄といっても過言ではなく、お互いに腹の探りあいをしながら双方の出方をうかがっている。

「笹沼くんのお友達?」
 合コンから抜け出して響を追いかけてきた女は響への興味をすっかりなくしてしまったのか、卓登の端整な顔ばかりをうっとりと見つめている。
 今すぐ卓登のことを紹介してほしいと言わんばかりに、女は卓登のことを響にしつこく訊いてくる。
 響は女からの質問責めを全部無視して、卓登の腕に自分自身の腕を巻きつけた。
卓登(こいつ)はオレのだからダメだ。誰にもやらねーよ」
 自信たっぷりにそう言うと、今度は響が卓登の手首を掴み、卓登を強引に連れ去ってしまった。
 女を置き去りにして、卓登と響の姿は雑踏の中にまぎれてそのまま消えていった。