下校時刻になり、卓登が胸を踊らせながら響と待ち合わせをしている校門前に向かおうとしている途中、嶺邇が邑夢の制服を持って被服室から出てきた。
 邑夢の独創的に改造された制服は一目でわかる。
 そして、その自己流にアレンジされた邑夢の自慢の制服が無惨なほどにハサミでズタズタに切り刻まれており、それだけではなく、ボンドで汚されて水でビショビショに濡らされていた。
「篠塚さん」
 卓登から呼び止められて、嶺邇は決まりが悪そうな顔をした。
「あ……たっくん……」
 嶺邇は歪んだ表情でなんとか誤魔化そうとするが、この場を上手く切り抜けられるような台詞が何も思い浮かばない。
「それ、芹澤さんの制服だよね?」
 卓登からの質問に嶺邇は肯定も否定もせずに、ただ表情を曇らせて黙っている。
 そんな嶺邇の様子を見た卓登の脳裏に、想像したくないような、何かとてつもない憎悪的な予感が渦巻く。
「本当は、邑夢から口止めされていたんだけど……」
 嶺邇は周囲を気にしながら小声で話しはじめた。
「邑夢、学校でずっとイジメられているみたいなの」
 嶺邇はそのイジメの原因が卓登であることは伏せた。
 それを言ってしまったら卓登は何一つも悪いことしていないのに、卓登は自分のことをひたすら責め続けるだろうなと嶺邇は悲痛に思っていた。
 卓登は恋愛に関しては盲目的なまでに響のことしか見えていない。
 そのため卓登は学校でもバイト先でも、卓登に恋愛感情を示す女子たちの心の動きには疎くなっており、まったくと言っていいほどに気がつかないでいた。
 基本、一匹狼みたいにしている卓登が邑夢とだけ親密なかんじによく一緒にいれば、複数の女子たちから面白くないと反感を買われるのにそんなに時間はかからない。
 クラスメイトの女子たちからどんなに陰湿な嫌がらせを受けても、邑夢はそれを嶺邇と卓登に相談することもなく、けっして弱音を吐いたりもせずに一人でずっと堪えていたのだ。
 嶺邇は邑夢がそんなつらい状況のなか、誰にも悟られまいとして無理に明るく振る舞っていることなど何も知らずに、自分は呑気に学校に通いながらバイトしていたことが恨めしく思えてしかたない。
 嶺邇は邑夢の親友失格だと自己嫌悪に陥り、血が滲み出るほどに唇を噛み締める。
 嶺邇は最初、邑夢からイジメられていることを秘密にしてほしいと言われてそれを守ろうと思ったが、これ以上、邑夢の悲惨な姿を見たくはなくて、これ以上、邑夢に傷ついてほしくはなくて、卓登に邑夢を助けてほしいと頼み込んでしまった。
 邑夢は被服室の窓際に座り、自分自身の膝の上に大きなウサギとテディベアのぬいぐるみを乗せて抱きしめていた。
「邑夢、着替えを持ってきたよ」
 嶺邇が被服室に戻ってくると、邑夢は憂鬱な気分を追い払うかのように涙ぐんでいた目をこすり、体をゆっくりと反転させて嶺邇と笑顔で向かい合った。
 嶺邇が邑夢にジャージを手渡そうとすると、卓登も嶺邇と一緒に被服室に入ってきたものだから邑夢は驚いている。
 卓登はすぐさま邑夢に近寄った。
「いつから?」
 なるべく感情的になるまいと注意しながら、卓登は落ち着いた口調で問いかける。
 邑夢は何も答えずに無言のままうつむいているだけだ。
「いつから、こんなことをされているの?」
 卓登は学校では邑夢と一緒にいる時間が多いにもかかわらず、イジメに気がついてあげられなかったことにひどく心痛している。
 邑夢が頻繁に学校を休むのはイジメが原因なのだとしたら、卓登は邑夢をイジメている人たちのことが許せない。
「レニーから聞いたの?」
 邑夢から(誰にも言わないで! ってあれほど言ったのに!)という怒りの視線を向けられて、居たたまれなくなった嶺邇は邑夢から顔を背けた。
「篠塚さんを責めないであげて。篠塚さんはずっと黙っているつもりでいたけど、俺が無理矢理、篠塚さんから聞きだしたんだ」
 卓登は邑夢と嶺邇の友情が壊れてほしくなくて、咄嗟に嶺邇を庇った。
 邑夢は嶺邇からジャージを受け取ると、卓登からの質問には答えずに純真無垢な少女を演じた。
「たっくん、ゴメンネ。ワタシ、今から着替えるから、ちょっとここから出て行ってくれるかな?」
 邑夢から誤魔化すように言われてしまい、卓登は釈然としない。
 卓登と初対面のときの邑夢は卓登に下着姿を見られても平気な顔をしていたのに、今は恥じらいを利用して卓登をこの場所から遠ざけようとしている。
 卓登はどこにぶつければいいのかわからない悲憤を連れ添いながら、被服室に邑夢と嶺邇だけを残して退室した。
「今日はあたしがずっと邑夢の傍にいるから大丈夫だよ。たっくん、色々とごめんね。ありがとね」
 卓登が被服室の外で邑夢が出てくるのを待っていたら、出てきたのは嶺邇だけであり、邑夢は卓登の前に姿を現さなかった。
 卓登は根気強く邑夢からイジメの真相を聞き出そうとしたが、今の邑夢は少しばかり頑固になっていて簡単に口を開く様子がまるでない。
 ここでいくら卓登が粘ったとしても、おそらくはひと筋縄ではいかないであろう。
 卓登は渋々ながらも、ここは一旦、引き下がることにした。
 卓登が被服室から立ち去ろうとすると、勢いよくドアを開けた邑夢が卓登の前に顔だけを出した。
「たっくん、まったねえ~」
 無邪気に笑いながら卓登に手を振る邑夢の元気な姿に、卓登はますます遣り切れない気持ちになった。