卓登が邑夢と一緒にバイトを始めてから一カ月ほどが経過した。
バイトをしているときの卓登は非常に生き生きとしていた。
卓登の長年の恋が実り、響と相思相愛になれたという卓登からしてみたら夢のようなことが実現したのだ。
そんな卓登の心境が無意識のうちに態度として表れてしまい、逆に無愛想でいることのほうが無理であろう。
卓登は意欲的にどんどん仕事を覚えていった。
見ず知らずの人に愛想笑いを浮かべるだなんて、どちらかといえば卓登は苦手なほうではあるのだが、これが仕事だと思えば割り切れた。
卓登のバイト先は規定された制服がなく、それぞれ自分が着衣したいと思う洋服を各自に用意して接客するとのことだった。
全国各地に店舗がある、アパレル業界ではちょっとした有名店で時給もそんなに悪くはなく、むしろ平均的に見て高いほうだ。
支店長の池村麻栄璃は高身長に加えて容顔美麗の持ち主である卓登を見た瞬間、興奮して大喜びした。
麻栄璃は三十代前半にはとても見えない、二十歳前後の大学生くらいに見えるほど若々しく綺麗な女性だ。
アパレル系の店長というだけあり、麻栄璃はとてもお洒落でメイクも上手だ。
よく手入れのされた麻栄璃の爪はネイルでキラキラと光っており、両耳に一つずつ付けている派手で大きなピアスも毎日変わる。
麻栄璃はフワフワにパーマされた茶髪をポニーテールでゆるく結っており、両サイドから少し髪をたらしている。
卓登と邑夢がアルバイトしているお店は男性の従業員が一人もいない。というよりも、こんなメルヘンチックな外装をしているお店で働きたいと思う男はまずいないのかもしれない。
前々から男の店員が欲しいなと思っていた麻栄璃は、卓登をお店の看板のような存在にしたいなと意気込んだ。
麻栄璃からタキシードを無償で支給された卓登は執事みたいな格好をして働くことになった。
元々、女性客の多いアパレル系統のお店ではあったが、卓登が働きはじめてからというもの噂が広まったのか、ますます女性客の来店が増えていった。
これに麻栄璃はご満悦になり、卓登を連れてきてくれた邑夢に大感謝した。
学校での卓登はというと、親しい友達は邑夢くらいであり、邑夢以外で特定の友達と呼べる人は一人もいなかった。
卓登は自ら進んで友達を作るタイプではなく、響以外の人間関係にはあまり積極的ではない。
それでも、卓登はクラスの中で孤立しているという印象を周囲の人たちに与えることはなかった。
それはおそらく、卓登の天性な物腰が自然とそうさせているのだろう。
邑夢のバイトでの態度は熱心で真面目だが、学校では自由奔放で授業をサボることも多く、学校を休むことも多い問題児だった。
邑夢が授業をサボるときの場所は大抵決まっており、邑夢はあの卓登と初めて出会った体育館倉庫の中でお裁縫をしていた。
そのことを知っているのは卓登だけであり、これは卓登と邑夢、二人だけの秘密となった。
邑夢のお裁縫の技術はプロのデザイナーをも唸らせるほどに素晴らしく、卓登も高く評価していた。
邑夢の制服は原型をなくして日に日に奇抜的になってゆき、それはもはや別物で、まるで演劇で使用される派手な衣装みたいになっていった。
邑夢は学校は休んでも、バイトを欠勤することは一度もなかった。
卓登もそんな邑夢に「今日、どうして学校に来なかったの?」と、たずねたりすることもなかった。
「芹澤って顔はメチャクチャ可愛いのに、あんなヘンテコな格好しているから一緒に歩きたくねーよ」
邑夢はクラスメイトの複数の男子たちから口々にこんなふうに言われていた。
邑夢本人はというと、そんなことを少しも気にしている様子はなく、卓登も邑夢と一緒に歩くことに少しも抵抗はなかった。
邑夢が自己流に改造した制服に口うるさく注意する教師もいれば、何も言ってこない教師もいた。
担任は諦めているのか、邑夢のような風変わりな生徒と必要以上に関わりたくはないと思っているのか、面倒な問題は極力避けたいと思っているのか、邑夢に感心を示すことはなかった。
そんな色々な理由が重なって、卓登と邑夢は学校では自然と一緒に行動することが増えていった。
普通、学校では同性の友達と一緒に行動する生徒が大多数であることから、卓登と邑夢の交友関係はほかの生徒たちからは物珍しく映り、卓登と邑夢は一緒にいるだけで目立った。
そのため、なかには卓登と邑夢が恋人同士なのではないのかと噂する人たちもたくさんいた。
放課後になり、卓登がいつものようにバイトに励んでいると、バイト仲間の一人である篠塚嶺邇が格納庫の棚の上に置いてある段ボールを取ろうとしていた。
以前「たっくんと一緒にバイトを始める子が来たから紹介したい」と邑夢から言われたのが嶺邇だ。
嶺邇は卓登や邑夢と同い年で、卓登と嶺邇はバイト先で初めて知り合ったが、嶺邇と邑夢は昔からお互いのことをよく知る幼馴染みで付き合いの長い親友だ。
嶺邇の容姿は邑夢とは対照的で、毛先の揃った黒髪のストレートなミディアムボブはいつも綺麗にまとまっており枝毛も無さそうだ。
嶺邇は日本人形を連想させるような美しい目鼻立ちをしている。
学校での嶺邇は控えめな才色兼備を装っているが、バイトでの嶺邇は奥ゆかしい大和撫子から一変して開放的な女子高生となる。
嶺邇は学校では頭髪になんの飾りも付けないが、学校以外での嶺邇は派手なカチューシャを大きなリボンのようにして身に付けており、その柄は毎日変わる。
優等生な表の顔も、年頃らしく遊ぶことが大好きな明朗快活な裏の顔も、どちらも本物の嶺邇の素顔なのだ。
おそらく、嶺邇の裏の顔を知らない学校の教師や生徒たちが外で嶺邇と会ったりしても、普段の表の顔である嶺邇の印象が強すぎて同一人物とは気づかれにくいであろう。
クラスは違うが、嶺邇も卓登や邑夢と同じ高校に通っている。
嶺邇は邑夢含めて、バイト仲間たちからは親しみを込めた『レニー』と愛称で呼ばれているが、卓登だけは『篠塚さん』と普通に呼んでいる。
「取ろうか?」
足元をふらつかせながら、危なっかしくしている嶺邇の様子を見かねた卓登が声をかけると、嶺邇は無理することをやめて背の高い卓登に任せることにした。
「たっくん、ありがとう! 助かる!」
邑夢だけではなく、卓登はほかのバイト仲間からも『たっくん』と呼ばれるようになっていた。
慣れとは恐ろしいもので、最初の頃は『たっくん』と呼ばれることに反発していた卓登ではあったが、今では『たっくん』と呼ばれることにそこまで抵抗感はなくなっている。
女だらけの職場に男一人の卓登ではあるが、不思議と卓登は居心地が悪いと感じることはなかった。
「たっくん、何か良いことでもあったの?」
「え? どうして?」
お客の出入りが少ない時間帯になり、卓登と邑夢が休憩室で一緒にいると、邑夢から興味津々とばかりにたずねられた。
「なんか最近のたっくん、すっごく幸せそうに見えるんだもん。たっくんが楽しそうだと、ワタシも嬉しくなっちゃうな!」
邑夢がタピオカジュースを飲みながら満面の笑顔で卓登の顔を覗きこんでくる。
卓登はいつもどおりに振る舞っていたつもりなのだが、そんな幸せいっぱいな空気を周囲に撒き散らしていたのだろうかと、卓登は急に恥ずかしくなった。
しかし、卓登が普段の卓登と違うということに気がついたのは邑夢だけである。
あの響と相思相愛になったばかりの幸福感に満ちあふれた夜、卓登と響はそのままキス以上の行為に突き進もうとしていたのだが、ちょうどその時、リビングから物音が聞こえてきて顔面を引きつらせた卓登と響は全身を硬直させた。
誰かが歩く足音と、ドアが開く音とトイレの水を流す音が卓登と響の耳に届く。
二人だけの世界に陶酔しきっていた卓登と響は、豪と祭鶴がリビングにいることなどすっかり忘れてしまうところだったが、それを頭の片隅から強引に引っ張り出す。
「今日のところは、やめとくか」
響が照れ笑いを浮かべながら小声で言うと、卓登も残念そうに同意する。
「はい。そうですね」
このまま最後まで進めたい気持ちはあるが、仕方なく中断することになってしまい、卓登と響は密着していた体を渋々離したのだった。
バイトをしているときの卓登は非常に生き生きとしていた。
卓登の長年の恋が実り、響と相思相愛になれたという卓登からしてみたら夢のようなことが実現したのだ。
そんな卓登の心境が無意識のうちに態度として表れてしまい、逆に無愛想でいることのほうが無理であろう。
卓登は意欲的にどんどん仕事を覚えていった。
見ず知らずの人に愛想笑いを浮かべるだなんて、どちらかといえば卓登は苦手なほうではあるのだが、これが仕事だと思えば割り切れた。
卓登のバイト先は規定された制服がなく、それぞれ自分が着衣したいと思う洋服を各自に用意して接客するとのことだった。
全国各地に店舗がある、アパレル業界ではちょっとした有名店で時給もそんなに悪くはなく、むしろ平均的に見て高いほうだ。
支店長の池村麻栄璃は高身長に加えて容顔美麗の持ち主である卓登を見た瞬間、興奮して大喜びした。
麻栄璃は三十代前半にはとても見えない、二十歳前後の大学生くらいに見えるほど若々しく綺麗な女性だ。
アパレル系の店長というだけあり、麻栄璃はとてもお洒落でメイクも上手だ。
よく手入れのされた麻栄璃の爪はネイルでキラキラと光っており、両耳に一つずつ付けている派手で大きなピアスも毎日変わる。
麻栄璃はフワフワにパーマされた茶髪をポニーテールでゆるく結っており、両サイドから少し髪をたらしている。
卓登と邑夢がアルバイトしているお店は男性の従業員が一人もいない。というよりも、こんなメルヘンチックな外装をしているお店で働きたいと思う男はまずいないのかもしれない。
前々から男の店員が欲しいなと思っていた麻栄璃は、卓登をお店の看板のような存在にしたいなと意気込んだ。
麻栄璃からタキシードを無償で支給された卓登は執事みたいな格好をして働くことになった。
元々、女性客の多いアパレル系統のお店ではあったが、卓登が働きはじめてからというもの噂が広まったのか、ますます女性客の来店が増えていった。
これに麻栄璃はご満悦になり、卓登を連れてきてくれた邑夢に大感謝した。
学校での卓登はというと、親しい友達は邑夢くらいであり、邑夢以外で特定の友達と呼べる人は一人もいなかった。
卓登は自ら進んで友達を作るタイプではなく、響以外の人間関係にはあまり積極的ではない。
それでも、卓登はクラスの中で孤立しているという印象を周囲の人たちに与えることはなかった。
それはおそらく、卓登の天性な物腰が自然とそうさせているのだろう。
邑夢のバイトでの態度は熱心で真面目だが、学校では自由奔放で授業をサボることも多く、学校を休むことも多い問題児だった。
邑夢が授業をサボるときの場所は大抵決まっており、邑夢はあの卓登と初めて出会った体育館倉庫の中でお裁縫をしていた。
そのことを知っているのは卓登だけであり、これは卓登と邑夢、二人だけの秘密となった。
邑夢のお裁縫の技術はプロのデザイナーをも唸らせるほどに素晴らしく、卓登も高く評価していた。
邑夢の制服は原型をなくして日に日に奇抜的になってゆき、それはもはや別物で、まるで演劇で使用される派手な衣装みたいになっていった。
邑夢は学校は休んでも、バイトを欠勤することは一度もなかった。
卓登もそんな邑夢に「今日、どうして学校に来なかったの?」と、たずねたりすることもなかった。
「芹澤って顔はメチャクチャ可愛いのに、あんなヘンテコな格好しているから一緒に歩きたくねーよ」
邑夢はクラスメイトの複数の男子たちから口々にこんなふうに言われていた。
邑夢本人はというと、そんなことを少しも気にしている様子はなく、卓登も邑夢と一緒に歩くことに少しも抵抗はなかった。
邑夢が自己流に改造した制服に口うるさく注意する教師もいれば、何も言ってこない教師もいた。
担任は諦めているのか、邑夢のような風変わりな生徒と必要以上に関わりたくはないと思っているのか、面倒な問題は極力避けたいと思っているのか、邑夢に感心を示すことはなかった。
そんな色々な理由が重なって、卓登と邑夢は学校では自然と一緒に行動することが増えていった。
普通、学校では同性の友達と一緒に行動する生徒が大多数であることから、卓登と邑夢の交友関係はほかの生徒たちからは物珍しく映り、卓登と邑夢は一緒にいるだけで目立った。
そのため、なかには卓登と邑夢が恋人同士なのではないのかと噂する人たちもたくさんいた。
放課後になり、卓登がいつものようにバイトに励んでいると、バイト仲間の一人である篠塚嶺邇が格納庫の棚の上に置いてある段ボールを取ろうとしていた。
以前「たっくんと一緒にバイトを始める子が来たから紹介したい」と邑夢から言われたのが嶺邇だ。
嶺邇は卓登や邑夢と同い年で、卓登と嶺邇はバイト先で初めて知り合ったが、嶺邇と邑夢は昔からお互いのことをよく知る幼馴染みで付き合いの長い親友だ。
嶺邇の容姿は邑夢とは対照的で、毛先の揃った黒髪のストレートなミディアムボブはいつも綺麗にまとまっており枝毛も無さそうだ。
嶺邇は日本人形を連想させるような美しい目鼻立ちをしている。
学校での嶺邇は控えめな才色兼備を装っているが、バイトでの嶺邇は奥ゆかしい大和撫子から一変して開放的な女子高生となる。
嶺邇は学校では頭髪になんの飾りも付けないが、学校以外での嶺邇は派手なカチューシャを大きなリボンのようにして身に付けており、その柄は毎日変わる。
優等生な表の顔も、年頃らしく遊ぶことが大好きな明朗快活な裏の顔も、どちらも本物の嶺邇の素顔なのだ。
おそらく、嶺邇の裏の顔を知らない学校の教師や生徒たちが外で嶺邇と会ったりしても、普段の表の顔である嶺邇の印象が強すぎて同一人物とは気づかれにくいであろう。
クラスは違うが、嶺邇も卓登や邑夢と同じ高校に通っている。
嶺邇は邑夢含めて、バイト仲間たちからは親しみを込めた『レニー』と愛称で呼ばれているが、卓登だけは『篠塚さん』と普通に呼んでいる。
「取ろうか?」
足元をふらつかせながら、危なっかしくしている嶺邇の様子を見かねた卓登が声をかけると、嶺邇は無理することをやめて背の高い卓登に任せることにした。
「たっくん、ありがとう! 助かる!」
邑夢だけではなく、卓登はほかのバイト仲間からも『たっくん』と呼ばれるようになっていた。
慣れとは恐ろしいもので、最初の頃は『たっくん』と呼ばれることに反発していた卓登ではあったが、今では『たっくん』と呼ばれることにそこまで抵抗感はなくなっている。
女だらけの職場に男一人の卓登ではあるが、不思議と卓登は居心地が悪いと感じることはなかった。
「たっくん、何か良いことでもあったの?」
「え? どうして?」
お客の出入りが少ない時間帯になり、卓登と邑夢が休憩室で一緒にいると、邑夢から興味津々とばかりにたずねられた。
「なんか最近のたっくん、すっごく幸せそうに見えるんだもん。たっくんが楽しそうだと、ワタシも嬉しくなっちゃうな!」
邑夢がタピオカジュースを飲みながら満面の笑顔で卓登の顔を覗きこんでくる。
卓登はいつもどおりに振る舞っていたつもりなのだが、そんな幸せいっぱいな空気を周囲に撒き散らしていたのだろうかと、卓登は急に恥ずかしくなった。
しかし、卓登が普段の卓登と違うということに気がついたのは邑夢だけである。
あの響と相思相愛になったばかりの幸福感に満ちあふれた夜、卓登と響はそのままキス以上の行為に突き進もうとしていたのだが、ちょうどその時、リビングから物音が聞こえてきて顔面を引きつらせた卓登と響は全身を硬直させた。
誰かが歩く足音と、ドアが開く音とトイレの水を流す音が卓登と響の耳に届く。
二人だけの世界に陶酔しきっていた卓登と響は、豪と祭鶴がリビングにいることなどすっかり忘れてしまうところだったが、それを頭の片隅から強引に引っ張り出す。
「今日のところは、やめとくか」
響が照れ笑いを浮かべながら小声で言うと、卓登も残念そうに同意する。
「はい。そうですね」
このまま最後まで進めたい気持ちはあるが、仕方なく中断することになってしまい、卓登と響は密着していた体を渋々離したのだった。