明日は日曜日で学校が休みだ。
卓登は響に帰ってほしくないと切望している。
食事が終わり、ひととおり後片づけを済ませると卓登が響にたずねる。
「響先輩。もう夜も遅い時間ですし、このまま泊まっていきますか?」
卓登からさりげなく言われたことで、響も特に深い意味としてとらえなかった。
「じゃあ、お言葉に甘えようかな」
駄目元で誘ってみたのだが、響から了承を得られると卓登はご満悦になり、わかりやすいほどに破顔する。
卓登は響に「この部屋を使ってください」と言って普段あまり使用していない小綺麗な一室を簡単に掃除した。その部屋に卓登がマットレスを持ってきて簡易な寝床を作る。
今、響が着用している上下のスウェットは卓登から借りたものだ。
当然のことながら、響には少しばかりサイズが大きすぎる。
「豪くんと祭鶴くんは?」
「二人とも、もう寝ました。爆睡してます」
「そっか」
最初、豪と祭鶴がリビングで寝るのだと聞いたとき、響は二人に部屋を譲り自分がリビングで寝ると言った。
しかし、豪と祭鶴は卓登のマンションに泊まりに来たときはいつもリビングで眠るらしく、二人もそのほうが寝心地が良いのか卓登も豪と祭鶴には特に気を遣う必要はないのだと響に言った。
「しょっちゅう喧嘩ばかりしているけど、なんだかんだ言って仲が良いんですよね」
卓登の安らぎの含まれた口調は豪と祭鶴のことを従兄弟というよりも、まるで実の弟のように可愛がっているかのようで、豪と祭鶴も卓登のことを実の兄のように慕っているのだろう。
成り行きとはいえ、こうして一晩一緒に過ごせることになり、なんとなく眠ってしまうのがもったいないと思っているのか、それともどことなくお互いに緊張しているのか、卓登も響も眠気がまったくと言っていいほどに襲ってこない。
卓登と響がマットレスの上で肩を並べて座り、他愛のない雑談をしている途中、不意に卓登の顔つきが真面目になった。
「さっき、俺が泊まっていきませんか? と響先輩に言ったじゃないですか?」
「ん? ああ」
「あれ実は、俺なりにけっこう勇気をだしたんです」
卓登は響の顔を直視できないのか、恥ずかしそうに睫毛を伏せた。
「まさかオッケーの返事をもらえるとは思っていなかったので、とても嬉しかったです」
響は「オレも卓登の家に来れてすっげー嬉しい」という台詞を飲み込んだ。
なぜ、卓登本人の前で声に出して言えないのだろうか。
「本当は、俺の部屋で一緒に寝てほしいんですけど……」
瞬時にあの雪が降った公園での一連の出来事に引き戻される。
響の脳裏に真っ先に浮かびあがるのは、あの衝撃的な映像だ。
『今すぐ響先輩を俺のベッドに連れて行きたいです』
卓登の熱のこもった真摯な台詞が鮮明によみがえり、響は自分でもわかりすぎるほどに全身を火照らせる。
「すみません。調子に乗りました。今言ったことは忘れてください」
卓登は苦笑いを浮かべると静かに立ち上がった。
「じゃあ、また明日。今夜はゆっくり休んでくださいね」
卓登が響から離れて部屋から出て行こうとする。完全にドアの向こうへと姿が消えてしまう前に、響は咄嗟に卓登の腕を掴んでいた。
これは無意識のうちにでてしまった響の行動だった。
突然のことに卓登は驚いている様子だが、響本人も自分自身のとった行動に驚きを隠せないでいる。
それでも、響の手は卓登の腕を絶対に離そうとはしない。
響の中で、何かが切れて壊れたような感覚の音がした。
それはもしかしたら、当たり前のように決めつけていた響の恋愛観が真っ二つに切れて壊れた音だったのかもしれない。
卓登から「忘れてください」と言われても、そう簡単に忘れてしまうことなど不可能なほどに、卓登の存在が響の心の中の大半を占めていて、それはもうすでに腫瘍ように植えつけられてしまっている。
「ここにいろよ。オレ、卓登の傍にいたい」
硝子のような、いや、硝子よりも繊細で脆い、響の年上としての威厳を保たせたいという自尊心の塊が粉々に砕かれながら散っていく。
「オレ、この数日間ずっと卓登のことばかり考えていた」
鋭く光る刃によって、心臓が容赦なく突き刺されているかのように激しく痛む。
上手く呼吸ができなくて息苦しい。
鼓動が正常な働きをしてくれない。
「べつに自慢するわけじゃねーけどな、これでもオレ、色んな女から告られたことが何度もあんだよ。でも特に好きでもないし、気になるわけでもないし、なかには一度も話したことがない知らない女もいたりしたから、どれも次の日にはたいした記憶として印象に残らなかった」
ふるえる声が紡ぎだす言葉の羅列に、これまで響が培ってきた固定観念が崩れはじめる。
これらをすべて、響は廃棄物として屑籠へと躊躇なく投げ捨てる。
「それなのに、オレは卓登からの告白だけは何日経っても忘れることができないでいる」
この感情を認めてしまうのが怖いから、これまで響は自分自身の気持ちに気がつかない振りをして、無理矢理、否定してきた。封印してきた。誤魔化してきた。
「そんなこと絶対にありえないと思えば思うほど、卓登のことが気になって、気になって、どうしようもなく会いたくなって……」
響の独白をさえぎるかのようにして、卓登は響の体を力いっぱい抱きしめた。
一瞬、響は困惑したが、響の両腕も卓登の背中へとぎこちなくまわされて、その腕の力は徐々に強まる。
そして卓登の顔が響の顔に接近してくる。
「響先輩、今、俺が響先輩にしようとしていること、わかりますよね?」
「ああ、わかる」
響は卓登から視線を逸らさずに、一寸の曇りもない、卓登の透きとおるほどの硝子よりも綺麗な黒い瞳をまっすぐに見つめている。
「その気もないのに、期待させるようなことをしているだけなのだとしたら、俺は響先輩のことを許しません」
若干、怒っているようにも見える卓登からのまっすぐな恋情を向けられて、響はもう宙ぶらりんの状態ではいられないと思った。
響はこの大人びた美形な後輩と中途半端な関係でいることに決別して、覚悟を決めた。
いい加減、臆病風に吹かれて己の本音から目を背けるのはやめにしよう。
「あのなあ、オレだって相手にぬか喜びさせるだけさせといて、知らんぷりして何もしないと言い張るほど無神経じゃねーよ」
つい棘のある物言いをしてしまうのは、この抑制することが不可能になってしまった恋心と欲望を卓登に読み取ってほしいからだ。
「オレにだって下心くらいあるし、好きな人には触りたいって思うし、触ってほしいとも思う」
響は卓登へのあふれんばかりの独占欲を止められない。
「オレは卓登とそうなっても良いと思ったから、もう腹いっぱいで食えねえのを隠してまで、こうして卓登のマンションまでのこのこと着いてきた」
響が卓登の両頬を壊れ物を扱うかのように両手で優しく包み込む。
「卓登、オレの彼氏になるか?」
響からの突然の予期せぬ告白に、卓登は感激するのも忘れて放心している。
「あ、いや、こんな言い方は失礼だよな」
響は首を傾けて、しばしの間、考え込んだ。
そして──。
「オレ、卓登の彼氏になりたい」
響は照れ笑いを浮かべると、朗らかに言い直した。
「あ、まてよ。こういう場合彼氏という言い方で合っているのか? 恋人って言えば良いのか?」
真剣に悩む響の様子に愛しさが込み上げてきて、卓登も響同様にこの膨れあがった恋心と情欲を抑制できそうにはない。
卓登は響に帰ってほしくないと切望している。
食事が終わり、ひととおり後片づけを済ませると卓登が響にたずねる。
「響先輩。もう夜も遅い時間ですし、このまま泊まっていきますか?」
卓登からさりげなく言われたことで、響も特に深い意味としてとらえなかった。
「じゃあ、お言葉に甘えようかな」
駄目元で誘ってみたのだが、響から了承を得られると卓登はご満悦になり、わかりやすいほどに破顔する。
卓登は響に「この部屋を使ってください」と言って普段あまり使用していない小綺麗な一室を簡単に掃除した。その部屋に卓登がマットレスを持ってきて簡易な寝床を作る。
今、響が着用している上下のスウェットは卓登から借りたものだ。
当然のことながら、響には少しばかりサイズが大きすぎる。
「豪くんと祭鶴くんは?」
「二人とも、もう寝ました。爆睡してます」
「そっか」
最初、豪と祭鶴がリビングで寝るのだと聞いたとき、響は二人に部屋を譲り自分がリビングで寝ると言った。
しかし、豪と祭鶴は卓登のマンションに泊まりに来たときはいつもリビングで眠るらしく、二人もそのほうが寝心地が良いのか卓登も豪と祭鶴には特に気を遣う必要はないのだと響に言った。
「しょっちゅう喧嘩ばかりしているけど、なんだかんだ言って仲が良いんですよね」
卓登の安らぎの含まれた口調は豪と祭鶴のことを従兄弟というよりも、まるで実の弟のように可愛がっているかのようで、豪と祭鶴も卓登のことを実の兄のように慕っているのだろう。
成り行きとはいえ、こうして一晩一緒に過ごせることになり、なんとなく眠ってしまうのがもったいないと思っているのか、それともどことなくお互いに緊張しているのか、卓登も響も眠気がまったくと言っていいほどに襲ってこない。
卓登と響がマットレスの上で肩を並べて座り、他愛のない雑談をしている途中、不意に卓登の顔つきが真面目になった。
「さっき、俺が泊まっていきませんか? と響先輩に言ったじゃないですか?」
「ん? ああ」
「あれ実は、俺なりにけっこう勇気をだしたんです」
卓登は響の顔を直視できないのか、恥ずかしそうに睫毛を伏せた。
「まさかオッケーの返事をもらえるとは思っていなかったので、とても嬉しかったです」
響は「オレも卓登の家に来れてすっげー嬉しい」という台詞を飲み込んだ。
なぜ、卓登本人の前で声に出して言えないのだろうか。
「本当は、俺の部屋で一緒に寝てほしいんですけど……」
瞬時にあの雪が降った公園での一連の出来事に引き戻される。
響の脳裏に真っ先に浮かびあがるのは、あの衝撃的な映像だ。
『今すぐ響先輩を俺のベッドに連れて行きたいです』
卓登の熱のこもった真摯な台詞が鮮明によみがえり、響は自分でもわかりすぎるほどに全身を火照らせる。
「すみません。調子に乗りました。今言ったことは忘れてください」
卓登は苦笑いを浮かべると静かに立ち上がった。
「じゃあ、また明日。今夜はゆっくり休んでくださいね」
卓登が響から離れて部屋から出て行こうとする。完全にドアの向こうへと姿が消えてしまう前に、響は咄嗟に卓登の腕を掴んでいた。
これは無意識のうちにでてしまった響の行動だった。
突然のことに卓登は驚いている様子だが、響本人も自分自身のとった行動に驚きを隠せないでいる。
それでも、響の手は卓登の腕を絶対に離そうとはしない。
響の中で、何かが切れて壊れたような感覚の音がした。
それはもしかしたら、当たり前のように決めつけていた響の恋愛観が真っ二つに切れて壊れた音だったのかもしれない。
卓登から「忘れてください」と言われても、そう簡単に忘れてしまうことなど不可能なほどに、卓登の存在が響の心の中の大半を占めていて、それはもうすでに腫瘍ように植えつけられてしまっている。
「ここにいろよ。オレ、卓登の傍にいたい」
硝子のような、いや、硝子よりも繊細で脆い、響の年上としての威厳を保たせたいという自尊心の塊が粉々に砕かれながら散っていく。
「オレ、この数日間ずっと卓登のことばかり考えていた」
鋭く光る刃によって、心臓が容赦なく突き刺されているかのように激しく痛む。
上手く呼吸ができなくて息苦しい。
鼓動が正常な働きをしてくれない。
「べつに自慢するわけじゃねーけどな、これでもオレ、色んな女から告られたことが何度もあんだよ。でも特に好きでもないし、気になるわけでもないし、なかには一度も話したことがない知らない女もいたりしたから、どれも次の日にはたいした記憶として印象に残らなかった」
ふるえる声が紡ぎだす言葉の羅列に、これまで響が培ってきた固定観念が崩れはじめる。
これらをすべて、響は廃棄物として屑籠へと躊躇なく投げ捨てる。
「それなのに、オレは卓登からの告白だけは何日経っても忘れることができないでいる」
この感情を認めてしまうのが怖いから、これまで響は自分自身の気持ちに気がつかない振りをして、無理矢理、否定してきた。封印してきた。誤魔化してきた。
「そんなこと絶対にありえないと思えば思うほど、卓登のことが気になって、気になって、どうしようもなく会いたくなって……」
響の独白をさえぎるかのようにして、卓登は響の体を力いっぱい抱きしめた。
一瞬、響は困惑したが、響の両腕も卓登の背中へとぎこちなくまわされて、その腕の力は徐々に強まる。
そして卓登の顔が響の顔に接近してくる。
「響先輩、今、俺が響先輩にしようとしていること、わかりますよね?」
「ああ、わかる」
響は卓登から視線を逸らさずに、一寸の曇りもない、卓登の透きとおるほどの硝子よりも綺麗な黒い瞳をまっすぐに見つめている。
「その気もないのに、期待させるようなことをしているだけなのだとしたら、俺は響先輩のことを許しません」
若干、怒っているようにも見える卓登からのまっすぐな恋情を向けられて、響はもう宙ぶらりんの状態ではいられないと思った。
響はこの大人びた美形な後輩と中途半端な関係でいることに決別して、覚悟を決めた。
いい加減、臆病風に吹かれて己の本音から目を背けるのはやめにしよう。
「あのなあ、オレだって相手にぬか喜びさせるだけさせといて、知らんぷりして何もしないと言い張るほど無神経じゃねーよ」
つい棘のある物言いをしてしまうのは、この抑制することが不可能になってしまった恋心と欲望を卓登に読み取ってほしいからだ。
「オレにだって下心くらいあるし、好きな人には触りたいって思うし、触ってほしいとも思う」
響は卓登へのあふれんばかりの独占欲を止められない。
「オレは卓登とそうなっても良いと思ったから、もう腹いっぱいで食えねえのを隠してまで、こうして卓登のマンションまでのこのこと着いてきた」
響が卓登の両頬を壊れ物を扱うかのように両手で優しく包み込む。
「卓登、オレの彼氏になるか?」
響からの突然の予期せぬ告白に、卓登は感激するのも忘れて放心している。
「あ、いや、こんな言い方は失礼だよな」
響は首を傾けて、しばしの間、考え込んだ。
そして──。
「オレ、卓登の彼氏になりたい」
響は照れ笑いを浮かべると、朗らかに言い直した。
「あ、まてよ。こういう場合彼氏という言い方で合っているのか? 恋人って言えば良いのか?」
真剣に悩む響の様子に愛しさが込み上げてきて、卓登も響同様にこの膨れあがった恋心と情欲を抑制できそうにはない。