「えっとお~……、お取り込み中かなあ?」
 不穏な空気が漂うなか、邑夢が申し訳なさそうに口を挟んで顔を出してきた。
「大丈夫だよ。何?」
 咄嗟に笑顔を作り、当たり障りなく対応することができるだなんて、これは案外、卓登は接客業としての素質があるのかもしれないなと邑夢は一人で納得しているのか、感心した様子でウンウンと頷いている。
「えっとね、たっくんと一緒にバイトを始める子が来たから紹介しようと思ったんだけど……」
「わかった。すぐに行く」
 卓登の本音としては、これから一緒にバイトを始める人に会うよりも、こうして響と一緒にいることを優先したいのだが、ここは渋々邑夢に従うことにする。
「バイト?」
 邑夢が店内に戻ると、響がすかさず卓登にたずねた。
 卓登が目尻をたるませて柔和にほほ笑む。
「俺、このお店でバイトしようと思っているんです。あの人は芹澤邑夢さんといって、俺のクラスメイトでちょっとした成り行きといいますか、一緒にバイトしないかって誘われたんですよ」
 たしかにこんなメルヘンチックなお店でバイトをすることになるとは卓登本人も考えていなかったので、卓登も自分で驚いている。
「まあ、芹澤さんのあのテンションの高さには俺もついていけない部分があるけど、でも無邪気なだけで悪い子じゃないと思うし。俺と芹澤さんの関係はそんな深いものではなく、ただそれだけですよ。芹澤さんとは幼馴染みとかそんな長い付き合いでもなく、今日、初めて会った人です」
 卓登は淡々とした口調で邑夢との関係を説明した。
「そっか。悪い、オレ、なんか一人で勘違いしていたみたいで……」
 響がどんなに隠そうと思っていても、響の表情からはあきらかに安堵した表情が誤魔化しきれないほどに滲み出ている。
「俺は響先輩からの質問に答えました。だから今度は響先輩が答える番です」
 響の隣に立っていた卓登が響の目の前に移動してきて、響と真正面から向かい合う。
「俺と芹澤さんが一緒にいるところを見て、どう思いましたか?」
 響は卓登から視線を逸らして顔を背けると、恥ずかしそうにうつむいた。
「……あの子が卓登の彼女だったら、嫌だなって思った……」
 それを聞いた卓登の表情が嬉しそうにほころぶ。
「でも卓登が普通に女を好きになってくれたら良いのになとも思ってる。正直、オレには卓登の価値観がいまいちピンとこないっていうか……。なんで女じゃなくて男を好きになるのかなって……。あ、いや、べつに気持ち悪いと言っているんじゃなくて、単にオレが不思議に思っているだけで……」
 どうしても響の心の中ではこの疑問が拭いきれない。
 これは好奇心としてではなく、率直に響が(ふところ)に抱え持つ謎なのだ。
「ちょっと誤解されているみたいですけど、俺はべつに同性愛者(ゲイ)というわけではないですよ」
 驚いた様子の響が卓登の顔をじっと見つめる。
「俺の恋愛対象は普通に異性ですよ」
「え? そうなのか? じゃあなんで……」
 意味がよくわからないといった顔をする響に卓登は優しい口調で付け加える。
「響先輩が言おうとしていることはわかります。でも男だとか女だとか、そんなことがどうでもいいと思えるほどに俺は響先輩のことが好きなんです」
 他人から見たら絶対に叶わない恋をしているのだと思われているのかもしれない。
 それでも卓登は簡単に諦めて、これは無謀な恋であるのだと決めつけてしまうのが嫌だった。
「俺、そろそろお店に戻らないと。響先輩、近いうちに一緒にご飯でも食べに行きましょうね」
「卓登」
 あれこれと深く考えるよりも先に、響は卓登を呼びとめていた。
「オレ奢るから、この後、一緒に飯でも食いに行くか?」
 咄嗟とはいえ、響の口からごく自然に出た言葉だった。
 卓登は嬉しそうにはにかみながら「はい。喜んで」と言って静かに頷いた。