卓登と違い、二年間通学していた響は学校内に詳しい。
ゆっくり話せる場所を数カ所知っていたりする。
その中でも響は一番の穴場スポットに卓登を連れてきた。
そこは恋人同士が隠れて密会したり、勇気をだして愛の告白をするようなお決まりの場所ではない。
生徒が一番嫌う職員室の真正面にある給湯室だった。
給湯室には『生徒は立ち入り禁止』といった札や注意書きがされているわけでもなく、誰でも入れるようになっているが、この給湯室に出入りする生徒は誰一人としていない。
裏をかく。とはまさにこのことで、あえて教師に見つかりやすそうな場所を選ぶ。
それに教師たちも学校内で忙しくしているため、頻繁に給湯室に足を運んでいるわけではない。
人間一人がやっと通れるほどの出窓は踏み台を使用してではないと届かないが、日中、その出窓からは電気を点ける必要がないほどの眩しい陽光が降りそそぐ。
だけど今、この給湯室にいる卓登と響に明るい兆しはなく、緊張しながら双方の出方をうかがっている。
「あの日……」
ここは自分から切り出すべきだろうなと卓登は思い、口を重たく開いた。
「響先輩からスマホの番号とメアドを教えてもらったあの日、とても嬉しかったです。何度も響先輩に連絡しようと思いました」
「じゃあ、なんで連絡してこなかったんだよ」
──と、響は啖呵を切って口走りそうになったがなんとか押し止めた。
「期待はするなと言われて、勝手だとは思いましたがつらかったです」
これを言った響もつらかった。
卓登もそれは響の優しさなのだということは充分すぎるほどに理解している。
卓登のスマートフォンの番号とアドレスを知らない響は身動きできずにいたため、その煮え切らない気持ちのまま悶々とした日々を過ごしていた。
それに響は卓登の自宅も知らない。
マンション住まいということは聞いているが、そのマンションにお邪魔したことは一度もない。
これは卓登も同じで、響の自宅にお招きされたことは一度もなかった。
ほぼ学ラン姿でしか面識がない今の二人は、お互いにお互いの部屋の様子や間取り、私生活が気になっていた。
卓登は響に連絡しなかったものの、レシートに書かれた響のスマートフォンの番号とアドレスは卓登の中で重宝となっている。
いつまでも雪の舞い降る外にいたら、けっして失いたくはない大切な連絡先が消されてしまう恐れがある。
レシートを一刻も早く持ち帰りたくて、安全な場所で再度確認したくて、これ以上、雪で濡れて読みづらくなってしまった文字を滲ませたくはなくて──。
自宅に着くなり、卓登は自分自身のスマートフォンに響の番号とアドレスを即座に登録して丸暗記した。
天才的な暗記力を発揮させた理由に卓登は納得する。
それはいたって単純なことなのだ。
「だけど、やっぱり俺は響先輩のことが好きです。響先輩の傍にいたいです。諦められません」
嫌悪されても良い。
憎まれても良い。
中学卒業だけではなく、卓登は聞き分けの良い素直な人であり続ける自分自身にも卒業してきた。
だから利用できるものはすべて利用するし、自分の感情を押し殺したりもしない。
愛する人をなんとしてでも誘惑するために。
いつか、ベッドの上で最も愛する人の体を力いっぱい抱きしめて、極上の愛撫を施し、唇が腫れあがるほど貪るようにキスをするために、愛する人の親切心までも卓登は利用する。
「響先輩にお祝いしてもらいたいです。ご飯を奢ってくれるんですよね?」
「ああ」
卓登のどこか自信に満ちあふれた不敵なほほ笑みは、不思議と響の心を惑わせて息苦しくさせた。
「奢ってもらう身の俺がこんなことを言うのは図々しいとは思うのですが、今日、このあと響先輩と二人で食べに行きたいなと思っているんですけど、どうですか?」
「あ、悪い。今日は友達とカラオケに行くんだ」
それを聞いた卓登の表情が悲痛に歪む。
太陽の位置も変わった。
これに響は軌道を垂直に戻そうとする。
「卓登も一緒にくるか?」
時に人が人に向ける優しさとは非常に残酷で苛立たせるものとなる。
響からの誘いはすべてにおいて歓喜する卓登ではあるのだが、
「遠慮しておきます」
これはお断りした。
響にとっては大切な友達でも、卓登からしてみたらそんな連中は邪魔者だ。
それにカラオケに同行したとしても疎外感に落ち込むであろう己の姿が卓登には安易に想像できてしまえる。
響からも変に気を遣われてしまうだろう。
愛情ではない同情の特別扱いは惨めになるだけだ。
卓登はこのまま響に手を伸ばして響をカラオケに行かせまいと、両腕で響の全身を檻のように囲んで閉じ込めてしまいたくなったが、そんな邪心をなんとか振り払う。
「あとで俺から響先輩にメールします。その時にラインのURLを添付するので、良かったらライン交換してください。カラオケ楽しんできてくださいね」
精一杯の見送りは苦しまぎれだ。
思ってもいない気休めは嘘でも言うべきではないなと、卓登はひどく憂鬱になった。
ゆっくり話せる場所を数カ所知っていたりする。
その中でも響は一番の穴場スポットに卓登を連れてきた。
そこは恋人同士が隠れて密会したり、勇気をだして愛の告白をするようなお決まりの場所ではない。
生徒が一番嫌う職員室の真正面にある給湯室だった。
給湯室には『生徒は立ち入り禁止』といった札や注意書きがされているわけでもなく、誰でも入れるようになっているが、この給湯室に出入りする生徒は誰一人としていない。
裏をかく。とはまさにこのことで、あえて教師に見つかりやすそうな場所を選ぶ。
それに教師たちも学校内で忙しくしているため、頻繁に給湯室に足を運んでいるわけではない。
人間一人がやっと通れるほどの出窓は踏み台を使用してではないと届かないが、日中、その出窓からは電気を点ける必要がないほどの眩しい陽光が降りそそぐ。
だけど今、この給湯室にいる卓登と響に明るい兆しはなく、緊張しながら双方の出方をうかがっている。
「あの日……」
ここは自分から切り出すべきだろうなと卓登は思い、口を重たく開いた。
「響先輩からスマホの番号とメアドを教えてもらったあの日、とても嬉しかったです。何度も響先輩に連絡しようと思いました」
「じゃあ、なんで連絡してこなかったんだよ」
──と、響は啖呵を切って口走りそうになったがなんとか押し止めた。
「期待はするなと言われて、勝手だとは思いましたがつらかったです」
これを言った響もつらかった。
卓登もそれは響の優しさなのだということは充分すぎるほどに理解している。
卓登のスマートフォンの番号とアドレスを知らない響は身動きできずにいたため、その煮え切らない気持ちのまま悶々とした日々を過ごしていた。
それに響は卓登の自宅も知らない。
マンション住まいということは聞いているが、そのマンションにお邪魔したことは一度もない。
これは卓登も同じで、響の自宅にお招きされたことは一度もなかった。
ほぼ学ラン姿でしか面識がない今の二人は、お互いにお互いの部屋の様子や間取り、私生活が気になっていた。
卓登は響に連絡しなかったものの、レシートに書かれた響のスマートフォンの番号とアドレスは卓登の中で重宝となっている。
いつまでも雪の舞い降る外にいたら、けっして失いたくはない大切な連絡先が消されてしまう恐れがある。
レシートを一刻も早く持ち帰りたくて、安全な場所で再度確認したくて、これ以上、雪で濡れて読みづらくなってしまった文字を滲ませたくはなくて──。
自宅に着くなり、卓登は自分自身のスマートフォンに響の番号とアドレスを即座に登録して丸暗記した。
天才的な暗記力を発揮させた理由に卓登は納得する。
それはいたって単純なことなのだ。
「だけど、やっぱり俺は響先輩のことが好きです。響先輩の傍にいたいです。諦められません」
嫌悪されても良い。
憎まれても良い。
中学卒業だけではなく、卓登は聞き分けの良い素直な人であり続ける自分自身にも卒業してきた。
だから利用できるものはすべて利用するし、自分の感情を押し殺したりもしない。
愛する人をなんとしてでも誘惑するために。
いつか、ベッドの上で最も愛する人の体を力いっぱい抱きしめて、極上の愛撫を施し、唇が腫れあがるほど貪るようにキスをするために、愛する人の親切心までも卓登は利用する。
「響先輩にお祝いしてもらいたいです。ご飯を奢ってくれるんですよね?」
「ああ」
卓登のどこか自信に満ちあふれた不敵なほほ笑みは、不思議と響の心を惑わせて息苦しくさせた。
「奢ってもらう身の俺がこんなことを言うのは図々しいとは思うのですが、今日、このあと響先輩と二人で食べに行きたいなと思っているんですけど、どうですか?」
「あ、悪い。今日は友達とカラオケに行くんだ」
それを聞いた卓登の表情が悲痛に歪む。
太陽の位置も変わった。
これに響は軌道を垂直に戻そうとする。
「卓登も一緒にくるか?」
時に人が人に向ける優しさとは非常に残酷で苛立たせるものとなる。
響からの誘いはすべてにおいて歓喜する卓登ではあるのだが、
「遠慮しておきます」
これはお断りした。
響にとっては大切な友達でも、卓登からしてみたらそんな連中は邪魔者だ。
それにカラオケに同行したとしても疎外感に落ち込むであろう己の姿が卓登には安易に想像できてしまえる。
響からも変に気を遣われてしまうだろう。
愛情ではない同情の特別扱いは惨めになるだけだ。
卓登はこのまま響に手を伸ばして響をカラオケに行かせまいと、両腕で響の全身を檻のように囲んで閉じ込めてしまいたくなったが、そんな邪心をなんとか振り払う。
「あとで俺から響先輩にメールします。その時にラインのURLを添付するので、良かったらライン交換してください。カラオケ楽しんできてくださいね」
精一杯の見送りは苦しまぎれだ。
思ってもいない気休めは嘘でも言うべきではないなと、卓登はひどく憂鬱になった。