――会長室は、篠沢商事ビル最上階である三十四階のいちばん奥に位置している。このフロアーにある部屋の中でもっとも広い執務室だ。

 西側の大きなガラス窓――ちなみに断熱・遮光ペアガラスが使用されている――を背にする形で会長のデスクがあり、ドアのすぐ側に配置されている秘書席とは少し離れているが、位置取りとしては向かい合う形になっている。どちらのデスクにも専用のデスクトップPCが備え付けられている。
 この他に室内にあるのは大きな本棚とキャビネット、共用プリンターが一台、そして応接スペースのソファーセット。主の趣味が反映されるものといえば、大きなアンティーク調の飾り時計くらいだ。ゴルフのパターマットや帆船(はんせん)模型、木彫りのでかいクマの置物みたいないかにも「会長室でござい」というものは一切置かれておらず、シンプルだが高級感漂う空間になっている。
 ちなみに、このフロアーの給湯室を除く各部屋には、専用の化粧室も完備されている。

「――さ、会長。どうぞ」

 僕は自分の社員証のIDを認証させてロックを開け、絢乃会長を初めて会長室の中へお通しした。僕も過去に一度だけ亡き源一会長に通されたことがあったが、彼女もお父さまのかつての職場を感慨深そうに見まわされていた。この室内のシンプルながら品のある調度品を、彼女もお気に召したようだった。

「――では、僕はコーヒーを入れて参ります。会長はデスクでお待ち下さい。お好みの味などあればおっしゃって下さいね」

「うん、分かった。じゃあミルクとお砂糖たっぷりでお願い」

「かしこまりました」

 僕は彼女のオーダーを聞くと、専用通路を通って給湯室へ入っていった。
 コーヒーを淹れるための道具やマグカップ、豆などは前もってここに持ち込んであった。実は土曜日の午後、絢乃会長の就任スピーチの原稿を作成し終えた後に、クルマに積んで運び込んであったのだ。

『――桐島くん、その大荷物なに!? 今日は出勤日じゃないよね?』

 ちょうどその日も休日出勤していた小川先輩が、その光景にビックリしていた。

『コレっすか? 絢乃会長のために美味しいコーヒーを淹れて差し上げようと思って、わざわざ俺ん家から持ってきたんすよ』

 それを聞いた先輩は、「会長のために何もそこまで……」と呆れていたが。
 ちなみに、コーヒー豆は実家近くの馴染みのコーヒー専門店から分けてもらったちょっとお高い豆である。愛する絢乃さんに喜んで頂きたくて、少々張り込んだのだ。もちろん僕の自腹で。会長に申告すれば、この代金は経費で落としてもらえるだろうか?