僕がそう答えた次の瞬間、加奈子夫人はイタズラっぽい笑みを浮かべた。

「あら、ちょうどよかった。それじゃあ桐島くん、今日の帰り、絢乃をあなたのクルマで家まで送ってきてくれないかしら? あの子も若い男の人と接点がなかったから、あなたに送ってもらった方が嬉しいと思うのよ」

「え……。えっと」

 元々断り下手な僕は、引き受けたとて自分に何のメリットもない島谷課長の雑用も断れずにいた。が、この頼まれごとは僕にもメリットがある。絢乃さんとお近づきになれるというメリットが。

「分りました。僕でよければお引き受けします」

「本当に? ありがとう。ただし、あの子のことお持ち帰りしちゃダメよ」

「ですから、しませんってば」

 からかう加奈子夫人を、僕は必死に牽制(けんせい)した。僕たちの会話を絢乃さんに聞かれたらどうなることかとヒヤヒヤしていたのだ。……実は、少し離れたところからバッチリ見られていたらしいのだが。

「――ところで、絢乃さんは一体どなたを探していらっしゃったんでしょうか。ずいぶん焦っていらっしゃったみたいですが」

 彼女の視線があちこちをさまよっていたように見えたので、僕は気になっていたのだ。

「ああ、きっと夫を探してるのね。あの人、パーティーの途中でフラッといなくなっちゃったから。あの人がこのごろ激()せしてること、あなたも知ってるでしょ? だからあの子も心配してて」

「ええ、僕も存じていますし、社員のみんなも心配しております」

 それはもちろんウソでもホラでもなく、事実だった。源一会長の痩せ方が文字どおりあまりにも病的だったので、昼休みの社員食堂ではその話題があちこちで飛び交っていたのだ。

「私は多分、あの人何かの病気なんじゃないかと思ってるんだけど。とにかく大の病院嫌いでね、どれだけ勧めても行きたがらないのよ。だからって、首にリードつけて引っぱって行くわけにもいかないじゃない? 犬じゃあるまいし」

「……確かに」

 僕は思わず、大型犬になった源一会長が加奈子さんにリードで引っぱられて病院へ連れていかれるところを想像してしまった。これじゃまるで、お散歩をイヤがるワンコだ。

 という話をっしていると、加奈子さんがバーカウンターに目をやったところで「あ」と小さく呟いた。

「あの人、あんなところにいた。絢乃が先に見つけてたみたい。――じゃあ桐島くん、さっきのこと、よろしく頼んだわよ♪」

 ご主人とお嬢さんのいるバーカウンターへ向かった加奈子さんを目で追うと、彼女は目的の場所に着くなり源一氏を叱りつけていた。なるほど、篠沢家はどうやら〝かかあ天下〟らしい。

「――あれー、桐島くん。どうしてあなたがここにいるの?」