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ビーフシチューはなんと、夜食の分まであった。兄貴、作りすぎだっつうの。……それはともかく。
――翌日出勤すると、小川先輩は少し元気を取り戻したようだった。
「おはようございます。――先輩、もう大丈夫なんですか?」
「おはよ、……まぁね。社長が、普段どおりに仕事をしてる方が気が紛れていいだろうっておっしゃるから」
そういえば、前日から先輩は会長秘書の任を離れ、村上社長に付いていたのだ。
「そっすか。でも、よく社長秘書を引き受けましたよね。会長秘書から降格したようなもんじゃないっすか」
「別に降格したワケじゃないよ、桐島くん。秘書に格なんか関係ないの。たとえ誰に付こうと、秘書はただ自分の仕事をすればいいだけ。ただ、会長秘書だけの特別待遇は受けられなくなったけど」
「特別待遇って?」
僕は首を傾げた。そんなものがあるなんて初耳だ。ということは、会長秘書になったら僕も同じような待遇を受けられるということだろうか?
「それはこれから分かると思うよ、桐島くん。お楽しみに♪」
「へぇ……、そっすか」
小川先輩にははぐらかされたが、それは実際に受けてみると、経済的にかなり厳しい生活を送っていた僕にはものすごくありがたい待遇だった。
「でも、まだ絢乃さんが正式に会長に就任されるって決まったわけじゃないんですよね」
「えっ、そうなの?」
僕は前日に篠沢家の親族会議がどうなったのか、先輩に話した。加奈子さんのいとこという人が、最後の抵抗で自分の父親を絢乃さんの対立候補に立てたのだ、と。そして、明日の株主総会で決選投票が行われることになったのだ、とも。
「ホンっト、絢乃さんじゃないけど、その人何考えてるんだろうね」
「ね? 先輩もそう思うでしょ? でも多分、かなりの高確率で絢乃さんが会長に就任されるって決まったようなもんですよ。先代の遺言で正式に指名されてるわけですし、株主のみなさんだってそれを無視することはないでしょうから」
「だよねー。そんなワケの分かんない人より、絢乃さんが会長になって下さった方が絶対いいもんね」
「――おはよう、桐島くん。ところで、室長の私にまだ挨拶なしとはどういうことかしら?」
温度の低ぅい声に慌てて振り返ると、ブリザード化した広田室長がそこにいた。小川先輩としゃべることに夢中で、室長の存在が頭の中からスッポリ抜け落ちてしまっていたのだ!
「わぁぁぁっ!? すみません室長! おはようございますっ!」