絢乃さんは大号泣されたおかげで、すっかりふっ切れたらしい。心のデトックスをしたおかげで、気持ちが軽くなられたからだろう。僕が小川先輩の請け売りで「ボスに気持ちよく出社して頂き、快適にお仕事に励んで頂くのが秘書の務めですから」と大真面目に言ったところ、この日初めて朗らかな笑顔を見せて下さった。

 やっぱり、彼女には笑顔がよく似合う。お父さまを亡くされた悲しみが消えることはないと思うが、僕の前では笑顔でいてほしい。……いや、彼女がそういられるように、僕が頑張らなければ。それが僕の務めなのだ。
 ミラー越しなのをいいことにそれを口に出して言うと、彼女のお顔は真っ赤になった。「あ…………、うん。ありがと。よろしく」とおっしゃる絢乃さんは、きっと照れていらっしゃったのだろう。……っていうか俺、めちゃめちゃキザだな。自分でもすごく恥ずかしい。


   * * * *


 ――お二人を無事にご自宅の前まで送り届けると、加奈子さんが僕の母親のような口調でおっしゃった。

「桐島くん、今日はお疲れさま。明日も出勤でしょう? 家に帰ったらゆっくり休むのよ。お清めの塩も忘れないようにね」

 多分、ウチの母も同じようなことを言うだろう。元保育士で礼儀やしつけには厳しい人だから。……そういえば加奈子さんも元教師だったっけな。

「はい。加奈子さん、絢乃さん。これから何かと忙しくなりますが、三人で頑張っていきましょう」

「うん。今日はホントにありがと」

 僕が微笑みかけると、絢乃さんは可愛らしくはにかまれた。この先、僕にも新しい日々が待っているが、この笑顔ひとつあればすべて報われるんじゃないかと思わせてくれる笑顔だった。好きな人の笑顔には、それだけの力があるのかもしれない。

 ――二日後に行われる株主総会の日には、寺田さんが送迎をされるので僕は送迎しなくてもいい、と加奈子さんに言われた。当日が土曜日だったので、僕に休日出勤させるのが申し訳ないと思われたのだろう。僕は別にそれでも構わなかったのだが、加奈子さん(と多分絢乃さんも、だろう)のお気遣いに甘えさせて頂くことにした。

「――桐島さん。今日から貴方を正式に、会長秘書に任命します。正式な辞令ではないけど、心して受けるように」

 別れ際、絢乃さんは胸を張って僕にこうおっしゃった。正式な書面での辞令は人事部を通してになるだろうが、次期会長(ボス)が直々に任命されたのだから、それは僕にとってれっきとした〝辞令〟に他ならなかった。

「はい。謹んで拝命致します」

 僕はそれに、神聖な気持ちでお応えしたのだった。