出社した僕は、朝の挨拶もそこそこに小川先輩に声をかけた。

「――先輩、会長が病院に搬送されたそうです。出勤前に絢乃さんから連絡を頂いて」

「…………そう。で、ご容態は?」

 先輩は明らかにショックを受けている様子だった。彼女が会長に道ならぬ恋をしていたことを知っていた僕は、会長の病状についてどう話そうか(ちゅう)(ちょ)した。

「昨夜から昏睡状態で、朝目を覚まさなかったそうです。絢乃さんがおっしゃるには、このまま二度と目を覚まさないかもしれない、と。――昨夜、絢乃さんにおっしゃってたそうですよ。『加奈子さんと、篠沢グループの未来をよろしく頼む』って。絢乃さんはそれがお父さまの遺言なんじゃないかって」

「……そっか。もう助からないんだ、会長。…………参ったなぁ」

「すいません、先輩。俺、こんなこと先輩に話すべきじゃなかったっすよね」

 今にも泣きそうに顔を歪ませていた先輩に、僕は申し訳ない気持ちになった。

「ううん、桐島くんのせいじゃないよ。話してくれてありがとね。あたしの方こそごめん」

 ――先輩がその日一日ボロボロで、仕事にならなかったのは言うまでもない。広田室長も小川先輩の会長への想いには気づかれていたらしく、彼女がミスを咎められることはなかった。


   * * * *


 会社は二十九日から年末年始の休暇に入り、僕は実家で正月気分に浸っていた年明けの三日――。

『桐島さん、……パパが、今朝早くに亡くなりました。すごく穏やかな(さい)()だった』

 絢乃さんが、僕に電話で会長のご逝去を伝えて下さったのは、午前九時ごろだった。
 お父さまが入院されることになったと連絡を下さった時と同様、彼女は泣いていなかったが、それが彼女なりの精一杯の強がりだということを僕は分っていた。

「そうですか……。わざわざご連絡ありがとうございます」

 だからあえて、僕もそんな心境でわざわざ連絡を下さった彼女にお礼だけを伝えた。泣かなかった――もしくは泣けなかったのには、彼女なりの事情があったのだろう。そんな彼女に同情するのも、ヘタな慰めの言葉をかけるのも違うなと思ったのだ。
 その事情というのは、ご葬儀の時に明らかになったのだが――。

 絢乃さんは僕に、お父さまのご葬儀は社葬になると思うけれど参列してくれないかと訊ねた。もちろん、僕はそのつもりでいたので、こう答えた。気持ちのうえでは、すでに絢乃さんの秘書だったからだ。

「もちろんです。その時には、絢乃さんの秘書として参列させて頂きますね。まだ正式な辞令は下りていませんけど」