ある日の午後、僕は例によって八王子まで学校帰りの絢乃さんをクルマでお迎えに行った。仕事は三時で切り上げ、早々に退社して。

 その日は世界一の高さを誇る(すみ)()区の電波塔(タワー)に行きたいという彼女のために、クルマを走らせていたのだが。
 僕が新車を購入したという話に驚を隠せなかった彼女は、どういう話の流からか僕がいつも会社を早退していることへの疑問を口に出された。

「……っていうか桐島さん、今日も会社早退してきたんだよね? 大丈夫なの?」

 もしかしたら、自分のためにいつも会社を早退しているから僕の会社内での立場が危うくなるのでは、と心配に思われたのかもしれない。
 なかなか言い出せなかった僕に助け船を出して下さる形になった絢乃さんには感謝したが、内心では「なんで早く言わなかったんだ、俺のバカヤロー!」と自分自身に罵声を浴びせたくなった。そのせいで、彼女に余計な心配をかけてしまったかもしれないのだ。

「大丈夫ですよ。……実は僕、以前から総務課で上司のパワハラ被害に遭ってまして、部署を異動することにしたんです。で、今は異動先の部署の研修中で早く退勤させてもらってるんです。お母さまの(はか)らいで」

 僕のパワハラ被害のことは、初対面の時にそれとなく匂わせていたので、ここまでは無難にスラスラと言葉が出てきた。
 案の定、彼女は僕の異動先も知りたがった。ここで話してしまえば僕は心のつかえが下りて楽になれたかもしれないが、絢乃さんの心を曇らせてしまうのは本意ではなかったため、「言えるタイミングが来たら、真っ先に絢乃さんにお伝えします」とお茶を濁した。でも聡明な彼女は、その言葉の裏で「その時が来ないでくれればいのに」と僕が思っていたことに気づいて下さったようだ。それ以上詮索されることはなかった。

「あと、新車も真っ先にあなたにお披露目(ひろめ)しますね。楽しみにしていて下さい」

 取り繕ったように新車の話題に戻すと、「楽しみにしてる」と彼女は笑顔でおっしゃったので、どうやら話を逸らすことには成功したようだった。
 
 そして、僕は漠然とだが気がついた。絢乃さんはどうやら、本当に僕に好意を抱いているらしいことに。――それまでは女性の真意を信じられなかった僕も、これだけは信じてもいいのかもしれないと自然と思えた。


   * * * *


 タワーの入館チケットは、絢乃さんが僕の分までお金を出して買って下さった。社会人が女子高生に奢ってもらうのはどうなのかと思ったが、そこは大人として彼女に花を持たせるべきだろうと判断して、素直にご厚意に甘えることにした。