「桐島くん、それ、かえって逆効果なんじゃないかな。リミットギリギリになって言う方が、『この人、パパが危なくなるタイミングを狙ってたんじゃないか』って絢乃さんに思われるとあたしは思うんだけど」

「…………確かに、そうかもしれないっすね」

「でしょ? だったら早い方がいいと思うけどなぁ。タイミングを遅らせれば遅らせるほど、あなたも言いにくくなるだろうし」

「……分かりました。じゃあ……とりあえず、秘書室だってことは伏せて、異動したってことだけは早めにお伝えしようと思います」

 僕の中で葛藤(かっとう)はあったものの、とりあえず僕側が譲歩する形でこの話題は終わった。

「――ところで先輩。源一会長が亡くなられた後、先輩はどうするんですか? 会長秘書は二人も要らないですよね」

 源一会長亡き後、後継者となられるのは絢乃さんの可能性が大だった。僕が彼女の秘書に付くことになれば、源一会長の下で秘書として働いていた小川先輩はハブられる形になる。……ちょっと言い方は間違っているかもしれないが。

「そのことなんだけどね、あたし、どうやら村上社長に付くことになりそうなの。何でも、社長秘書の(よこ)()さんが年内一杯で会社を辞めることになったらしくて。……実家の家業を継ぐんだって」

「そうなんですか。横田さんのご実家って確か、湯河原(ゆがわら)の温泉旅館でしたっけ」

 横田(つかさ)さん(ちなみに男性である)は当時三十二歳で、温泉旅館を営むご実家の長男だったらしい。六十代のご両親がお元気だったので、家業は継がなくていいと言われて東京で就職したが、女将(おかみ)だったお母さまが体調を崩され、急きょ家業を継ぐことになったそうだ。

「うん。ウチの社員旅行でもお世話になったよね。まぁでも、あたしは会社を辞めるわけじゃないし、会社に残るから、何かあったらいつでも相談に乗るよ」

「はい」

 まだ慣れない秘書の業務に追われる中で、小川先輩というよき相談相手が身近にいてくれて、僕は恵まれているなぁと思う瞬間だった。