――僕はその翌週のうちに秘書室への異動が認められ、秘書としての研修がスタートした。
 ちなみに、転属には所属していた部署の上長の承認が必要なのだが、島谷氏はあっさりと承認印を押してくれた。前もって社長や人事部長・秘書室長の承認印が押されていたので押さざるを得なかったのだと聞いたが、実は加奈子さんから何らかの圧力がかかったのだと僕は勝手に思っている。
 とはいえ、十月の異動シーズンからも少しズレていたので、僕のこの時期の異動はイレギュラーな特例だったらしい。

「――桐島くん、秘書の仕事でいちばん大事なことって何だか分かる?」

 室長から指導係に任ぜられた小川先輩が、僕に優しく問いかけた。
 研修が始まってから、僕は秘書の業務もそつなく覚え、こなしてきた。が、先輩にこう訊ねられたということは、僕にはまだ何かが欠けていたということだ。

「えーと……、時間に正確であること……ですかね」

 首を傾げながら、思いつく答えを言ってみた。あとは命令に忠実なこと、口が堅いこと、このあたりだろうか。

「まぁ、それも正解かな。ボスのスケジュール管理は秘書にとって大事な仕事だからね。でも、時間に縛られたくないボスもいるし、あまりにも忙しすぎるとかえってストレスを与えちゃうよね。だから、そのあたりはあまりナーバスになる必要はないとあたしは思ってる。大事なのは時間配分と(さじ)加減」

「要するに調整能力ってことですね。じゃあ、それが正解なんですか?」

 僕がそう解釈すると、先輩は「う~ん」と唸ってから「それも違うかな」と答えた。

「えっ、違うんですか?」

「うん。正解はね、どれだけボスに気持ちよく仕事をしてもらえるか考えて、工夫すること。まぁ、簡単に言えばボスへの愛、ってことね」

「愛、ですか……」

 彼女の源一会長への想いを知っていた僕には、この言葉にものすごい説得力を感じた。

「先輩が言うと、何か重みがありますよね」

「……あっ、違う違う! あたし、そういう意味で言ったんじゃないからね!? 愛っていうのは、信頼とかリスペクトとかそういう意味!」

 首元まで真赤にして弁解する先輩だが、ここは給湯室で僕以外には誰もいないので、そんなにムキに必要もないのではないだろうか?

「あたしは会長のこと人として尊敬してるし、秘書として信頼されてるのが嬉しいの。それは仕事のやり甲斐にも繋がっていくから」

「なるほど……。まぁ、先輩のこと茶化しちゃいましたけど、俺だって同じようなもんですよね。絢乃さんのために秘書室に異動したわけですし」