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――その日は無事、定時で帰ることができた。
島谷課長も小川先輩からの脅しがよっぽど堪えたと見え、僕に残業を押し付けなかったどころか、「今日は定時で上がりなさい」と気持ち悪いくらい僕に優しかった。
「――いらっしゃい! 早かったな、貢」
兄の勤務先であるレストランに入ると、出迎えてくれたのはホールのスタッフではなく店長の兄だった。というかコックコートで接客って……。
「うん、今日は珍しく残業なかったから。……つうかなんで兄貴が接客してんだよ? 兄貴、キッチンがメインじゃなかったっけ?」
「ああ、まぁな。今、学生バイトのみんなはテスト前やら学祭前やらで忙しくてバイト入れないらしくてさぁ。仕方ねぇからオレとフリーターのメンバーでホール回してんの。――ま、座れや。お冷や持ってってやるから」
「うん……」
兄は本当に予約席を用意していた。そこで僕は、兄にミラノドリアとボロネーゼパスタをオーダーした。「そんなに食って金大丈夫か」と訊かれたので、臨時収入があったのだとだけ答えた。
「――で、臨時収入ってどこから入ったんだよ?」
運ばれてきた料理を(運んだのはもちろん兄だ)美味しく頂いていると、兄は僕の向かいの席にドッカリ座って興味津々で訊ねてきた。どうでもいいが、仕事サボってていいのかよ?
「ちょっと……人の送迎を頼まれてさ。臨時収入はそのお礼で、五千円もらった」
あまり根掘り葉掘り訊かれるのもウザいので、簡潔にそう答えた。が、思わずニヤけてしまったのを兄にはバッチリ見られてしまった。
「……なぁ、それって女の子か? そこんところ、もっと詳しく聞かせろ」
僕は仕方なく、それが会長令嬢である絢乃さんだったこと、会長のご病気のこと、そして僕自身が秘書室に異動しようと決意したことを話した。
「そうかそうか! お前が前向いてくれて兄ちゃんは嬉しい! 頑張れよ!」
「う……うん。頑張る……けど」
僕は困惑した。兄は何に対して頑張れと言ったのだろう? 新しい仕事……にしてはなんか話がズレているような。
「秘書になりたいと思ったの、そのコのためなんだろ? これがキッカケで、お前のトラウマが治るといいな」
「え……いや、まぁ。うん……」
僕の決意を聞いて、絢乃さんへの恋心が兄にもバレてしまったようだった。それ以来、兄は僕の恋の後押しをしてくれるようになったのだった。