「病状が進行しすぎて、もう手術はできないって。通院で抗ガン剤治療を受けることにはなったけど、それでどこまで持ちこたえられるか、って……」

「…………そう、ですか」

 そのまま泣き出した彼女に、僕はそれだけ言うのが精一杯だった。
 彼女はきっと、お父さまが余命宣告を受けたことにショックを受けて泣いているのだと思ったが、それは違うとすぐに分かった。泣きながら、「どうしてもっと早く気づいてあげられなかったのか」「どうして自分じゃなかったのか」とご自身を責めていたからだ。
 僕はそんな彼女の優しさに心を打たれ、同時に(どう)(こく)する彼女の姿に胸が締めつけられる思いだった。でもこういう状況の時、どう慰めていいのか分からず、気の済むまで泣かせてあげることしかできなかった。

 しばらく泣き続けた後、彼女はクルマに積んであったボックスティッシュで鼻をかみながら「ゴメンね、桐島さん。もう大丈夫」と真っ赤に泣き腫らした顔を上げた。
 健気な彼女に前を向いてほしい。そして、僕自身も前を向かなければ……。そんな想いから、僕は彼女にこんなアドバイスをした。
「お父さまの余命を()()()()()()()()()と悲観せず、()()()()()()()()と前向きに(とら)えてみてはどうでしょうか」と。

「三ヶ月もあれば色々できますよ。ご家族で思い出を作ったり、親孝行もできます。お父さまが死を迎えられるまでの覚悟……というか心の準備も十分にできるはずです。これからの三ヶ月間、お父さまとの一日一日を大事に過ごして下さい。何かあれば、何でも僕に相談して下さいね」

 実を言うと、こんなに偉そうなことを言ってのけた僕自身が同じ立場になった時、同じように前を向けるかどうか自信がない。他人の僕だから言えたのかもしれない。
 でも、絢乃さんはこの無責任な僕の言葉で笑顔を取り戻して下さった。お父さまの三ヶ月という余命だけではなく、僕のアドバイスすら善意として前向きに捉えて下さったのだ。


 ――篠沢邸の前で「会社に戻らなければ」と言った僕に、絢乃さんはお礼プラス口止め料として五千円札を握らせた。一度は断ろうとしたが、彼女の強い意志に負けて結局は突っ返すことができなかった。

 紙幣を握らせた時、重ねられた彼女の手のひらのぬくもりがまだ残っているような気がして、僕は彼女がくれた五千円札を大事な宝物のようにそっと自分の二つ折り財布にしまった。