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 ――「源一会長が重病らしい」という話はその日の午前のうちに会社中に広まり、あの島谷課長でさえ「会長は大丈夫なんだろうか」と心配そうな面持ちをしていた。
 もちろん、前日のパーティーに代理で出席していた僕に「昨日はご苦労だった。急に頼んですまなかったな」としおらしい言葉までかけてくれて、僕はある意味「この世の終わりなんじゃないか」と思った。これはもう、天変地異の前触れに違いない。

 というわけで、この日は課長の雑用を押し付けられることなく自分のすべき仕事だけに励んだ僕は、昼休み、社員食堂にいた。

「――桐島くん、お疲れさま」

 真ん中あたりのテーブルでカツ丼を食べていると、向かいの席に小川先輩が座った。彼女が選んだのは唐揚げ定食らしい。

「お疲れさまです……って先輩! なんでいるんですか!? 今日、会長はお休みですよね?」

「うるさいなぁ。秘書っていうのは、ボスがお休みの時にもやることいっぱいあるんだって」

 彼女は僕に顔をしかめつつ、白いご飯をかきこんだ。

「へぇー、そうなんですね。知らなかったな」

 同じ社員という立場なのに、秘書という職種のことを僕はあまり知らずにいたのだ。……まぁ、秘書室は人事部の管轄だし、オフィスも重役専用フロアーである最上階に置かれているので、めったに近寄ることもなかったのだが。

「……あ、先輩。実は俺、近々部署を変わろうと思ってるんですけど、秘書室の人員に空きってあったりしますか?」

「えっ、桐島くん、秘書室に来てくれるの? 人員はそりゃもうガラ空きだよ。働き者のあなたが入ってくれるなら百人力だね。あたしから(ひろ)()室長に話通しといてあげようか?」

「すいません、ありがとうございます」

「いいってことよ☆ あたしと桐島くんの仲じゃない♪ …………ん? 奥さまからメッセージ?」

 先輩は食事中にポケットで振動したスマホのメッセージアプリを開き、ニヤリと笑った。

「そんなあなたに、加奈子さまからご指名がかかったよ。絢乃さん、今日早退することになったから、学校まで迎えに行ってあげてほしい、って」

「学校……って、(はち)(おう)()の茗桜女子に? でも、どうして俺が」

「奥さまは奥さまで、お膳立てしてあげたいんじゃないの? ほら、愛しい絢乃さんが待ってるから、行ってらっしゃい。島谷さんには、あたしも一緒に事情を説明してあげるから」

 ――かくして、僕は会社を抜け出し、絢乃さんが待つ茗桜女子学院までクルマを走らせることとなったのである。