「――はい、桐島です」

 とにかく出ねば、と通話ボタンをスワイプし、まだ若干モゴモゴしている状態で応答した。 絢乃さん、怒るだろうな……と不安だったので、声は少々震えていたかもしれない。

『……あ、桐島さん。絢乃です。今日は色々ありがとう。――今、大丈夫かな? 何か食べてる?』

 カンの鋭い彼女にはすぐに見抜かれてしまったが、その声からはお怒りの様子も呆れられている様子も感じられなかった。むしろ笑うのを必死でこらえられている、という感じがしたのは僕の気のせいか? 僕が無事に帰れたことにホッとされていたからだろうか。

「ええ、大丈夫ですよ。もう自宅に着いて、夜食にコンビニで買ってきたパンを食べていただけですから」

 バカヤロー、俺。何を食べてたかなんていちいち報告する必要ないだろ。絢乃さんとは初対面だったのに、気を許しすぎだ。
 ……と心の中でセルフツッコミを入れていると、彼女は笑いながら「ああ、そうなんだね」と言った。めちゃめちゃ笑われてるじゃん、俺。

『――あのね、桐島さん。さっき、ママと一緒にパパの説得頑張ってみたの』

 ひとりで勝手にヘコんでいると、次の瞬間彼女の声のトーンが真剣なものに変わった。僕は「そうですか」と相槌を打ってから、もういい加減モゴモゴをやめなきゃいけないと思い、「ちょっと待って下さいね」と彼女に言い置いて急いで口に残っていたものをカフェラテで流し込んだ。

「――で、どうでした?」

 早く話の続きが聞きたくて、僕はそう訊ねた。果たして彼女は、お父さまを説得することに成功したのか。……まぁ、おっかない夫人も一緒に説得を(こころ)みただろうし、源一氏が子煩悩(ぼんのう)だというのは有名な話だったので、うまくいかなかったとは考えにくかったが。

『明日ママに付き添ってもらって病院に行ってくる、って。大学病院にパパのお友だちが内科医として勤務してるから、その先生に診てもらうんだって』

 するとやっぱり、説得には成功されたと思しき返事が返ってきて、その声の明るさに僕もとりあえずホッとした。
 それにしても、ご友人にドクターがいらっしゃるなんて源一会長は環境に恵まれている。医者に診てもらうにしても、まったく見ず知らずのドクターが相手よりは知人のドクターが担当になってくれる方がハードルがグンと低くなるだろう。