「ええ、入社した時から乗ってます。でも中古なんで、あちこちガタがきてて。そろそろ新車に買い替えようかと」

 僕は彼女のために安全運転を心がけながら、少し謙遜もこめてそう答えた。でも走行距離はかなり行っていたし、車検をクリアできそうになかったことも事実だ。

「新車買うの? どんな車種がいいとかはもう決まってるの?」

「ええ、まぁ。父がセダンに乗ってるので、僕もそういうのがいいかなぁと思ってます。現金(キャッシュ)でというわけにはいかないので、頭金だけ貯金から出してあとはローンになるでしょうけど」

「そっか……。大変だね」

 意気込んで決意を語った僕に、絢乃さんはそんなコメントをした。
 僕は同情されるのがあまり好きではないのだが、何故か彼女に同情的なことを言われるとイヤな気持ちがしなかった。それは彼女が決してお高くとまっていなくて、その言葉の端に彼女の優しさが滲んでいたからだ。
 幸いにも僕には大金をつぎ込むような趣味はないし、篠沢商事は月収が高いので貯金の額もそれなりにあった。クルマの維持費やアパートの家賃(十二万円)と光熱費やら生活費やらを引いても月に五万円くらいは貯金に回せたのだ。
 とはいえ、初対面の女性にお金の話をするのも野暮なので、絢乃さんにその話はしなかった。

「――ところで絢乃さん、助手席で本当によかったんですか?」

 その代わりに、再度そう訊ねてみると。

「うん。わたし、小さい頃から助手席に乗るのに憧れてたんだー♡」

 という無邪気な答えが返ってきた。僕にはちょっとばかり意外な返答だったので正直驚いたが、彼女のような育ちの女性なら、クルマに乗る時は後部座席というのがデフォルトなのだろう。
 つまり、この夜が彼女にとっての助手席デビューということだ。もっと上等なクルマならなおよかったのだろうが、それは言わないでおこう。

「そうですか……。それは身に余る光栄です」

「え? 何が?」

 思わずポツリと洩らした言葉に、絢乃さんが反応して顔を上げた。独り言のつもりだったのだが、聞こえてしまったらしい。

「絢乃さんの助手席デビューが、僕のクルマだったことが、です」

 可愛らしく首を傾げる彼女に、僕は誇らしい気持ちと照れ臭さ半々でそう答えた。