「というか、選ぶのは俺じゃなくて絢乃さんですから」

「まぁ、そうなんだけどねー。期待くらいはしてもいいんじゃないの? 可能性がゼロじゃない以上は」

「…………俺、女性に期待するのはもうやめたんですよ。また裏切られるのはイヤなんで」

 柄にもなく、先輩にまで食ってかかってしまったが、悲しいかなそれが本音だった。
 それに、絢乃さんクラスの女性になら言い寄ってくる男も大勢いるだろう。それこそ僕みたいにごく平凡なサリーマンなんかじゃなく、青年実業家とか、どこかの御曹司とか。……とか考えていたら、その御曹司を選んで寿退社した()()()()を思い出してムカムカした。


   * * * *


 ――会場に異変が起きたのは、そのすぐ後のことだった。
 源一会長が突然立ち上がれなくなり、絢乃さんと加奈子さんが必死に呼びかけている声が僕の耳にも届き、これは一大事だと察した。
 会長がご病気かもしれないというウワサはすでに社内でも広まっていたが、それはかなり悪化していたらしい。どうしてこうなってしまう前に、誰も気づいて差し上げなかったのだろう。

 本当は僕も駆け寄って絢乃さんに何かして差し上げたかったが、まだお互いに目礼を交わしただけの僕が出しゃばるのは差し出がましいと思い、遠慮した。
 でも会長秘書の小川先輩なら、こういう時は真っ先に駆け寄って行くはずだ。そう思ったのだが、先輩はその場から動こうとしなかった。

「……先輩、行かなくていいんですか? 会長が――」

「分かってるよ。でも、……あたしが言ったところで何もできないし」

 悲しそうに弁解する彼女を見て、僕も理解した。先輩もまた、あの親子に気を遣っているのだと。
 加奈子夫人は彼女の気持ちをご存じかもしれないが、絢乃さんはどうか。高校生ということはまだ思春期で多感な時期だ。たとえ不倫関係ではなくても、自分の父親に叶わない恋心を抱いている女性がいるということを、彼女はどう捉えるのか。――それを先輩は気にしていたのだ。

 そうこうしている間に加奈子さんが迎えの車を呼び、会長は加奈子さんと、会場に現れた運転手と思しきロマンスグレーの男性に体を支えられて会場から退出していった。

 そのまま会場に残った絢乃さんは、困惑する招待客への対応に追われて大変そうだった。父親が倒れて、彼女自身も相当ショックを受けていたはずなのに、それでも気丈に対応していた彼女はものすごく健気(けなげ)だった。