篠沢家のその日の夕食は、パングラタンに鮭のムニエル、サラダというわりと庶民的なメニューだった。パングラタンは前日の夕食メニューだったクリームシチューの残りをアレンジしたものらしい。

「偶然ですね。ウチも昨日はクリームシチューだったんですよ」

 寒い時にはみんな考えることが同じなんだなぁと、僕は妙なところで感心してしまった。

「――あのね、ママ。わたしと桐島さん、今日からお付き合いすることになったの」

 絢乃さんがそう報告すると、加奈子さんは早い段階からこうなると思っていたのだとあまり驚かれていないようだったが、母親としてお嬢さんと僕との交際を許して下さった。
 そして、二人の関係を社内では秘密にしておきたいという絢乃さんの希望を僕からお伝えした時には、「まぁいいんじゃない?」とクールに述べられ、優雅に白ワインなど飲んでおられた。

「――絢乃さん、今夜はごちそうさまでした。では、僕はこれで」

 すっかり暗くなった夜七時過ぎ、食事を終えて帰ろうとする僕を、絢乃さんは玄関の外まで見送りに来て下さった。が、そこでもう一つの嬉しい誤算が僕を待っていた。

「うん。……ねぇ、桐島さん。ファーストキスの上書きなんて、してもらえたりする?」

「は、はい!?」 

 何なんだ、この可愛すぎる提案は? 上目づかいに訴えられた僕は妙にドギマギしてしまった。

「えっと……、昨日のあれが初めてのキスって言うのはわたしも何か後味悪いし、貴方に後悔させたまんまなのも何だか申し訳ないから」

「ああ……、そういうことですか。――いいですよ」

 彼女はあくまで、僕のために提案して下さったらしい。本当に優しい人だ。――そんな彼女の願いを聞き入れ、今度はちゃんと向き合い、彼女が目を閉じてから優しく唇を重ねた。

「……ありがと、桐島さん。わたし、これからは今日のキスがファーストキスだったことにしようかな。昨日のは事故みたいなものだったし」

「…………そうですね。あれはなかったことにして頂いて」

 僕もその方がいいと思った。あんな暴挙はさっさと忘れてもらいたかったというのは僕も同じだ。

「それじゃ桐島さん、おやすみなさい。――これからは恋人同士ってことでよろしく。また来週ね!」

「はい、こちらこそよろしくお願いします! おやすみなさい!」

 僕たちはそれまでと違う気持ちで、別れの挨拶を交わしたのだった。