来て欲しいと頼んだものの、まさか本当に来てくれるとは思わなかったので、廃校になった西高の教室に先生がいるのを見て私たちはひどく驚いた。
 私たちが卒業したのは、担任だった先生が二十六歳の時だ。高校卒業以来、十年ぶりに見た先生の姿は変わらずに若々しかった。
 先生は私たちの元に歩み寄ると泣き出しそうな顔になった。
「おお、恵子、京子、すっかり大人になったな」
 恵子は私、京子は同行してきた私の親友のことだ。私たち二人は三年間ずっと四組で、先生のクラスの生徒だった。
「先生は変わりませんね」
 私がそう言うと、先生は昔と同じように頭を掻きながら答えた。
「まあ、そうだな」
 言い終わると先生は苦笑いを浮かべた。
 廃校の教室には机も椅子もなかったが、立ち話も何だと思った。
「どこかに椅子があるかもしれないので、私、探してきますね」
 そう言い置いて、私は三年四組の教室を出て椅子を探しに行った。廊下を少し歩くと、一組の教室の中にテーブルと折り畳み椅子がいくつか用意されているのが目についた。解体工事の作業員の昼食場所にでもなっているのだろうと思った。
 私はそこから椅子を三つ持ち出すと、三年四組の教室に帰った。
「恵子は相変わらず気が利くな」
 先生が笑った。十年前と何も変わらぬ笑顔だった。
「どうせ私は気が利きませんよ」
 京子が頬を膨らました。
 私は椅子を二つ左右に並べ、向かいに残りの椅子を置いた。私と京子は並んで座り、先生に向かい合った。
「先生、来てくれてありがとうね」
 京子はあっけらかんと礼を言った。
「まあ、約束みたいなものだったからな。あれから十年目の七月か。君たちも大人になるわけだ」
 先生は感慨深げに私たちの顔を交互に見た。

 話を少し戻そう。京子と私が、廃校になった西高の三年四組の教室に来たのは、その約束みたいなもののためだった。
 高三の文化祭で、私たち三年四組の生徒は焼きそばの店を出した。宣伝用に作ったビデオの中に、私たちは当時のドラマの主題歌を入れた。歌詞の内容は「十年目の七月に、この教室で再会しよう」というものだった。
 その歌はすぐに三年四組のテーマソングになった。クラスの仲間でカラオケに行くと、いつも必ず皆で歌った。
 卒業式の日に、「十年目の七月には、先生も含めて、クラス皆でこの教室に集まろう」と京子が言い出して皆が賛成した。
 卒業後も、集まる度に私たちはカラオケでその歌を歌った。色々な感情が交じり合って、時には泣き出す女の子もいた。
 そして昨夜、十年目の七月を迎えた私たちは、久しぶりに居酒屋に集まり、その後は当然のようにカラオケでその歌を歌った。
 その最中、すっかり酔っぱらった京子が突然言い出したのだ、「明日、みんなで三年四組の教室に行こう」と。
 西高はすでに廃校になり、つい最近に取り壊しの工事が始まっていたのは皆が知っていた。だから、日曜日で工事が休みだったとしても、立ち入り禁止と思われる校舎内に入ることに賛同する者はいなかった。社会人としては至極当然のことだ。馬鹿なことばかりしていた高校時代とは違うのだ。
 だが、京子は、未だにそんな高校時代のノリで突っ走る所があった。一人で行かせるのは心配だったので、仕方なく私も京子の暴挙に付き合うことになってしまったのだ。

 久しぶりに会った先生にどう接すればよいのかと迷う私とは裏腹に、京子はさっさと自分たちの近況報告を始めた。
「私たちね、今、一緒にテニスをしているんだ」
「ほう、バドミントンじゃなくてテニスか」
 先生は少し残念そうだった。
 私と京子は高校時代バドミントン部に所属していた。中学時代の私は帰宅部だったが、入学後すぐに友達になった京子に半ば強引に引き込まれたのだ。先生はバドミントン部の顧問だったので、私たちがテニスに転向したのが寂しかったようだ。
 先生の様子に気づいてか、京子は転向の趣旨を語った。
「先生、バドミントンは運動量が多すぎて、もうダメだよ。テニスならお婆さんになっても続けられるしね。それでね、先生、私たち、この間、市のダブルスの大会で三位になったんだよ。まあ、Bクラスだけどね」
「ほう、凄いじゃないか」
 先生は子供のように混じり気の無い笑顔を見せた。
「でもさあ、本当は決勝まで行けたと思うだよね。恵子が弱気にならなければ」
 許せないことに、京子は前回の敗因を私に押し付けた。
「何よ、負けたのを私のせいにする気?」
「5-2でリードしてたのに、恵子が弱気で守りに入っちゃうんだもん、お陰で大逆転負け」
「負けたのは強気に攻めすぎてミスを連発した京子のせいでしょう」
 好き勝手なことを言う京子に少し腹が立った。
 先生は静観を続けていたが、生産性の無い私たちのやりとりが途切れると感想を付け加えた。
「しかし、君たちが今もスポーツを続けてくれているのは元顧問としては嬉しいな。まあ、君たち二人は性格は正反対だけど、案外そういう方が良いダブルスになったりするもんだよ。まあ、次に頑張ればいいじゃないか」
 バドミントンとテニスは共通するところも多いので、先生は私たちのプレーの性質も心得ていた。バドミントンであれ、テニスであれ、京子は攻撃的プレーヤーで、私は守備的プレーヤーだった。
「それで、君たちはスクールにでも通っているのかい?」
 先生の問いには私が答えた。
「いいえ、受講料が高いので、土日に市営のコートで活動しているサークルを私が探して、二人で所属しているんです」 
 私の言葉を聞いて、京子がまた余計なことを言い出した。
「恵子ってさあ、給料を私よりたくさん貰ってるのにケチなんだよね」
「ケチとは何よ。京子が浪費家なだけでしょう。サークルで活動した方が、お金もかからない割には長くプレーができるじゃない。初心者にはタダで指導もしてくれるって話だったしね。それに、あんたみたいな練習嫌いがスクールなんて通ってどうするのよ」
「いやあ、見学に行ったスクールのコーチ、結構イケメンだったじゃない。ああいう人に習えば上手くなるんじゃないかと思ってさ」
「何よその言い草、それじゃあ、高校時代、あんたのバドミントンが余り上達しなかったのは先生のせいみたいじゃない」
「あはは」
 先生が頭を掻いた。
「あれ?恵子は先生がイケメンじゃないって思ってたんだ」
「そ、そんなこと言ってないでしょう」
「へえ、でも、その話の流れだとそういうことになるよ。ねえ、先生」
「さあ、どうかな」 
 先生はまた頭を掻いた。昔からの癖もまるで変っていなかった。
 私たちのおバカな論争に呆れたのか、先生は違う方向に話を振った。
「ところで、恵子は今、どんな仕事をしているんだい?」
「私は大学を出てから市役所に務めています」
「ほう、公務員か。恵子らしい堅実な選択だな」
「恵子は堅実なのは良いけどさ。もったいないと思うんだよね」
 京子が横やりを入れてきた。
「恵子は文学部にでも行って、小説家とか目指した方が良かったと思うんだよね。文才あるんだし。学校新聞に掲載された恵子の修学旅行のレポート、ほとんど小説みたいだったもの」
 そういう夢がまったく無い訳ではなかった。京子もそれを知っていた。痛い所を突かれて、私は少し嫌味を言ってしまった。
「でも、それって、カラオケが上手だから、歌手になれってレベルの話じゃない?」
「何よ恵子?喧嘩売ってんの?」
「あはは。まあ、喧嘩はよせよ」
 先生が止めに入ってくれて助かった。
 そして、先生は今度は京子の方に話を向けた。
「京子、音楽の専門学校はきちんと卒業したのか?」
「うん、卒業はしたよ。ボーカルと作曲を主に勉強したんだけど、誰かさんの言う通り、私は浪費家だったかな。今は派遣で普通の事務員。でも、つまらない仕事でさあ。転職しようと思ってるんだ」
 京子は俯きがちに質問に答えた。
「嘘でしょう。今度転職したら一体何度目になるのよ」
 私が呆れているというのに、先生は大らかだった。
「そうか、まあ、京子も、そううち本当に自分がしたい仕事が見つかるかもしれないから、色々なことにトライしてみるのも悪くないかもな」
 先生は昔と変わらず楽観的に過ぎるような気がした。だから余計な口を出してしまった。
「先生、私たち、もう二十八ですよ。京子には、もう少しビシッと言ってやって下さいよ」
「恵子、まあ、そう怒るなよ。京子だって頑張ってるんだからさ」
 その言葉を聞いて、私は拍子抜けしてしまった。思い返してみれば、先生はいつも楽観的な人だった。そして寛容でもあった。先生は三年間、私と京子の担任だったが、めったに怒らない人だった。
 私たちのクラスは副担任の先生からは「動物園」と揶揄されるほど騒がしいクラスだった。男女とも仲が良く、チームワークは抜群だった。京子を中心に頻繁に馬鹿なことをやらかし、他のクラスの担任からは白い目で見られていたが、先生が私たちを見る目はいつも優しかった。
「『喧嘩するほど仲が良い』って言うけど、なんだか君たちのためにある言葉みたいだな。テニス以外にも何か一緒にやっているのかい?」
 先生が目を細めた。
 早くも元気を取り戻した京子が応じた。
「うん、映画とかコンサートとか一緒に行くよ。後は創作料理を作ったり、グルメツアーをしたりかな」
 創作料理に関しては苦情を言いたかった。
「京子が、『インド人もびっくり』なスパイシーカレーを作るって言うので手伝ったんですけど、味は『日本人もびっくり』でした」
「まあ、『失敗は成功の元』って言うじゃない」
 京子は度重なる失敗を成功につなげていないので、グルメツアーのことも言ってやりたくなった。
「『お腹を空かせて中華料理を美味しく食べるために』って名目で横浜の中華街まで歩かされたけど、連れていかれたお店はお休みだったよね。どうして予め店休日を調べておかないかな」
「横浜の中華街まで歩いて行ったのか、君たちは相変わらずだな」
 高校時代と似たような「馬鹿なこと」を続ける私たちに先生は呆れた。
 京子は悪びれることなく、今度は旅行の話を持ち出した。
「先生、私たち、最近、よく一緒に沖縄に行くんだよ」
「ほう、そうか」
 旅行と聞いて、旅好きの先生は笑顔を咲かせた。
「先生、竹富島にはね、定宿もあるんだよ。そこのお爺さんは、この間、とうとう百歳になったんだよ」
「そうか、凄いな。長生きで」
 感心する先生の顔を見て、私は少し切なくなった。
「君たちは沖縄では何をしているんだい?」
 先生の質問に京子は嬉々として答えた。
「普通の観光の他にも色々やってるよ。シュノーケリングに、山登り、それと天体観測。ああ、私たちね、南十字星も見たことあるんだよ。後はそう、キャンプに、シーカヤックかな」
「シーカヤックってどんな物なんだい?」
 先生に尋ねられて私が解説をした。
「一口で言えば、海用のカヌーです」
「なるほど、君たちの沖縄旅行は随分と盛りだくさんだな」
「お陰で随分と苦労したんですよ。無人島でキャンプをさせられたり、シーカヤックで小浜島を一蹴させられたりとか」
 盛りだくさんの内容に文句を言ったものの、京子は私の苦情に耳を貸す様子もなく、三線のことを話し始めた。
「それとね、私たち、沖縄民謡と三線も始めたんだよ」
 三線とは三味線によく似た沖縄の楽器のことだ。本物はニシキヘビの皮が張られているので、かつては蛇皮線とも呼ばれていた。
 私は、始める時のひと騒動も先生に聞いてもらいたいと思った。
「先生、聞いてくださいよ。京子ったら、初めて一緒に沖縄に行った時に、突然、『三線を買って帰ろう』って言い出したんですよ。しかも、私にもいきなり『本皮の三線を買えって』って強要したんです」
 批判的な私の態度を見て、京子が顔色を変えた。
「何言ってんのよ。『続くかどうか分からないから、安い合成皮革のものを買おう』って言われて、二人とも安い三線を買ったけど、結局、二人とも本皮のものに買い替えたじゃない。恵子みたいなのをね、『安物買いの銭失い』って言うんだよ」
「衝動買いばかりしては後悔してる浪費家に言われたくないわよ。それに最初に買った三線を竹富の宿に預かってもらっているから、苦労して三線を持ち運ぶ手間がなくなったんじゃない。ちっとも無駄じゃないわよ」
 おバカな論争が過熱する前に先生が流れを変えた。
「ほう、わざわざ沖縄まで三線を持って行っていたなんて、中々の根性だな。それで君たちは、今はもっぱら竹富島で三線を弾いているのかい?」
 先生に聞かれて、京子は上機嫌で返答した。
「うん、そうなんだ。宿の軒先とか、浜辺でも練習しているんだよ」
「歌手でもないし、練習なのに、衣装まで着させられてるんですよ」
 私は先生に不満をぶつけた。
「衣装なんかじゃないよ。唯のかりゆしウェアじゃない」
 かりゆしウェアとは沖縄風のアロハシャツと言うべきものだが、色柄は落ち着いていて派手な印象はない。
「カッコから入るのも重要なんだよ。音楽は」
 真理を語るような京子の口調にムッとした。
「何言ってんのよ。芸術の良し悪しは芸術家の外見とは無関係よ」
「あら、恵子、芸術家だったの?専門学校出の私と違って大学出だから文豪ってわけ?」
「そんなこと言ってないでしょう。だいたい京子は・・・」
 京子の嫌味にキレ掛けた私に先生がブレーキをかけた。
「おい、恵子、まあ、そんなにむきになるなよ。ところで君たちは、誰かに三線を習っているのかい?」
 私は少しほっとして、先生の問いに答えた。
「はい。私の家の近くに沖縄料理屋さんがあって、そこの店長が三線教室を開いてくれているんです。教室と言っても、古典民謡専門の格式の高い所ではないんです。民謡もやりますが、ポップスの方が多いくらいで、教室というよりは、サークルみたいな気楽な場所なんです」
 三線教室の話が出ると、京子のテンションが一気に上がった。
「先生、私たち、ついこの間、とうとうライブデビューしたんだよ」
「ほう、凄いじゃないか」
 私は先生の誤解を解かなければいけないと思った。
「違うんです。師匠の沖縄料理店で、プロの人たちの幕間を無理やり任されただけなんです。『そろそろ君たちも、人前で演奏してみなさい』って言われて。ひどい演奏で、ろくに拍手ももらえませんでした」
「恵子がガチガチに緊張してたから、あんなことになったんだよ」
 私が怒り出す前に、先生が助け舟を出してくれた。
「まあ、恵子は京子みたいに音楽の道にいた訳じゃないからね。仕方がないんじゃないかな。これからきっと慣れてゆくよ」
 先生はそう言ってくれたが、私はいつまでたっても慣れそうな気はしなかった。先生の優しさに少々センチメンタルになった私とは裏腹に、京子は相変わらずハイテンションだった。
「先生、私たちのデュオには、ちゃんとステージネームもあるんだよ」
 京子が自慢げに言い出したので、私はまた解説が必要だと思った。
「先生、そんな立派なものじゃないんです。『お客さんの前でやるんだから、とりあえずグループ名はつけておけ』って言われただけなんです」
 そう言われても、京子はなお自信たっぷりだった。
「とりあえずだろうと何だろうと、ステージネームはステージネームだよ。ねえ、先生、私たちのデュオ、何て名前だと思う?」
 京子は嬉しそうに尋ねた。
「そうだな。『京子・恵子』かな?」
「よしてよ。それじゃあ、まるで昭和の漫才コンビじゃない。私たちのデュオの名前はね、『3年4組』って言うんだよ」
「泣けるな」
 先生は両目の下に両方の人差し指を添えてみせた。そうして、それから、逆に私たちに質問を返した。
「ところで君たちは、どんな歌を歌ったんだい?」
 その質問には私が答えた。
「八重山民謡を一曲と、石垣島出身の有名なバンドの歌を一曲です」
 すると、先生は少し残念そうにつぶやいた。
「なんだ、君たちのオリジナルソングはなかったのかい?」
 オリジナルソングと聞いて京子の顔が曇った。京子が答えにくい質問に私が答えた。
「私たち、オリジナルソングなんて作っていません」
「そうか、もしあれば、アカペラでもいいから聴きたかったのに」
 先生はとても残念そうな顔をした。しかし、そこから先生は話を前向きな方向に持っていった。
「でも、まあ。これから作るんだろう、オリジナルソング。恵子の歌詞と京子の曲なんて究極のコンビネーションだと思うけどな」
 先生の言葉に対して、ついさっきまでのハイテンションが嘘のように京子が弱音を吐いた。
「先生、無理だよ。私には世間に評価されるような曲は書けないよ」
 音楽の専門学校に行ったものの、プロのミュージシャンになれなかった京子の言葉は重苦しかった。
 私も京子に追随した。
「先生、私も世間に評価されるような歌詞を書ける自信なんてありません」
 私の状況も京子と似たようなものだった。公務員という職を得て安心した私は、夢だった小説を書き始めた。いくつかのコンテストに応募したが、賞にはかすりもしなかった。心が折れて小説を書くのを止めてしまってから、もう三年が過ぎていた。
 オリジナルソング、それは確かに私たちの意識の底にあった。しかし、それは私たちにとって「禁じられた言葉」だった。それをあっさりと先生に口にされて、私たちは戸惑っていた。
 しかし、そんな私たちの様子を見てもなお、先生は前向きだった。
「なあ、君たちはどうしてそんなに世間の評価ばかりを気にするんだ。今の君たちは、眉間に皺を寄せて売れる歌を作ろうとする必要はないじゃないか」
 先生の言う通りだった。確かに私は眉間に皺をよせて売れる小説を書こうとしていた。京子も私と同様に、いや、私以上に眉間に深い皺を寄せて売れる歌を書こうとしていたはずだった。そして、私たちはそれに疲れて夢を諦めた。
 私たちの様子を見て、少し間を置いてから先生は話の続きを始めた。
「君たちは、自分たちが作った歌を楽しんで歌えばそれで良いじゃないか。ステージに立つ必要なんてない。歌うのは、君たちが好きな竹富島の浜辺だっていいじゃないか。楽しんで歌えれば、聴いてくれるのが、通りすがりの観光客のおじさん一人だって構わないだろう」
 涙が出そうだった。先生の生徒で本当に良かったと思った。しかし、それでも、私たちは「分かりました。やってみます」とは言えなかった。
 俯いてしまった私たちに気を使って、先生はクラスの思い出話に舵を切った。

 話が高校時代の思い出話に変わってしばらくすると、京子が不意に席を立った。
「じゃあ、私、ちょっとトイレに行ってくるね」 
 そう言うと、京子は先生と私を教室に残してさっさと出て行ってしまった。すると先生はその機会を待っていたように語り始めた。
「しかし、君たちは、本当に強い絆で結ばれているんだな。僕にも良い友達はいたけれど、君たちほどの絆で結ばれている奴はいなかったな」
「先生、それは少し大袈裟じゃないですか?」
「いや、そんなことはないと思うよ。例えばだ、君はどうして京子が色々と馬鹿なことを続けてこられたと思う?」
 難しい問いを投げられたと思った。高校時代、私を含む仲良しグループの面々は頻繁にその「馬鹿なこと」に付き合わされた。行事などの時には、クラス全員が付き合わされてこともあった。
「さあ、見当もつきません」
「君がいたからさ」
「え?」
 意外な答えだった。
「君と一緒だからできたんだよ。本当にダメなことをしようとしたら、君がブレーキを掛けてくれると思っていたから、京子は安心して馬鹿なことができたんだよ」
 先生の言うことには一理あるかとも思ったが、振り回された身としては、一言言い返したかった。
「でも先生、私の身にもなってくださいよ。今日だって、『ここに来る』って言って聞かないから、仕方なくついて来たんですよ。高校時代から、いつも振り回されて、気が気じゃなかったんですから。まるでジェットコースターにでも乗せられているみたいですよ」
「ジェットコースターか。なるほどね。でも、ジェットコースターって楽しいだろう?」
 先生は悪戯っぽく笑った。
「なあ、恵子、君は京子に付き合わされたお陰で、随分と自分の世界を広げることができたんじゃないか?」
 それは確かだと思った。
 先生は得意顔で話を続けた。
「中学から送られてきた記録によると、君は人付き合いが苦手で自分の殻に閉じこもってしまう傾向があったそうじゃないか。人は友達次第で随分と変わるものだと思ったよ」
「私はそんなに変わっていませんよ。京子がいなかったら、テニスを始めることも、沖縄に行くことも、三線を弾くこともなかったと思います。京子には感謝しないといけないかもしれませんね」
「その必要はないよ。京子が言いだしたからと言って、もし本当に嫌だったら君は話には乗らなかっただろうし、何年も続けることはできなかったんじゃないかな」
 頷ける話だった。先生は更に続けた。
「それに、京子も自分が好きだから始めた訳で、別に君のために始めた訳じゃないだろう。京子は人のためであっても、無理して嫌なことをやれるタイプじゃないし」
「正にその通りですね。私、京子に一緒にして欲しいことがあって、頼んでみたことがあるんですが、見事に断られました」
「ほう、それは気になるな。どんなことだったのか詳しく聞かせてくれないか」
 先生がやけに興味を持ったので、私は話すことにした。それは二年前の出来事だった。

 その日、私は京子を居酒屋に呼び出し、少々酒が入ってから話を切り出した。
「ねえ、京子、実はね、少子化の影響で、西高を廃校にする案が出ているんだ。だから、私、同窓会にも呼び掛けて『廃校反対』の署名活動を始めようと思うんだけど、協力してくれないかな?西高が廃校になったら、十年目の七月に、あの教室で皆と再会もできなくなっちゃうじゃない」
 聞いた途端、酒を飲んで上機嫌だった京子の顔が一気に曇った。京子が不承知なのは一目でわかった。
「恵子、まさか、あの不確かな約束みたいなもののために西高を残したいの?」
 そう言った後、いつものように突っかかってくるのかと思ったが違った。京子は丁寧に言葉を選んでいたようで、少ししてから静かな口調で話し始めた。
「ねえ、恵子。私にとっても西高の思いでは大切だよ。だから西高に存続して欲しいという気持ちはもちろんあるよ。でもね、少子化で廃校になるのは仕方がないんじゃないかな。恵子もさ、時の流れに逆らうようなことは止めなよ。現実を受け入れて、前を向きなよ」
 なんとなく、京子らしくないものの言い様に思えた。だから、つい私は声を荒げてしまった。
「私を散々色々なことに付き合わせてきたくせに冷たいじゃない」
 ひょっとしたら、京子が顔を歪めて喧嘩になるかもしれないと思った。しかし、京子の顔は優しさ満ち溢れていた。そして京子は穏やかな口調で話し始めた。
「ねえ、恵子。私、恵子に『そんな馬鹿なことは止めておきなよ』って何度も言われたよね。でも、今度ばかりは、私が言わせてもらうね。今さら署名活動なんてさ、『そんな馬鹿なことは止めておきなよ』」

 私が話し終えると、先生は妙に感心していた。
「なるほど、それが今日、君たちがここに来たことに繋がるのか。納得がいったよ」
 その言葉に私は違和感を覚えた。私は、それをそのまま先生にぶつけた。
「そうですか?京子は『時の流れに逆らうな。現実を受け入れて前を向け』って言ったんですよ。私は、京子の二年前の言葉と今回の行動は矛盾していると思います」
 すると、先生はとても優しそうな笑みを浮かべて私に熟考を求めた。
「よく気が利く君なのに、気づいていなかったんだね。京子がどうして今日、ここに来たがったのか、もっとよく考えてごらん」
 そう言われて、しばらく考えてみた。そして、私はようやく京子の本当の気持ちに気づいた。
 京子は自分がここに来たかったわけではなかった。私を連れてきたかっただけなのだと。十年目の七月。廃墟になった教室。私にケリを着けさせるには、最高のシチュエーションだと思ったのだと。
 先生が来てくれたのは京子にとっては想定外だったので、私のケリのつけ方も京子の本来の想定とは異なるものにならざるを得なかった。しかし、私はきちんとケリをつけることにした。京子の思いに応えるべく、私は口を開いた。
「先生、私、京子の気持ちが分かりました。だから、きちんと話すことにします。実は私、二十歳になったら先生に会いに行くつもりだったんです。自分の気持ちを伝えるつもりでした。私、ずっと先生のことが好きでした」
「そうか、ありがとう。嬉しいよ。僕もね、君が二十歳になったら自分の気持ちを伝えに行こうと思ってたんだ。まあ、人生、なかなか思うようにはいかなかったけれどね」
 喜びと悲しみが渦を巻いて一つになった。
「恵子、こんど誰かを好きになったら迷わずに気持ちを伝えなさい。あの頃の僕たちとは違って、お互いに気持ちを隠す必要はないんだから・・・ああ、もはや担任でもないのに偉そうだな。それに、君はもう僕よりも大人なのにね」
 私は、もう先生の顔が見られなかった。泣いてしまうと思った。でも、先生には涙は見せたくなかった。だから、私は席を立った。
「先生、すみません、私もトイレに行ってきます」
 走ってドアの所まで行き、私は慌てて振り向いた。
「先生、あの・・・」
「ああ、心配しなくていいよ。君たちが戻ってくるまでここにいるから」
 私の気持ちは先生に読み取られていた。
 廊下に出て角を曲がると、トイレの前にいる京子を見つけた。泣いていた。近づくと、かすれた声で京子が尋ねた。
「きちんとケリはついた?」
「うん、ついたよ。私の気持ち、きちんと先生に伝えたよ。先生も喜んでくれたよ」
「そう、良かったね」
 直後に私は京子に抱きしめられた。もう、涙を堪えることはできなかった。そうして、私たちはまるで女子高生のように抱き合って号泣した。九年ぶりのことだった。

「やあ、お帰り」
 涙を拭いて教室に戻ってきた私たちを、先生は笑顔で迎えた。
「さて、今日は君たちに会えて嬉しかったよ。でも、そろそろ暗くなるから、君たちはもう帰りなさい」
「はい、わかりました」
 私はそう言うしかなかった。京子は黙っていた。
「さあ、早く帰りなさい」
 先生は私たちをドアの方へと追い立てた。高校時代、放課後遅くまで教室に居座って馬鹿話をしていた私たちは、よく先生に追い立てられて教室を出たものだった。あの頃と何も変わらないような気がした。
「じゃあな」
 私たちを教室から締め出した後、戸口に立った先生が言った。まるで高校時代と同じ、明日もまた会えるような口ぶりだった。
 京子は何も言えなかったが、私はきちんとお別れを言おうと思った。
「さよなら、先生」 
 言った後、一瞬俯いて顔を上げると、先生はもうそこにはいなかった。
 そして、私たちは三年四組の教室に背を向けて昇降口の方に歩き始めた。もう、決して振り向くまい、前を向くしかないのだと思った。その気持ちは京子にも伝わっているような気がした。
 昇降口の扉を開きながら、私は京子に自分の想いを伝えた。
「ねえ、京子、私、歌詞を書くからさ、京子が曲をつけてよ」
「やだ。私が作った曲に恵子が歌詞を付けてよ。今はそれが主流なんだから」
 このタイミングで京子が突っかかってくるとは思わなかった。言い返してやろうかと思ったが、私は大人らしく受け流すことにした。
「まあいいか。両方やってみようよ。そして、私たちの歌ができたら、最初に先生に聴かせに行こうよ」
「うん、でも、お墓の前で三線弾いて歌ったりしてもいいのかな?」
「私を散々馬鹿なことに付き合わせておいて、今更よく言うわよ」
「ああ、そうだね」
 私たちは顔を見合わせて笑った。
 先生やクラスメートと過ごした時間は二度と帰って来ない。先生はもういないし、私たちの青春を育んだ教室も間もなく姿を消す。馬鹿なことばかりして過ごした四組の日々はとっくに終わったのだ。だけど・・・京子と私の『3年4組』はまだ始まったばかりだ。