コーヒーショップを出たボクたちは、モールの中を散策することにした。ユキホにくっついて、ファッション系のショップを冷やかして回る。
「女の子って、ほんと服好きだよね」
「だって、見てるだけでも楽しいじゃない」
「わかんないなぁ。そういうもん?」
 そうは言ってみたものの、本当は女の子の服って可愛いって思うし、ボクも見ていて楽しい。こんな可愛いものを身につけられるんだから、そりゃお洒落は楽しいだろう。
 思えば幼い頃からずっと、女性に囲まれて育ってきた。うちは母さんと二人暮らしみたいなものだし、遊び相手と言えばユキホだったし、ユキホのお母さんもよくボクの相手をしてくれた。そんな環境で育ったのだから、自然と女の子らしいものが好きになっていったような気がする。
 母さんもボクの好きなものを否定することはなかったし、変身ベルトのようないわゆる男の子のオモチャを無理に買い与えることもなかった。
 ボクは自分の好みを、とてもニュートラルだと思っている。だけど一般的と言われる価値基準から見れば、きっと少女趣味ということになってしまうのだろう。それくらいの認識は、ボクの中にある。小学校の頃から、散々からかわれ続けてきたのだから。
「ねぇ、ちょっと待って!」
 呼び止めるユキホの視線の先には、水着のディスプレイがあった。
「これ可愛い!」
 駆け寄ったマネキンには、黒い水着が着せられていた。上下セパレートではあるのだけれど、ボクの知っているビキニとはなんだか違う。
「ねぇ、これよくない? 可愛いよね!」
 ビスチェブラ……というらしい。黒地にヤシの葉のトロピカルモチーフが入ったトップスは、ブラの下側にも生地が延びていて、たしかにビスチェみたいだ。
「わぁ、いいなぁ。可愛いなぁ。買っちゃおうかな……」
「気が早くない? まだ五月だよ?」
「可愛いのから売れていくんだからね! 今のうちにおさえとかないと」
「だって、海に行かないかもしれないじゃん」
「絶対に行くよぉ、海近いんだから。海で夏合宿やるって言ってたし、水着必須だよ」
「夏合宿?」
「うん、軽音のね。ビーチフェスに向けて特訓するんだってさ」
「出るんだ……。ビーチフェス」
 柚子崎では毎年、八月の初めにビーチフェスが開催される。ビーチの特設ステージで行われるアマチュアバンドのフェスで、海水浴客も巻き込んでかなりの盛り上がりをみせる。柚子崎も鷺丘も、バンド活動が盛んな街だ。音楽イベントが開催されれば、否が応でも盛り上がってしまう。
 そしてフェスと称してはいるものの、その実コンテストだったりもする。優勝バンドには賞金だって出るし、受賞すればメジャーデビューの可能性があるとかないとか……そんな噂もあって、出演バンドの鼻息は荒い。
「そりゃ出るでしょ。野球部で言えば、甲子園(こうしえん)みたいなもんだし!」
 言いながらユキホがビスチェブラを手に取り、自分の胸に当てて鏡に向かう。思わず、ビキニ姿のユキホを想像してしまう。今までユキホの水着姿といえば、スクール水着かワンピースの印象しかなかったのだけれど、ビキニとはまた思い切ったものだ。
「なぁ、ワンピースの方がよくない?」
 思わず、余計なことを言ってしまう。
 小首をかしげたユキホが、鏡ごしにボクの視線に気づく。
「あぁ、大丈夫だよ。ビキニ着られるくらいには成長してるから」
 そう言ってユキホは服の上から、自らの胸を寄せてみせた。
「ちょ、やめろよ! そんな……」
 思っていたよりボリュームのあるユキホの胸。あまり意識したことがなかった。直視できずに、思わず目を逸らしてしまう。
「ウブだなぁ、ジュンちゃんは」
「だから、やめろって!」
 思わず売り場から離れるボクをよそに、ユキホがビスチェブラの水着を持って試着室へ向かう。しばらくして戻っててきたときには、当然のように紙袋を抱えていた。
「買ったんだ……」
「もちろん!」
 思いがけずお気に入りの水着が見つかり上機嫌のユキホは、ボクにまで水着の購入をすすめる始末だ。
「選んであげるからさ、ジュンちゃんも買いなよ」
「海とか行かないから」
 再び二人で、モールを歩きだす。
「なんでよ。軽音に入るんでしょ? 合宿で要るよ?」
「入んないし……」
「え? なんで!? 吹奏楽部に入ってないから、てっきり軽音に来るものだと……」
「んー。どっちも入らない……かな」
「なんでよ! 軽音に来なよ。ヒデくんも待ってるよ!?」
「だって、人前で歌うとか……無理だし……」
「大丈夫だって! セッションしたとき、上手かったじゃん」
「フェスとかライブとか、大勢の前で歌うんでしょ? ありえないよ……」
「もう、いつもそうなんだから! そんな引っ込み思案じゃ……」
 そこまでまくし立てて、ユキホは息をのむ。
「ごめん……」
 気まずそうに眉根を寄せ、小さくつぶやいた。
 幼い頃からユキホは、引っ込み思案なボクのことを何かと助けてくれた。そして、助けられるたび、ボクが複雑な感情を積もらせていることにも気がついている……。
 解っている。ユキホは何も悪くない。謝るようなことなんてないのだ。悪いのはいつも、煮え切らないボクの方なのだから。
 けれども解っているからといって、積極的になれるものではない。ユキホみたいに、何でも前向きに取り込むことができたら、きっと素敵だろうと思う。だけど、それができるのなら苦労はしない。
「謝んなって。ユキホは悪くないし」
「うん……でも、ごめん……」
「だから、いいって……」
 気まずい雰囲気のままでモールを歩く。
 さっきまでテンションが上がりに上がっていたのが嘘のように、ユキホはすっかり意気消沈してしまった。
「あのさ……」
 声をかけても返事はなく、うつむいたままボクのあとを着いて来るばかりだ。
「あの、水着……。選んでくれないかな?」
 いたたまれなくなって、思わず口を突いた言葉がこれだった。
「海、行かないんじゃないの?」
「なんだよ。一緒に行ってくれないの?」
 ユキホの表情が、一気に明るくなる。
 結局ボクは、ユキホの見立てで水着を買うことになった。選んでくれたのは黒地のサーフパンツタイプの水着で、随所にヤシの葉のモチーフが散りばめられ、腿のあたりには大きなフラミンゴのプリントがある。黒と緑そしてショッキングピンクのコントラストが、とても鮮やかなデザインだ。
 会計を済ませ、水着が紙袋へ入れられる様子をながめながら気がついた。水着のデザイン、さっきユキホが買った水着とすごく雰囲気が似ている。
 紙袋を受け取って振り返ると、満面の笑みでユキホが手を振っていた。

 モールを出る頃には、夜の帳が降り始めていた。
 シャトルバスの乗り場は長蛇の列だったけど、半日歩き周ったボクたちには歩いて帰る元気なんて残っていないから大人しく列に並ぶ。
 モールから吐き出される人の波が、こぞってバス乗り場と駐車場へ流れていく。よくこれだけの人が、モールの中に収まっていたものだと感心する。
 ぼんやりと人の流れをながめていると、雑踏の中に流れに逆らって歩く男女の姿が目に付いた。駐車場の方向からモールに向かって歩く二人のシルエットは、周りの人たちよりも背が高くスタイルがいいから目立っている。
 美男美女の取り合わせって実際にあるんだなどと変に感心していると、街灯の明かりが薄闇の中に男性の姿を照らし出した。
「えっ! ヒデさん!?」
 思わず声に出てしまった。照らし出されたのは、確かにヒデさんだった。
 ボクの声に、ユキホも二人の姿を見やる。
「ほんとだ。ヒデくんだ。てか、一緒に居るのサアヤさんじゃん」
「サアヤさん?」
 ピッタリと寄り添って腕を組み、ヒデさんに楽しげな笑顔を向けている。
「アニキやヒデくんのライブに、よく来てる人だよ」
「へぇ……」
「相変わらず派手だなぁ……」
 茶色の長い巻き髪に、黒いタイトなワンピース。決して派手な装いではないのだけれど、かもす雰囲気はユキホが言う通り確かに派手だ。夜になろうというのにサングラスをはずさないのは、顔を隠しているのか、ファッション的なこだわりなのか。
「バンド系の人って、なんで黒が好きなんだろう」
「わかる……みんな黒好きだよね」
 口を突いた感想に、ユキホが吹き出した。
「声かける?」
「やめた方がいいかな……きっと訳アリだし」
「訳アリ?」
「サアヤさん、人妻だから」
「うへ……」
 お相手が人妻と聞いて、ヒデさんのことが解らなくなってしまう。まだ数えるほどしか会っていないのだから、理解できるはずもないのだけれど。
 壁ドンで迫ってきたヒデさん、シドさんと付き合っていたヒデさん、人妻と連れ立って歩くヒデさん……それぞれを別人のように感じてしまい、なんだか混乱してしまう。
 気づけばユキホが、ボクの顔を覗きこんでいた。
「大丈夫? 顔色悪いよ?」
 心配されるほど、ひどい顔をしてるのだろうか。
 胸が締めつけられるように苦しい。
「サアヤさんの買い物に付き合ってるとか、食事に付き合ってるとか、きっとそんな感じだよ。ほら、ヒデくんの恋愛対象って、男の子だし……」
「でも腕組んでたよ……楽しそうに」
「腕くらい組むよ。ワタシたちだって恋人じゃないけど、手くらいつなぐでしょ?」
 ユキホの温かい手が、そっとボクの手を包む。ボクたちが手をつないでいたのなんて、小学生の頃の話だ。
 シャトルバスが到着し、前のドアからまばらな乗客が降りていく。バスを降りた人たちは、みなモールの方へと歩いていった。
「ユキホ……」
「なに?」
「おまえ、いいヤツだな……」
 ユキホが、照れた笑いを浮かべる。
「気づくの遅いし……」
 甲高いブザーと共に後ろのドアが開き、バスの中に人の列が雪崩れ込んでいく。ギリギリ乗れるんじゃないかと思っていたけど、ボクたちの二組前で満席になった。
 乗客で一杯のバスは、苦しそうなエンジン音を響かせながら走り去っていく。
 次のバスが来るまでの間、ユキホはずっとボクの手を握っていてくれた。