トールサイズのキャラメルマキアートとカフェラテを両手に店を出る。外のテラス席で、ユキホが席を取っているはずだ。
 外ではすぐに冷めてしまうだろうと思って、エクストラホットにしてもらった。両手に熱々の……何だっけ、この店ではビバレッジと呼ぶんだっけか……とにかく熱々の飲み物が入った紙カップを持ってるのに、熱さを感じないってのはちょっとした感動だ。ダンボールでスリーブを作るだなんて、いったい誰が思いついたのだろう。手元のカップを見やると、店のお姉さんが描いてくれた猫のイラストが、ボクを見上げていた。
 隣街の鷺丘(さぎおか)アウトレットモールまで買い物に来ている。いや、ユキホの買い物に付き合わされている……と言った方が正しいだろうか。
 ゴールデンウイークのモールは、ウンザリするほど人が多い。娯楽の少ない我が街の住人は、こぞってこのモールに集まるのだ。駐車場も大きいし、柚子崎(ゆずさき)からもシャトルバスが出てるし、自転車で来ることだってできる。このモールは、アクセスが良すぎるのだ。
 ボクたち高校生だって例外じゃなく、休日をモールで過ごすヤツは多い。だから学校の知り合いと鉢合わせすることだって少なくないのだ。どうして休みの日まで、学校の奴らと顔を合わせなきゃならないのか……ボクにとって、あまり来たい場所ではない。いや、鉢合わせ以前の問題として、人混みがあまり得意ではないのだ。
 休憩がてら入ったコーヒーショップもひどい混雑で、中のソファーは諦めて外のテラス席に陣取ることにしたという訳だ。ボクに気づいて、ユキホが大きく手を振っている。さすがはユキホ……ちゃんと日陰の席を押さえている。
「おまたせ。ホットでよかったよね?」
 ユキホにカフェラテのカップを差し出す。
「ありがと。いくらだった?」
「いいよ、おごっとく」
「買い物つきあってもらったんだから、ワタシがおごるよ」
「いいって」
「ほら、悪ふざけのお詫びもあるしさ」
「あれをラテ一杯で済まされてたまるかよ……」
 ユキホが教室で「ヒデくん、ジュンちゃんにコクるつもりらしいよ!」と叫んだおふざけは、五月になった今でも尾を引いている。人気者のヒデさんの噂は、恐るべきスピードで学園を駆け巡るし、拡散範囲だって相当なものだ。ヒデさんのお相手にされてしまったボクは、校内を歩けば未だに違うクラスや上級生にまで指を差される始末だ。
 ユキホの向かいに座り、キャラメルマキアートのカップからフタを外す。シュガーのスティックを二本、カップの上で折って、甘いキャラメルの香を楽しみながらマドラーでかき回す。
「あいかわらず甘党だねぇ……」
 カフェラテをすすりながら、ユキホがあきれ顔でボクの手元を見詰めていた。
「甘い方が美味しいじゃん」
 温かくて甘いものを飲めば、いつだって幸せな気分になれる。
「ジュンちゃんは、いつまでたってもオコチャマだなぁ」
 そう言って、ユキホが肩をすくめる。
「オコチャマじゃないし。それにユキホさ……」
「なに?」
「ちゃん付け、やめない? もう高校生なんだしさ……」
「じゃ、なんて呼べばいいのよ」
「呼び捨てとか? ジュンでよくない?」
 あの日、軽音の部室でヒデさんは、ボクのことをジュンと呼び捨てにした。下の名前を呼び捨てにされるなんて、なんだか新鮮だった。母さんですら、ボクのことをちゃん付けで呼ぶのだから。正直に言うと、内心うろたえていた。でも、悪い気はしなかった。
 ユキホが小首をかしげながら、くるくるとカフェラテのカップで円を描く。長い黒髪が、カップを回すたびにゆらりと揺れる。
「うーん。やっぱりジュンちゃんはジュンちゃんだよ……」
 そう言ってユキホは、目を細めて笑った。
 ユキホとは家が近いし親同士の仲がいいから、昔から姉弟のようにして育った。三ヶ月だけユキホの方が誕生日が早い。小さな頃はそれだけのことで姉貴ヅラして、ボクを子分のように連れ回していた。もしかすると今でも、その関係は変わってないのかもしれない。
 ユキホには、四つ上のお兄さんがいる。ユキホはお兄さんのことが大好きで小学生の頃はどこにでも着いていこうとしたのだけれど、お兄さんは男の子だけで遊ぶのが好きだったし、ユキホが着いてくることを嫌がっていた。置いてけぼりを食らって泣き出しそうなユキホの相手をするのが、あの頃のボクの役目だった。
 幼い頃から、女の子のようだと言われて育った。母さんの話では、どこへ連れて行っても可愛い可愛いと褒められるものだから、気をよくして女の子らしく育てたのだと冗談のように言っていた。だけど意外と、冗談ではないんじゃないかと疑っている。小学生の頃ピアノを習わされていたのだって、もしかしたら女の子らしい嗜みを身に着けさせたかったからじゃないだろうか。
 そう言えばピアノが弾けることも、からかいのネタになっていた。女の子みたいだとか、男女だとか、オカマちゃんだとか……そう言ってからかわれることが、ボクは心の底から嫌だった。けれども嫌がれば嫌がるほど、相手はさらに調子づく。男らしくすればからかわれないのかと思ったけど、どうすれば男らしくなるのかまるで解らなかったし、今でもどうすればいいのか解らずにいる。
 小学校の行き帰りは、いつもユキホが一緒だった。学校から帰っても、ユキホと一緒に遊んでいた。クラスメイトからは当然、恋人だ夫婦だとからかわれた。それが嫌で、ユキホを遠ざけていた時期もあった。そうすることで、少しくらい男らしくなるんじゃないかとも思った。
 だけどユキホは、すぐにボクの側に戻ってきた。後から知ったのだけれど、ユキホはからかってきた男子を力づくで黙らせていた。それくらいの気の強さが、ユキホにはある。
 中学の頃だって、状況は似たようなものだ。男友達ができたりもしたけれど、あまり趣味が合う奴はいなかった。相変わらず女の子みたいだとからかわれていたし、いじめられこそしなかったけど、ことあるごとにネタにされた。
 気にすることはないとユキホは言う。顔がいい方が、最終的には勝ち組になるのだと。だから引け目なんて感じず、堂々としてればいいのだと。
 だけどボクは、そんな風には考えられない。どうしても自分の容姿が、そして立ちふるまいが、女の子のようであることが嫌でたまらない。
「どうしたの? ボーッとしちゃって」
 不思議そうな表情でユキホが見詰めていた。
「あ、いや……なんでもない」
 あわてて一口、キャラメルマキアートを流し込む。軽音の部室に呼び出されたあの日から、どうも考えごとをする時間が多くなってしまった。
 いぶかしげな眼差しを向けながら、ユキホが小さなため息をつく。
「ねぇ、ヒデくんと何かあったの?」
 飲みかけていたマキアートを、思わず吹き出しそうになる。
「な、なんだよ。急に……」
 平静を装ったつもりだったけど、声が裏がえってしまった。
「だってさ、ヒデくんに呼び出された日のこと、何も教えてくれないじゃん。いくら誘っても、部室に来てくれないし。だから、ヒデくんと何かあったのかなーって」
 ユキホの勘が鋭いのか、それともボクの頭の中が漏れ出しているのか……。
 どっちにしたって言える訳がない。唇を奪われただなんて……。
「ヒデくん、ジュンちゃんの歌すごく気に入ってたよ。勧誘したのに部室にきてくれないって、いつも嘆いてるけど」
 部室に行ってみようとは、何度も思った。でも、どんな顔をしてヒデさんに会えばいいのか解らず、行きあぐねている間に連休に突入してしまったのだ。
「ヒデさん、他になにか言ってなかった?」
「他にって……やっぱりなんかあったの?」
「なにもないってば……」
 いちいち冴えている。気軽に会話すらできやしない。
「ヒデくん、ゲイだしねぇ。ジュンちゃん可愛いから、タイプなのかもね」
「ば、ばっか。なに言ってんだよ。そんな訳……」
「……冗談よ。なに、慌ててんの」
「あ、慌ててないし!」
 焦りを隠しきれないボクを、またもや訝しげにユキホが見詰める。
「ムキになるところが怪しいぞ。でも、ヒデくんって可愛い系より、ワイルド系の方が好みだしね。ジュンちゃんはないか」
「ヒデさんの好みなんて、なんでユキホが知ってるんだよ」
「なんでって、付き合ってたから」
 ふたたびマキアートを吹き出しそうになる。
「へ? ユキホが!?」
「なんでよ!」
 今度はユキホが、カフェラテを吹き出しそうになっている。
「ちがうの?」
「違うわ! アニキよ、アニキ!」
「アニキって……シドさん??」
「一年ほど付き合ってたんだわ、あの二人。今は別れたみたいだけど」
 そう言えばヒデさん、男と別れたばかりとか、そんなことを言っていた。
「アニキもバンド長いじゃない? そっち関係で知り合って……って感じ。ヒデくんがワタシを知ってたのも、アニキ絡みで何度か会ったからだよ」
 シドさんって、男らしくて、荒々しくて、自信に満ちあふれてて……ボクとまるで正反対じゃないか。そうか。ヒデさんって、シドさんみたいな人がタイプなのか……。
「どうしたの? しょんぼりして」
「しょんぼりしてないし!」
「二人が付き合ってたの、もしかしてショックだった?」
「いや、ショックっていうか……」
 ショックじゃないと言えば嘘になる。でもきっと、二人が付き合っていたことよりも、自分がヒデさんのタイプじゃないってことにショックを受けてるのだろう。
 あの日ヒデさんは、ボクを気に入ってると言ってくれた。それなのにボクは、ヒデさんのタイプじゃないらしい。あの言葉は嘘だったんだろうか。あの場のノリで発せられた、それだけの言葉だったのだろうか。
「うーん。よく解んないけどさ、ヒデくんを好きなんだったら応援するよ? ジュンちゃんが男の子を好きになるなんて、ちょっと意外だけどさ」
「ち、違うし! そんなんじゃないし!」
 思わず大きな声が出てしまう。
「なによぉ。照れなくてもいいのに」
 ニヤニヤと、ユキホが下世話な笑みを浮かべる。
 この手の話題になると、女の子はどうして嬉々として勢いを増すのだろうか。マキアートを飲み干すまでの間、ユキホの執拗な追求を躱し続けるはめになってしまった。