少女、ガーナ・ヴァーケルの故郷は凍り付いた森に囲まれている田舎にある。
 フリアグネット魔法学園の長期休みを利用して故郷に戻っていたガーナは自室の整理整頓をしていた。

「これで全部かな」

 その日暮らしの田舎生活をしていたとはいえ、ガーナの自室には物が溢れている。

 その多くは首都で暮らしている兄から貰った物であり、兄を恐れる両親が金銭価値を理解していながらも手を出さなかった為、部屋に取り残されたのだろう。

「……あれ?」

 立て付けの悪い本棚の奥に隠されていた古びた本を手に取る。

「こんな本、あったかなー?」

 題名は掠れてしまっており読めない。

 中を見てみるが、現代では使われない古代語で書かれているようだ。

「兄さんの忘れ物かな?」

 ガーナが帰省する時期に合わせて帰ってきていた兄は先に出発をしている。

 仕事柄、長期休みは貰えないのだと笑っていた兄を思い出す。

 ……古代語の予習に役立つかも。

 本棚に戻そうとしていた手が止まる。

 首都ヴァーミリオンに行く機会があれば会うこともあるだろう。

 その時に本を返せばいいのではないかという誘惑が頭を過り、無意識のうちに本を荷物の中にいれていた。

 ……リンなら読めるかもしれないし。

 行動を共にしている友人ならば古代語を習得しているかもしれない。

「ガーナ! 準備はできたのー!?」

 躊躇なく扉が開けられた。

 端切れを繋ぎ合わせたエプロンを身に着けた体格のいい女性、ココア・ヴァーケルは広がっている部屋の状況を目の当たりにし、大きなため息を零した。

「自分でできるって言ったじゃないの」

「えへへ。ママ、私もできると思っていたのよ」

「アンタが来る前よりも広げてどうするの」

 ココアは呆れたような表情を浮かべていた。

 一目で親子であることがわかる容姿をしているココアは部屋を見渡した。

 ガーナが準備をすると宣言して部屋に戻った時よりも、荷物が散らばっており、とても片づけをしようとしていたとは思えない惨状だった。

「だって、見たことがない本があったんだもん! これ! 兄さんが置いていったんでしょ!?」

 荷物の中から先ほどの古びた本を取り出す。

「兄さん、なんか言っていなかったの?」

 それに対してココアは眉を潜めた。

「……ママ?」

 何も言わないココアに対し、ガーナは不安そうな声をあげる。

 ガーナは兄を慕っている。

 しかし、両親たちは兄のことを良く思っていなかった。

「片づけは後にしな。ご飯が冷めちまうよ」

「はーい」

 部屋から立ち去ったココアの後を追いかける為、ガーナは立ち上がる。

 その際、本を荷物の中に仕舞うことを忘れなかった。

 それから力加減によっては軋んだ音が鳴る床に穴が開かないように気をつけながら扉に向かう。

「ママ。明後日には寮に戻るからね」

「ずいぶんと早くに戻るんだねぇ。……そんなに忙しいのかい?」

「ううん。授業が始まる前にライラと買い物をする約束があるのよ!」

 扉を片手で閉めたガーナは気づいていなかった。

 荷物の中に紛れ込ませたはずの本から虹色の妖しい光が放たれ、その光はガーナの部屋の中を包み込んでいた。

「そうかい。王女様に迷惑がかからないようにするんだよ」

「大丈夫だよ! 私とライラは唯一無二の大親友なんだからね!」

 僅かに扉の内側から漏れる光に気付くこともなく、ガーナは早々とリビングに向かってしまった。

 眩い光が収まった後、本は消えていた。

 その後、ガーナはその本の存在を思い出すことはなかった。


* * *


 その日の夜、ガーナは妙な夢を見た。

 目の前で捲られる古びた本を眺めているだけの夢だ。

 その本には様々な出来事が描かれている。――帝国を守護する七人の始祖の話や聖女の話、革命の危機を乗り越えた話など一度では理解をすることが難しい内容だけではなく、家族愛を語ったものや悲劇の恋等、様々な内容が書かれていた。

 ……私、この話を知っている。

 ガーナはそれを眺めている。

 ……聖女様の悲しいお話だわ。

 それだけなのにもかかわらず、それは哀しい物語の開幕なのだと悟っていた。


* * *


 ライドローズ帝国には神様がいる。

 それは千年以上も前、帝国の危機を救う為だけに異質な力を与えられた少年少女たちの成れの果ての姿である。

 かつて帝国の為だけに命を捧げた少年少女たちは、帝国の始祖として崇められ、この国を永久に守る守護神として祀られる。

 そこには彼女たちの意思は必要なかったのだろう。

 そこには彼女たちの大切なものはなくなってしまっただろう。

 ただ帝国の繁栄を永久に願ってしまった者たちに呪われてしまった彼女たちは役目を果たすことだけが生きることになっていた。

 帝国全土に広がっている魔法【物語の台本(シナリオ)】を維持することにより、都合の良い展開を生み出し続けている。

 それに疑問に思う人が現れたのは、僅か、百年前のことだった。

「……失望したと怒るかしら」

 かつて、誰よりもライドローズ帝国を愛した男性がいた。

 帝国の為ならばなんでも手に掛けてしまう恐ろしい男性だった。

 彼の名は、ミカエラ・レイチェル。

 神聖ライドローズ帝国の四代皇帝として君臨し、帝国を愛するからこその悪行の数々に手を染めた偉大な人物だった。

「失望されたって構わないわ」

 女性、マリー・ヤヌットは自分自身に言い聞かせる。

「もう、戻れないのだから」

 マリーは、ミカエラを愛していた。

 いや、長い年月が流れても愛し続けているからこその行動だった。

「陛下」

 ミカエラが生み出した【物語の台本(シナリオ)】が保存されている誓約の塔に忍び込み、床に描かれている魔方陣を睨みつける。

「もう終わりにしましょう」

 絶望に塗れた目をしていた。

 何日も泣き続けたような充血をした目を擦ることもせず、魔方陣の中央に足を踏み入れ、ゆっくりと片膝をつく。

「陛下」

 愛する人の為にならば喜んで命を捧げるくらいには愛していた。

 その気持ちは九百年経った今も変わらない。

「陛下は、ただの村娘だった私の手を取ってくださったのに」

 ミカエラは、生まれ育った帝国を愛し、帝国の為に生きた人だった。

 ミカエラが頂点に君臨していた時代を生きた人たちは、皆、彼こそが神様だと崇め慕っていた。それ故に、彼の最期には誰もが嘆き哀しんだ。