放課後、ばあちゃんと交代する形で俺は【にわとり】のレジカウンターに立った。

 店の名前の由来は説明するまでもなく名字が丹羽だからだ。地元には娯楽施設はおろかショッピングモールすらないため、小学生くらいの子どもの半数は学校帰りにここに立ち寄ってくれる。

「はいはい、順番にレジに並べよ。俺にじゃんけんで勝ったら好きなものひとつ持ってっていーからな」

 店には駄菓子だけじゃなく、ガラス瓶いっぱいに詰められたビー玉や、カラフルなスーパーボール。色んな形の消しゴムやアイドルのカードの他にも、レジカウンターの上には、ヒヨコの水笛がぶら下がっている。

「ちぇ、じゃんけん負けたー」

「もう、レジの兄ちゃん強すぎだろ!」

 俺は小学生相手にも容赦はしない。ぶーぶーと文句を言いながら帰っていく子どもたちは、きっと明日もここに来る。

 横の繋がりが根強く、狭いコミュニティで成り立っている町だけど、なんだかんだ言いながら俺は【にわとり】も含めて、この場所が好きなんだと思う。

「清太兄ちゃん、またなー!」

「おう、気をつけて帰れよ」

 店の前にあるレトロゲームで遊んでいた中学生を見送る頃には、すっかり日が沈んでいた。店の閉店時間は毎日異なるが、遅くても十九時にはシャッターを下ろすことにしている。

「結局、来ないじゃん、あいつ」

 蟬の声が止んだ代わりに、田んぼや小川からグワッグワッというカエルの鳴き声が響いている。ばあちゃんから預かった鍵でシャッターを閉めようとしたら、後ろで自転車のブレーキ音が鳴った。

「ハア……ッ、遅くなった!」

 勢いよく現れた三嶋の息は、昼間と同じように乱れている。どうやら今までオンライン塾を家で受けていたらしい。

「今日は全国模試の確認授業だったら一時間くらいで終わる予定だったんだけど、ちょっと長引いて……。もう店って終わり?」

「あー、まあ、なにか買うもんがあれば入っていいよ」

 半分まで閉まっているシャッターから手を離した。

 三嶋が選んだのは、炭酸が閉じ込められている冷えたラムネ瓶。「ご贔屓にどうも」とレジを通すと、三嶋はなにかを言いたげな顔をしていた。

「ああ、忘れてた。じゃんけんね」

 運試しのラッキーじゃんけん。昨日とは逆にチョキを出した三嶋に対して、俺はグーを出した。まるでデジャヴのように、三嶋はチョキの手をしたまま固まっていた。

「お前は本当にわかりやすくてよえーな」

 そんなんじゃ一生俺に勝てないかもなーなんて、わざと挑発するように言いながら、俺たちは再び外に出た。意気消沈して帰ろうとする三嶋を呼び止め、店先のベンチを指さす。

「ちょっと付き合えよ」

 俺の手には、青みがかった自分のぶんのラムネ瓶が一本。瓶の蓋を下に押し込むと、ポンと音を立てて白い炭酸が溢れ出てきた。こぼさないよう一気にラムネを胃の中へと流し込む。

「ぷはーっ! 生き返るぅー!」

「え、おじさん?」

「ラムネっていうのは、こうやって飲むんだよ」

「ふっ、ははは。清太は変わんないなー」

 三嶋が、くしゃりと笑った。『変わらない』の意味を問う間もなく、俺と同じようにラムネを一気に飲んでいる。

 瓶を傾けるたびに涼やかな音を奏でるビー玉。その音は自然と懐かしい記憶を呼び覚ました。


『このビー玉って、取れないのかな?』

それは、彼女と過ごした三回目の夏。【にわとり】のベンチに並んで腰掛け、意気揚々とラムネの飲み方を教えてあげた後、みいちゃんは不思議そうに透明な瓶を太陽にかざしていた。

『じゃあ、ビー玉取ってみる?』

『どうやって?』

『簡単だよ、ほら』

 俺は迷わず、ラムネの瓶をコンクリートに叩きつけた。ガラスの破片と一緒に出てきたビー玉。瓶の中に入っていた時は青色だったのに、手に取ってみると輝きはなく、気泡が浮いているただのガラス玉だった。

『こらっ、清太っ……!』

『うわ、やべっ』

 店の中から見ていたじいちゃんが飛び出してきて、こっぴどく叱られた。彼女の前で怒られた恥ずかしさも重なり、その日はなんだか気まずい雰囲気のまま解散した。

 みいちゃんにあげようと思っていたビー玉も、家に帰るとポケットの中にそのままだった。来年の夏に渡そう。そう心に誓ったビー玉も、気づけばどこかになくしてしまった。

「きっとこういうのって、取れないからいいんだよな。思い出だってそう。遠い昔のことみたいに思い出すくらいがちょうど綺麗なままでいられると思わん?」

 俺は、ラムネ瓶のビー玉をカランッと鳴らした。

 ――元気?

 学校終わりの放課後。勇気を出して彼女にメッセージを送ったけれど、今も返事は来ていない。

 最後の夏だけ、また来年会おうという約束をしなかった。

 まだ幼かった俺は、無理やり瓶を割ったからカッコ悪いと思われたのではないか。ガキっぽいって呆れられたんじゃないかと不安になった。だから、栗原のばあちゃん経由で連絡先を知ってスマホでやり取りを始めてすぐにビデオ電話をしようと誘った。

『ごめん、ちょっと部屋が散らかってて……』

『じゃあ、普通の電話は?』

『電話も、ごめん』

 なんとなく、それで色んなことを悟った。

 この町に帰って来ないのは、俺と電話をしたがらないのは、会いたいと思ってくれていないのだと。俺たちの思いは同じではなかったんだと感じるたびに胸が痛んだ。

「たしかに遠くから見てるほうが綺麗なままでいられることもあるけど、確認しなきゃわからないこともあるよ。俺は、そのためにここに来たんだ」

 三嶋は強い決意を示すかのようにラムネを飲み干し、勢いそのままにベンチから立ち上がった。

「次こそ、絶対にじゃんけん勝つからな」

「え、あ、お、おう」

「蚊に刺される前に帰る。おやすみ!」

 空になったラムネ瓶を自転車のかごに放り投げ、ペダルに脚を掛けた三嶋は颯爽と走り出した。

「三嶋! お前、なんでうちの学校を選んだんだよ……!?」

 その後ろ姿に向かって、俺はなぜか叫んでいた。こいつの頭なら、高校なんて選びたい放題だろうに。すると、一瞬だけ自転車が停まった。

「忘れられない夏があったからだよ」

 三嶋はそんな言葉を残して、暗闇の畦道に消えていく。

 なんだよ、それ。なにその、歌詞みたいなセリフ。

 ――俺にとって、忘れられない夏は?

 自分自身に問いかける。

 脳裏に浮かんだのはやっぱり……どこかで幸せに暮らしているであろう十二歳で停止したままの彼女との夏だった。