真珠は病室のベッドの上で目を覚ました。
母親が顔をぐしゃぐしゃにして泣きながら、弱々しく真珠の名前を呼んでいた。目を覚ました真珠に母親が気づいて、驚いて立ち上がり椅子を倒す。隣にいた父親が慌てて廊下へ飛び出し、医師を呼ぶ。
体が痛い。起き上がろうとするが力が入らない。声を上げようとするも、口の開き方を忘れてしまったかのような気分になる。
「ああ! 真珠! 目が覚めたのね! 本当によかった!」
医者がやって来た。ペンライトを点けて真珠の瞳孔を確認する。
時間をかけて呼吸や脈拍を診てから、医師はほっとした表情をして「意識だけが戻らないのが心配でしたが、もう大丈夫でしょう」と両親に告げた。また来ますといって部屋から出ていく。
あの雨の降った日、寂しそうに窓の外を眺めていた真珠。
病院の食事以外はきつく禁じられていた。あの日、真珠の母親はダメで元々だという気持ちで担当医の診察室をノックした。
ひとつだけならという条件で許可をもらい、真珠の喜ぶ顔を楽しみに母親がドーナツを買って病室に戻ると、真珠が死んだようにぐったりしていた。呼吸も脈も弱くなって危篤状態に陥ってしまったらしい。
父親は真珠の手を黙って握りしめながら唇を噛みしめていた。食い入るように意識を取り戻した真珠を見る。握る手に力が入る。強すぎたのか、真珠の手がぴくっと動いたのに気づいて、思わず手を離す。
力を緩めた瞬間、父親は自分の頬に涙が伝っているのに気づいた。気づかれないように横を向いて立ち上がり、慌てて病室を出ていく。
背中を向けて病室から出ていく父親を、真珠は目で追った。
サイドテーブルに置かれた小さな鉢植えが目に入る。横には伏せていたはずの家族の写真。
白い大きな班を持つ美しいシルバーリーフの鉢植えは、真ん中に青い小さな花をしきりに咲かせている。
「……かわいい……」真珠はつぶやいた。
母親が真珠の視線の先に気づいて言う。
「お父さんが買って来たのよ。鉢植えは縁起が良くないっていうのにね、どうしてもこれだって」
母親は目を細めて涙をぬぐう。
「ジャックフロストって言うらしいわ。別名もあるみたいだけど。……枯れないらしいのよこれ。小さいけど強くて可愛くて真珠みたいだって」
真珠が笑った。その笑顔を見て、母親の涙線が決壊しそうになる。溢れ出す涙を両手でぬぐいながら笑う。
「いやだ、私ったら。せっかく真珠が目覚めたっていうのにおかしいわ!ごめんね真珠。ちょっとだけ顔を洗ってくるわね」
「すぐ戻るから」そう何度も振り返りながら繰り返し、病室を出ていった。
廊下で父と母の声がする。きっと抱き合っているに違いない。
ひとり微笑んでから、真珠はぼんやりする頭で考えた。
今までのは何だったんだろう? マッシュもフランクもクルックスも全部自分の夢だったのか? 島亀は? クイーンの森は? ブルネラのアマルさんやノランは……。
記憶は色鮮やかだ。真珠はベッドから降りる。カシャンと音を立て、何かが床に落ちた。
――なんだろう?
真珠は床に落ちたそれを拾い上げた。それはブリキの缶でできたジェリービーンズのケース。中身は入っていない。
ケースの底を見ると、こう印字されていた。
Garrett Company's Products.
真珠の回復力は医者も目を疑うほどだった。
先の見えなかった入院生活に終止符を打ち、真珠は病院を後にしていた。
父親と母親とともに、今、久しぶりの我が家に到着し車を降りる。
「真珠、あのカーテン本当に置いてきてよかったの?」
母が訊ねる。これで三回目だ。
「いいのよ! 次の人が喜んでくれるかもしれないわ!」
真珠はそう言って、二階の自分の部屋へと走っていった。母親と父親は顔を見合わせ安心したように笑っていた。
久しぶりの自分の部屋、真珠のお気に入りの物がふんだんに詰め込まれたおもちゃ箱のような部屋。その部屋の勉強机の上にジェリービーンズのブリキケースをそっと置いた。
ポッポー♪ ポッポー♪
リビングの鳩時計が正午を報せた。
母親が二階の真珠をキッチンから呼ぶ声が聞こえる。
「真珠ー! マッシュにご飯をあげてちょうだい! 手を洗ってお昼にするわよ!」
「はーい!」
階段を駆け降り、玄関口の戸棚からドックフードをお皿にたっぷり入れると、玄関から外に出て犬小屋へ向かう。
「マッシュ! ただいま。寂しかった? これから毎日一緒だよ!」
マッシュと呼ばれた犬は尻尾を振り、久しぶりの主人の帰宅を喜び顔を舐めた。
ふと、遠い青空を見上げると、大小様々なたくさんの白い雲が大きな青空一面に気持ち良さそうに泳いでいる。
父親が真珠のために買ったジャックフロストを、庭に植え替えていた。真珠の部屋の窓から見える一番いい場所だ。
真珠は微笑み、家の中へと戻っていった。
《エルセトラ 了》
母親が顔をぐしゃぐしゃにして泣きながら、弱々しく真珠の名前を呼んでいた。目を覚ました真珠に母親が気づいて、驚いて立ち上がり椅子を倒す。隣にいた父親が慌てて廊下へ飛び出し、医師を呼ぶ。
体が痛い。起き上がろうとするが力が入らない。声を上げようとするも、口の開き方を忘れてしまったかのような気分になる。
「ああ! 真珠! 目が覚めたのね! 本当によかった!」
医者がやって来た。ペンライトを点けて真珠の瞳孔を確認する。
時間をかけて呼吸や脈拍を診てから、医師はほっとした表情をして「意識だけが戻らないのが心配でしたが、もう大丈夫でしょう」と両親に告げた。また来ますといって部屋から出ていく。
あの雨の降った日、寂しそうに窓の外を眺めていた真珠。
病院の食事以外はきつく禁じられていた。あの日、真珠の母親はダメで元々だという気持ちで担当医の診察室をノックした。
ひとつだけならという条件で許可をもらい、真珠の喜ぶ顔を楽しみに母親がドーナツを買って病室に戻ると、真珠が死んだようにぐったりしていた。呼吸も脈も弱くなって危篤状態に陥ってしまったらしい。
父親は真珠の手を黙って握りしめながら唇を噛みしめていた。食い入るように意識を取り戻した真珠を見る。握る手に力が入る。強すぎたのか、真珠の手がぴくっと動いたのに気づいて、思わず手を離す。
力を緩めた瞬間、父親は自分の頬に涙が伝っているのに気づいた。気づかれないように横を向いて立ち上がり、慌てて病室を出ていく。
背中を向けて病室から出ていく父親を、真珠は目で追った。
サイドテーブルに置かれた小さな鉢植えが目に入る。横には伏せていたはずの家族の写真。
白い大きな班を持つ美しいシルバーリーフの鉢植えは、真ん中に青い小さな花をしきりに咲かせている。
「……かわいい……」真珠はつぶやいた。
母親が真珠の視線の先に気づいて言う。
「お父さんが買って来たのよ。鉢植えは縁起が良くないっていうのにね、どうしてもこれだって」
母親は目を細めて涙をぬぐう。
「ジャックフロストって言うらしいわ。別名もあるみたいだけど。……枯れないらしいのよこれ。小さいけど強くて可愛くて真珠みたいだって」
真珠が笑った。その笑顔を見て、母親の涙線が決壊しそうになる。溢れ出す涙を両手でぬぐいながら笑う。
「いやだ、私ったら。せっかく真珠が目覚めたっていうのにおかしいわ!ごめんね真珠。ちょっとだけ顔を洗ってくるわね」
「すぐ戻るから」そう何度も振り返りながら繰り返し、病室を出ていった。
廊下で父と母の声がする。きっと抱き合っているに違いない。
ひとり微笑んでから、真珠はぼんやりする頭で考えた。
今までのは何だったんだろう? マッシュもフランクもクルックスも全部自分の夢だったのか? 島亀は? クイーンの森は? ブルネラのアマルさんやノランは……。
記憶は色鮮やかだ。真珠はベッドから降りる。カシャンと音を立て、何かが床に落ちた。
――なんだろう?
真珠は床に落ちたそれを拾い上げた。それはブリキの缶でできたジェリービーンズのケース。中身は入っていない。
ケースの底を見ると、こう印字されていた。
Garrett Company's Products.
真珠の回復力は医者も目を疑うほどだった。
先の見えなかった入院生活に終止符を打ち、真珠は病院を後にしていた。
父親と母親とともに、今、久しぶりの我が家に到着し車を降りる。
「真珠、あのカーテン本当に置いてきてよかったの?」
母が訊ねる。これで三回目だ。
「いいのよ! 次の人が喜んでくれるかもしれないわ!」
真珠はそう言って、二階の自分の部屋へと走っていった。母親と父親は顔を見合わせ安心したように笑っていた。
久しぶりの自分の部屋、真珠のお気に入りの物がふんだんに詰め込まれたおもちゃ箱のような部屋。その部屋の勉強机の上にジェリービーンズのブリキケースをそっと置いた。
ポッポー♪ ポッポー♪
リビングの鳩時計が正午を報せた。
母親が二階の真珠をキッチンから呼ぶ声が聞こえる。
「真珠ー! マッシュにご飯をあげてちょうだい! 手を洗ってお昼にするわよ!」
「はーい!」
階段を駆け降り、玄関口の戸棚からドックフードをお皿にたっぷり入れると、玄関から外に出て犬小屋へ向かう。
「マッシュ! ただいま。寂しかった? これから毎日一緒だよ!」
マッシュと呼ばれた犬は尻尾を振り、久しぶりの主人の帰宅を喜び顔を舐めた。
ふと、遠い青空を見上げると、大小様々なたくさんの白い雲が大きな青空一面に気持ち良さそうに泳いでいる。
父親が真珠のために買ったジャックフロストを、庭に植え替えていた。真珠の部屋の窓から見える一番いい場所だ。
真珠は微笑み、家の中へと戻っていった。
《エルセトラ 了》