パールはマッシュを連れて路地の角をいくつも曲がり、とある家の前まで来た。

 辺りを見渡し誰もいないのを確認すると、背伸びをして玄関口にある小さな郵便受けの中に手を突っ込んだ。それを見たマッシュがパールに訊ねる。

「パール? いったい何を……」
「あった!」

 パールが叫んで郵便受けから引っ張り出したそれは鍵だった。家の扉に走っていって、躊躇うことなくそれを使い、ガチャリと鍵を回すと玄関の扉を開けた。

「さぁ! どうぞ入って」

 パールは頬をすこし上気させて、にっこりとマッシュを手招きした。呆気に取られているマッシュを急かす。

「ほら! 早く入って! 誰かに見つかっちゃう!」

 そう急かされて思わずマッシュは家の中に入った。パールは、マッシュが家の中に入ったのを確認するとドアを閉めた。部屋の中は薄暗い。

「明かりは点けれないから、ごめんね」

 薄暗いその部屋には、壁掛け時計がいくつも掛かっていた。カチコチと響く音が、なにやら不思議な家だ。見回すとあちらこちらに置き時計や振り子時計、カラクリ時計も置かれている。

 コチコチコチコチ……。

 心地好い音が静かに部屋の中に広がっている。ふと、マッシュはどこかでこんな風景を見た気がした。

「ここは?」
「わたしの家じゃないのは確かよ。ただ、ここのお爺さんはあまり町にいる人じゃないのよ」

 家具のいくつかに、白い布が被せてある。この家の主人が今住んでいないことはすぐにわかった。パールは部屋の中央の家具を覆う布に近づいて威勢良く外す。

 覆いの下からはロッキングチェアーが現れた。どうやら忍び込むのは初めてではないらしい。
「久しぶりだからさすがに埃っぽいわね」と言いながら、服の袖でその椅子の座席を軽く拭いてからそこに座って椅子を揺らした。

「知らない人の家に忍び込むのは感心しないな。これじゃまるで泥棒じゃないか?」
「そんなこと言ってられないでしょ? 大丈夫よ、ここのおじいさん滅多に町に帰って来ないから!」

 パールはまったく気にしないといった風に、ギィギィと椅子を揺らしながら、部屋を見回している。確かにパールの言うとおり、そんなことは言っていられないなと思った。

「ここの住人はどんな人なんだい?」
「さあ。わたしもよくは知らない。けど、お父さんが言うには変わり者らしいわ」

 マッシュは少し心配になる。真珠たちのことも探さなくてはならないし……。

「うーん。見つかる前にお(いとま)しなくてはな……」
「ところであなたの仲間もこの町に逃げ込んでるのよね?わたし、あなたの仲間を探すの協力するから、あなたたちの話を聞かせてくれない?ほら、わたしに似てるっていうその子のことも気になるし、なんだか面白そう」
「そんなのはお安い御用さ!」

 話を聞かせてほしいというパールの言葉は、マッシュの心配の種を忘れさせるのに十分だった。マッシュはジェリービーンズを放り込んでから、フランクとの出会いをパールに話し始めた。この家に入り込んだ勢いで、緩やかに舞っていた埃が静かに沈むまで、二人は夢中で語り、パールも椅子を揺らすのを忘れて夢中で聞き入った。

 いつの間にか、家の外はずいぶんと陽が落ちていた。部屋に差し込む光はほとんど無く、心地好い時計の音とマッシュの冒険話だけが部屋を満たしていた。

 パールは父親のグランドと母親のモアナの間に生まれた一人娘で、それは大切に育てられた。父親であるグランドはガッシリとした体格で、真面目な男であった。それ故、町の人間からも一目置かれていて、町のリーダー的な存在であった。体も丈夫で、仕事の農作業は休んだことなどなかった。

 母親のモアナはとても美しい女性で、その美しさは町一番とも噂されていた。娘のパールを愛しており、料理の腕前も良く非の打ちどころのない女性だった。娘のパールには、自分のようなおしとやかな女性に育ってもらいたいと願っていた。

 このブルネラの町は、外部との交流がない。閉ざされた町は、生活の機能は満たされて、一見何も不自由はないように見えたが、町の外へ出ることを禁止されていた。すぐ傍にある森はおろか、子どもは農耕地や牧草地へも出てはいけない。何か質問をすれば、子どもは知らなくてよいのだと優しく諭された。よくわからない不満。パールは母親の意に反し、毎日男友達と走り回っていた。

 そんな毎日は賑やかでそれなりに楽しかったが、マッシュと自分が今こうして薄暗い家の中に忍び込んで、ひっそりと冒険談に花を咲かせている。パールにとってそれは今までに経験したことのない刺激的な時間だった。

「と、言うわけで私と白クジラのフランクはともに旅に出ることとなったのさ!」
「ねえ! そのフランクは今どこにいるの?」
「ああ、彼は体がとても大きいからね、森の外でお留守番だ」
「わたしも会ってみたいなあ。フランクに」
「君が望むなら、どんなことだって不可能ではないさ」
「無理よ、だってわたしたちは町の近くにある森にすら行くのを禁じられているんだもの!」
「そうかな? ……さあ、もう日も暮れた。今日はここまでにしよう。私にもやることがある」
「残念! 仕方ないわ。それじゃまた明日」
「楽しかったよ。おやすみ。良い夢を」

 パールは、自分が鍵を開けて侵入したその扉を内側からそーっと開いて、外の様子を伺った。辺りを見渡して、誰もいないのを確認すると、サッと外へ出てドアを閉めた。

 空を見上げると星が輝き、月が路地を優しく照らしている。パールは小走りで家路をたどっていく。生まれて初めての冒険の帰り道のように興奮していた。

 パールが家に帰ると、父親のグランドが怖い顔をしてパールを待ち構えていた。

「パール! こんなに暗くなるまでいったいどこで遊んでいたんだ!」

 母親のモアナも台所から出てきて、お父さんはあなたのことが心配で町中探し回っていたのよと説明する。ようやく娘が帰ってきて安堵しつつも、まだ心配が拭えない風で、二人とも落ち着きがない。その表情は違うが、心配でどうしようもなかったようだ。

「……ごめんなさい。遊んでたら時間を忘れてこんな時間になってしまって」

 パールはなんだか体が熱いのを感じていた。今日はいっぱい走ったからなのか、胸がどことなく苦しい。

 ああ、でも今日は本当に楽しかったわ。

「今日は異種族が町に入り込んで、町中大騒ぎだったんだぞ! 気がつかなかったわけじゃないだろう? とにかく無事でよかった。さあ、食事にしよう」

 モアナがまだ怒っているグランドをなだめながら、パールの上着の汚れを優しく払った。そして「ほら、早く着替えて手を洗っていらっしゃい」とにっこりした。

 三人は食卓に着き食事を始める。モアナがパールの食事が進んでいないのに気がつき声をかけた。

「どうしたのパール? 食事が進んでいないわ」
「……うん。なんだか頭がボーっとしちゃって」

 パールの顔が赤いのに気づいて、モアナがパールのおでこと首に触れる。

「まあ、なんだか熱っぽいわね……。大丈夫?食べられる?」
「まったく、こんな真っ暗になるまで遊んでいるからだ。食べたら薬を飲んで休みなさい」

 モアナが立ち上がって、パールのために解熱用のハーブティーを煎じにいった。
 パールは食器を置いた。食事が喉に入っていかない。ぐったりしているパールにグランドが乾燥薬を取り出し飲ませた。

「ごめんなさい……」

 パールは薬を飲むと赤い顔のまま立ち上がった。

 ――マッシュは大丈夫かしら。明日も行かなくちゃ……。

 パールはマッシュのことが気掛かりだった。

 心配する両親を置いて二階の自分の部屋へ入ると、ベッドに潜りこんでそのまま眠ってしまった。モアナが、煎じているお茶の火を止めて、不安げに追いかける。

 モアナが部屋のドアを開けると、パールはもう眠り込んでしまったようだ。パールの頬に手を置く。熱が高い。明日には下がればいいけれど、モアナはそう願いながら、パールの部屋の扉を少しだけ隙間を開けたまま、ゆっくりと閉じた。

 その夜、何度もモアナはパールの様子を確認しにいった。パールの熱は一向に下がらず、むしろ上がっていく一方だった。

 翌朝早く、父親のグランドは、「パールを頼む」そう一言だけ残し家を出た。グランドを呼びに来た町の男たちの声で、パールはうっすらと目を覚ました。

 体中が熱くてひどく怠い。それにあちこちに痛みを感じる。やっとの思いで起き上がったパールは、体を支えられずバランスを崩してベッドから落ちるように倒れこんだ。

 パールの部屋の音を聞きつけて、モアナが部屋に飛び込んで来る。

「パール!? どうしたの!?」

 モアナはぐったりと倒れているパールを抱き起こした。パールの体がずっしりと重い。うなだれた体にはまったく力が入っていない。口をあけて、ハァハァと熱い息を漏らしている。呼びかけるが返事はない。モアナはパールをベッドに戻しながら、動転しそうになる自分の気持ちを無理矢理抑えつける。ベッドに横たわるパールの横に座り込み、涙を浮かべた。

「パール……! 可哀相に。あぁ、私のパール……。お医者さまを呼んであるからそれまでの辛抱よ……」