気がつくと真珠は森でうつ伏せに倒れていた。何が起こったのか。

 クルックスの声が聞こえる。なんとか立ち上がろうとするが、膝が壊れているようだ。何度も躓きながら、這うようにして真珠は声のする方へ進む。いつの間にかぐしゃぐしゃに泣いていた。足が思うように動かない。両足を叩きながら、転ぶように走った。

 涙に霞む目の前に、突如クイーンツリーが姿を見せた。

 ――クイーンツリー……着いたんだ!

 すぐ側の茂みからマッシュが姿を現した。

「マッシュ!」

 マッシュも真珠に気づいて叫んだ。

「真珠! 無事だったか!」

 真珠はマッシュの姿を確認すると、一気に気が緩み、意識を失いかけた。

 斜めになる視界の中、マッシュが何か大きく口を開きながら、真っ赤な目で真珠に手を伸ばす。その背後からこちらに一直線に羽ばたいてくる木彫りの鳥。

 ――あ……やっぱりクルックスだ……。どうしてここに……。

 そして背景を埋め尽くすクイーンツリーの枝葉……。

 マッシュとクルックスが真珠に駆け寄り抱き起す。真珠はすぐに意識を取り戻した。

「クルックス! いったいどうして?」
「ああ! 真珠さん! お二人ともご無事でなによりです!」


 クルックスは、ノランの草原で皆を見送った後、一度はカッコウ時計の中に納められた。しかし皆との旅がまだ終わってないことが気掛かりで、ノランに新しいカッコウを用意してもらえるよう頼んだ。それを聞いたノランは、クルックスの希望どおり、新しいカッコウの製作を了承した。

 ただひとつ条件を出した。クルックスの旅が終わったら、いつでも戻って来なさいと。一度役目を放棄する自分には、戻る権利はない そう言うクルックスに向かって、ノランは優しく語った。カッコウ時計に二羽のカッコウがいても何の問題もないと。いつでも戻れるように頼んでおくから、納得するまで行ってきなさいと。

 背中を押されたクルックスは、単身女王の森に飛んだ。そして森の入口で待っていたフランクを見つけ、ともにクイーンツリーの上空までやって来たのだった。先に森に入っているはずの二人の行方をクイーンツリーに訊ねると、二人が森で迷っていることを知らされた。

 この森の静寂を邪魔する無礼を詫びてから、クルックスはクイーンツリーの元から鳴き続ける許可をもらった。暗闇の中、長い時間彷徨っているであろう二人の無事を祈りながら、この場所に二人がたどり着けるようにと、長い時間ただ必死に二人を呼び続けた。

 クルックスは説明しながら時折涙を見せた。マッシュも真珠も胸が苦しくなって、心からお礼を言った。

「助かったよクルックス、礼を言うよ」
「本当にありがとう……クルックス……」
「えぇ。えぇ。いいんです。フランクさんも心配しています」

 クルックスはうっすらと浮かべた涙を羽で拭きながら「ほら」と言って上を指す。

 マッシュと真珠が上空を仰ぐと、そこには心配そうにクイーンツリーの周りをグルグルと回るフランクの姿があった。

 クイーンツリーの足元から高く上を仰ぎ見ているマッシュたちの視界にフランクが映り込む。

「よく此処までたどり着きました。勇敢な旅人たちよ。あなたたちがこの森に足を踏み入れた時から、私はすべてを見ていました」

 クイーンの声が森に響いた。優しく威厳のある声だ。辺りの木々や葉や土、空気までもがその声に従うように優しく揺れ、クイーンの前に立つ三人を柔らかく包む。

「クイーンツリー。この森に入ってから説明のつかない幻覚を見たのだが、あれはあなたの力か?」

 マッシュが立ちあがり、礼を執ってからクイーンに問う。

 真珠もハッと我に返るように意見を揃えた。

「それ、わたしも体験した!」

「いいえ、それはわたしがこの場所に存在する以前よりこの世界に在る者。『月の王』と呼ばれる者です。月の王は決まって新月の晩、この大地に降り立ち人の心を惑わすのです。しかし、あなたたちは見事に彼を打ち破った。私はあなたたちのその勇気を高く評価します」

 クイーンの上空では、クルックスの鳴き声が止んだことに気づいたフランクが動きを停め、耳を澄ましている。マッシュたちはさらに訊ねた。

「『月の王』……」
「わたしたちは『月の王』に勝てたの?」

「ええ、彼は恐怖や誘惑であなたたちを彼の世界に縛りつけようとしました。しかし、あなたたちは彼の力を越える力で彼を打ち負かしました。その力とは、他者を思う気持ちや、他者を信頼する気持ち。あなたたちが互いを思い合う気持ちが彼の力を退けたのです」

「月の王は、また私たちを襲って来るだろうか?」
「月の王を滅ぼすことはできないでしょう。ですが、もしまた現れたのなら、今日という日を思い出しなさい」

 皆、顔を見合わせて、少しほっとして照れ臭そうに笑った。


 生まれた場所も種族も考え方や性格も違う四人が互いに信頼し、互いに思い合えるということがとても大切な宝物のように思えた。

「ところでクイーン、わたしたちは白クジラの群れを探しています。スノーディアの場所を知っていたら教えてください」
「此処より北西に向かっていきなさい。大陸を越え、やがてスノーディアに着くでしょう。……さぁ、私につかまりなさい」

 そう言うとクイーンは、三人のために一本の枝をしなやかに降ろした。
 クルックスがマッシュの肩に留まる。

 目の前に用意された枝にマッシュと真珠がつかまると、一本に見えた枝から、複数の枝葉がザワザワうごめいて、二人を腰かけさせるように広がりその姿を整えた。天高くそびえるクイーンの枝葉の先に優しく支えられ、上空で待機しているフランクのところまでなめらかに昇っていく。

 フランクは待ちきれず、涙声で皆の無事を喜び潮を高く噴いた。上空から潮の雨がパラパラと降ってくる。フランクの涙が小さく吹き出し、輝きながらクイーンの森へ吸い込まれていく。

 クイーンは三名をフランクの背に降ろすと、別の枝を使ってたくさんの果実を皆の周りに置いた。皆がクイーンを見ると、答えるように声を響かせた。

「持っていきなさい」
「クイーン、本当にありがとう」

 みなそれぞれに感謝を口にする。

「あなたたちの旅路の無事を此処から祈っています」

 フランクが動き始める。『サヨウナラ』その言葉は誰も口に出さなかった。心の中でクイーンツリーに再度の感謝と別れを告げる。

 女王の森に見送られ、北西の空へと小さくなっていくフランクたちの姿とは対象的に、その厳然たる森の全景は、いつまでたっても小さくはならなかった。一行はそう感じた。

 クイーンツリーは遥か昔から森を育てる存在。

 その存在はなによりも大きく。
 その恵みもなによりも大きい。