文化祭、二日目だった。
結局、完治には一週間かかってしまった。
熱自体はわりと早く引いたが、しつこい咳がなかなか収まらず、医者からも外出を禁じられたのだ。肺炎で死ぬことも珍しくないんですよ、と脅されてはいかな麻人でも従わざるを得なかった。
部誌については出来上がったものを、一昨日、香坂が家に持ってきた。感染るから、と止める博人に香坂は、そうですか、と残念そうな顔をしながら部誌を手渡したらしい。
「あの子さあ、麻のこと、ほんっとうに慕ってるんだな」
博人の台詞を聞かない振りをして、麻人は部誌をめくる、
伊藤の原稿もそこにはきちんと載せられていた、一年のときから掲載しているシリーズもので、高校教師が主人公のミステリーだ。部誌を出すのは文化祭のときの一回でしかないにも関わらず、このシリーズを待っている人は実は案外いる。
だからこそ口をすっぱくして原稿を入れることを伊藤に言い続けていたわけだが、麻人が倒れたあの日の感じだと絶対入れなさそうだったのに。
「あいつ……」
香坂が書いた短歌も載っていた。うまいとは言えない。でも。
五月雨の 雫落つ軒 辿る君 横顔に差す 陰忘れられず
古書の香の 満ちた図書室 雪明り 彼の人を待つ 来ぬと知りつつ
なんだか、心に残る歌だ。
なんだってあいつはこんなものばかり書くのだろう。ずっとずっとただ誰かを待っているそんな歌を。気づかれもせず、ただ、じっと見つめるだけの心を。
麻人はあまり人を褒めたりしない。でも、香坂のことは内心認めていた。真面目で、やると言ったことは必ずやり通す。彼はクラス委員長も務めていたはずだから相当多忙なはずなのに、それをおくびにも出さず、部活にだって顔を出す。原稿だって、誰よりも早く入稿してきた。
そんなあいつだ。麻人が認めるように、誰だって彼のことは認めるはずだ。快活で、器用で、優秀な香坂千影。
その彼には、こんなひっそりと恋い慕う片想いは似合わない。
そもそもどんな人なのだろう。香坂が好きになるような人とは。
きっと香坂に似合いの頭の良い女子だろう。そこまで考えて、麻人は我に返る。
あいつのことなどどうでもいいはずなのに。
きっと、憎み合っているのかと思うくらい、いつも本音をぶつけ合っている相手に、予期せず親切にされたせいだ。
そうに違いない。
強引に結論づけ、マスクをし、完全防備で向かった学校は、見事にお祭り騒ぎで、病み上がりには少々疲れる場所だった。
喧騒の中をかいくぐるように、特別教室棟の階段を上る。文芸部のブースがあるのは郷土研究会が発表をしている生物室だ。
「バスケ部のメイドカフェ、十人待ちだって」
「えー、どうしよう」
「ちょっとその辺で待とうよ」
黄色い声で騒ぐ女生徒たちが生物室へ入っていく。郷土研究会のブースなんて、例年はほとんど注目されないのに、今日は結構な数の人の姿が見える。
香坂の読みは大当たりだったということか。
生物室へ足を踏み入れた麻人は、感嘆した。
郷土研究会の展示がまずは目に入ったが、一言で言って、かなり完成度の高いアカデミックな内容だった。いつもは無作為に飾られているパネルが、順を追ってわかりやすく並べられており、城下町だったこの辺りの歴史が親しみやすい言葉で説明されている。生物室入り口の呼び込み用の黒板も、文字色やフォントサイズまで考え抜かれた凝ったタッチで描かれていて、足を踏み入れてみようと思わせるための工夫が随所に散りばめられているのがわかる。同好会だから、会員は会長と合わせてももう一人しかいないはずだが、展示室で案内にあたっている唯一の会員の男子生徒も、昨年まではあった、展示パネルのそばで文庫本を読みふけるようなやる気のない態度じゃない。訪れた客に積極的に解説している彼を眺め、麻人は感心する。宮川とかいう今年の郷土研究会の会長は、香坂の言う通り相当できる人物らしい。
そんな華やかな展示の片隅に、文芸部のブースも設置されていた。
いつもだったらこちらもあまり客入りは見込めないのに、今日は客の姿が見える。長机の上に置かれた部誌も、残り少ないようだ。
ブースに立ち寄った生徒ににこやかに部誌を手渡しているのは、やはり香坂だった。
「部長は」
人が切れたのを見計らって近づくと、香坂がふっと顔を上げた。
「杉村先輩」
麻人の顔を見て咲いたのは、笑顔の花。
治ったはずなのに、頭の芯がくらり、と揺れた気がした。
「先輩。もういいんですか?」
「ああ」
ぶっきらぼうに言う麻人を、探るような目がじっと見つめる。なんだよ、と言うと、香坂はゆっくりと再び微笑んだ。
「良かった」
「……ああ……」
礼を言うべきだろうが、なんだかうまく言えない。横を向いたとき、誰かが隣に立った。
「香坂」
少し低音の女子の声だ。目を向けると、長い黒髪を背中に梳き流した、背の高い女生徒が立っていた。大人びた端整な面差しだが、鮮やかなピンクの縁の眼鏡をかけていることに目が留まった。
「ああ、ごめん。交代の時間だっけ」
スマホをちらりと確認しながら、香坂がブースから出てくる。
「結構人、入ってるの」
「そこそこ。みんなお祭り気分で当番忘れるやつばっかりで困る」
愛想のない口調で言う彼女に、あはは、と笑って香坂は彼女の脇を通り過ぎた。
「ごめんごめん。宮川、昼飯とってないなら、そこにあるパン、食べていいよ。遅れたお詫び」
「もらっとく」
彼女がひらひらっと手を振る。じゃあね、と香坂も手を振り返してからこちらを見返った。
「先輩、病み上がりにすみませんけど、ここお願いしますね。俺、クラスのほう、行かなきゃいけなくて」
「さっさと行けよ」
追い払うように手を振ると、くすっと笑って香坂は生物室を出て行った。相変わらずわけがわからない反応だ。
「杉村先輩」
忙しかったのだろうか。部誌の山が乱れている。整理しようと数冊を机の上で揃えていると、不意に呼びかけられた。香坂が「宮川」と呼んでいた彼女がこちらをじっと見ていた。
宮川、ああ、郷土研究会の会長か、と頭の中で繋がったのと同時に、彼女が軽く頭を下げて名乗ってきた。
「宮川さくらです。郷土研究会の会長をやっています」
「ああ、香坂に聞いてる」
頷くと、宮川はゆっくりと頭を上げてこちらを見た。やけに冴え冴えとした目がピンクの縁の眼鏡の向こうから見つめてくる。
「文芸部、盛況みたいですね」
「……君のところの展示のおこぼれだろうけどな」
普段ならこんなに部誌が捌けたりはしない。ついぽろりと零れた本音を、宮川は黙って受け止めてから、おもむろに部誌の山から一冊取った。
「ずいぶん卑屈な言い方をされるんですね」
「卑屈?」
これはまた失礼な物言いだ。ムカッとして宮川を見下ろすと、彼女はぱらぱらとページをめくりながら言った。
「これを作るのに、苦労されたんじゃないんですか。それなのにそんなことを言われるなんて驚きです」
「なにが言いたいんだ」
目の前の女の意図が読めない。低く問い返すと、彼女は部誌を机に戻してこちらに向き直った。
「私、あんまり婉曲にものを言うこと好きじゃないので、はっきり言おうと思いますが」
「奇遇だな。俺もそうだよ」
なんだか敵意を感じる。わけがわからないが、売られたけんかは買う主義だ。鋭く切り返すと、宮川はまっすぐに麻人を睨んで言い放った。
「いい加減、香坂くんを自由にしてもらえますか」
「香坂?」
なんでここにあいつの名前が出てくるんだろう。首を傾げた麻人を、宮川はじっと見つめ、整然とした口調で言った。
「杉村先輩だって思ってるんじゃないですか。香坂くんが文芸部なんかにいるのはなんでだろうって」
「なんかとはなんだ」
「なんか、でしょう。うちのおこぼれがないと、部誌を配るのも苦労するくせに」
なんなんだ、この女は。
不愉快指数がマックスになった麻人は、宮川を睨み据える。
「確かにうちは弱小だが、それでも、なんか、などと蔑まれる覚えはない」
「おこぼれ、などとおっしゃったのは先輩だと思いますが」
確かにそうだ。が、こいつ、ムカつく。
いらいらし始めた麻人の険しい顔にも、彼女は一歩も引く様子がない。
「香坂くんはクラス委員ですし、とても忙しいです。それなのに、弱小文芸部、いいえ、あなたにこき使われて大変迷惑しています」
「君にそれがわかるのか。君は香坂でもないのに」
瞬時に切り返すと、淡々と述べていた宮川の頬に朱が差した。案外簡単に動揺するんだな、と麻人は意地悪く思う。
「香坂がはっきりそう言うのなら仕方ないと思うが、君にそれを言われて、真偽もわからぬまま、そうだね、と納得する理由もないだろう」
「…………香坂くんだって迷惑していると言っています」
低く吐き捨てられ、麻人は息を呑む。
まあ、そういうこともあるだろうとは思う。
傷ついたわけではない。だが、一瞬、言い返すのが遅れた。
「香坂くんが、どうして文芸部にいるか、杉村先輩はわかっていますか」
「さあ」
かろうじてそう返すと、宮川は麻人をぎらぎらした目で睨みつけてきた。
「杉村先輩を見捨てられないからですよ。あなたのような人を可哀相と思っているからです。香坂がいなくなったら、あなたのそばには誰もいなくなる。だからですよ」
畳みかけられ、麻人は言葉を失った。
この女は、なにを言っているのか。
自分の周りには確かに人がいない。それを悲しいと思ったことがないわけではない。が、この性格だ、仕方ないと弁えている。
だが、今、叩きつけられた言葉に、確かに麻人は動揺した。どの部分に動揺したのか自分でもわからないが、確かに心が軋んだ。
「いい加減、さっさと引退してください。もう三年ですし、受験勉強に勤しまれたほうがいいんじゃないですか」
「俺は進学しない。就職だ」
「もしかして勉強は得意ではないんですか。あんなに偉そうに、他の生徒には勉強しろとか注意なさるのに」
「言いたいことはそれだけか」
やっとのことでそう言うと、宮川は大きく息を吸ってから、はい、と頷いた。
「全部言いました。杉村先輩は賢い方だから、私の言いたいこと、わかっていただけたと思います」
「俺は」
言いかけた麻人はしかし、唐突に肩に手を置かれて言葉を呑み込んだ。その手に強引に引っ張られ、一歩退かされる。きっとなってそちらを睨むと、呆れ顔の伊藤がいた。
「お前ら、怖すぎる」
蛍光灯に白く透ける金色の髪を掻き上げつつ、伊藤は顎をしゃくって周囲を示してみせる。見回すまでもなく、生物室の中はしん、と静まり返っていた。みな、展示などそっちのけでこちらを注目していた。
結局、完治には一週間かかってしまった。
熱自体はわりと早く引いたが、しつこい咳がなかなか収まらず、医者からも外出を禁じられたのだ。肺炎で死ぬことも珍しくないんですよ、と脅されてはいかな麻人でも従わざるを得なかった。
部誌については出来上がったものを、一昨日、香坂が家に持ってきた。感染るから、と止める博人に香坂は、そうですか、と残念そうな顔をしながら部誌を手渡したらしい。
「あの子さあ、麻のこと、ほんっとうに慕ってるんだな」
博人の台詞を聞かない振りをして、麻人は部誌をめくる、
伊藤の原稿もそこにはきちんと載せられていた、一年のときから掲載しているシリーズもので、高校教師が主人公のミステリーだ。部誌を出すのは文化祭のときの一回でしかないにも関わらず、このシリーズを待っている人は実は案外いる。
だからこそ口をすっぱくして原稿を入れることを伊藤に言い続けていたわけだが、麻人が倒れたあの日の感じだと絶対入れなさそうだったのに。
「あいつ……」
香坂が書いた短歌も載っていた。うまいとは言えない。でも。
五月雨の 雫落つ軒 辿る君 横顔に差す 陰忘れられず
古書の香の 満ちた図書室 雪明り 彼の人を待つ 来ぬと知りつつ
なんだか、心に残る歌だ。
なんだってあいつはこんなものばかり書くのだろう。ずっとずっとただ誰かを待っているそんな歌を。気づかれもせず、ただ、じっと見つめるだけの心を。
麻人はあまり人を褒めたりしない。でも、香坂のことは内心認めていた。真面目で、やると言ったことは必ずやり通す。彼はクラス委員長も務めていたはずだから相当多忙なはずなのに、それをおくびにも出さず、部活にだって顔を出す。原稿だって、誰よりも早く入稿してきた。
そんなあいつだ。麻人が認めるように、誰だって彼のことは認めるはずだ。快活で、器用で、優秀な香坂千影。
その彼には、こんなひっそりと恋い慕う片想いは似合わない。
そもそもどんな人なのだろう。香坂が好きになるような人とは。
きっと香坂に似合いの頭の良い女子だろう。そこまで考えて、麻人は我に返る。
あいつのことなどどうでもいいはずなのに。
きっと、憎み合っているのかと思うくらい、いつも本音をぶつけ合っている相手に、予期せず親切にされたせいだ。
そうに違いない。
強引に結論づけ、マスクをし、完全防備で向かった学校は、見事にお祭り騒ぎで、病み上がりには少々疲れる場所だった。
喧騒の中をかいくぐるように、特別教室棟の階段を上る。文芸部のブースがあるのは郷土研究会が発表をしている生物室だ。
「バスケ部のメイドカフェ、十人待ちだって」
「えー、どうしよう」
「ちょっとその辺で待とうよ」
黄色い声で騒ぐ女生徒たちが生物室へ入っていく。郷土研究会のブースなんて、例年はほとんど注目されないのに、今日は結構な数の人の姿が見える。
香坂の読みは大当たりだったということか。
生物室へ足を踏み入れた麻人は、感嘆した。
郷土研究会の展示がまずは目に入ったが、一言で言って、かなり完成度の高いアカデミックな内容だった。いつもは無作為に飾られているパネルが、順を追ってわかりやすく並べられており、城下町だったこの辺りの歴史が親しみやすい言葉で説明されている。生物室入り口の呼び込み用の黒板も、文字色やフォントサイズまで考え抜かれた凝ったタッチで描かれていて、足を踏み入れてみようと思わせるための工夫が随所に散りばめられているのがわかる。同好会だから、会員は会長と合わせてももう一人しかいないはずだが、展示室で案内にあたっている唯一の会員の男子生徒も、昨年まではあった、展示パネルのそばで文庫本を読みふけるようなやる気のない態度じゃない。訪れた客に積極的に解説している彼を眺め、麻人は感心する。宮川とかいう今年の郷土研究会の会長は、香坂の言う通り相当できる人物らしい。
そんな華やかな展示の片隅に、文芸部のブースも設置されていた。
いつもだったらこちらもあまり客入りは見込めないのに、今日は客の姿が見える。長机の上に置かれた部誌も、残り少ないようだ。
ブースに立ち寄った生徒ににこやかに部誌を手渡しているのは、やはり香坂だった。
「部長は」
人が切れたのを見計らって近づくと、香坂がふっと顔を上げた。
「杉村先輩」
麻人の顔を見て咲いたのは、笑顔の花。
治ったはずなのに、頭の芯がくらり、と揺れた気がした。
「先輩。もういいんですか?」
「ああ」
ぶっきらぼうに言う麻人を、探るような目がじっと見つめる。なんだよ、と言うと、香坂はゆっくりと再び微笑んだ。
「良かった」
「……ああ……」
礼を言うべきだろうが、なんだかうまく言えない。横を向いたとき、誰かが隣に立った。
「香坂」
少し低音の女子の声だ。目を向けると、長い黒髪を背中に梳き流した、背の高い女生徒が立っていた。大人びた端整な面差しだが、鮮やかなピンクの縁の眼鏡をかけていることに目が留まった。
「ああ、ごめん。交代の時間だっけ」
スマホをちらりと確認しながら、香坂がブースから出てくる。
「結構人、入ってるの」
「そこそこ。みんなお祭り気分で当番忘れるやつばっかりで困る」
愛想のない口調で言う彼女に、あはは、と笑って香坂は彼女の脇を通り過ぎた。
「ごめんごめん。宮川、昼飯とってないなら、そこにあるパン、食べていいよ。遅れたお詫び」
「もらっとく」
彼女がひらひらっと手を振る。じゃあね、と香坂も手を振り返してからこちらを見返った。
「先輩、病み上がりにすみませんけど、ここお願いしますね。俺、クラスのほう、行かなきゃいけなくて」
「さっさと行けよ」
追い払うように手を振ると、くすっと笑って香坂は生物室を出て行った。相変わらずわけがわからない反応だ。
「杉村先輩」
忙しかったのだろうか。部誌の山が乱れている。整理しようと数冊を机の上で揃えていると、不意に呼びかけられた。香坂が「宮川」と呼んでいた彼女がこちらをじっと見ていた。
宮川、ああ、郷土研究会の会長か、と頭の中で繋がったのと同時に、彼女が軽く頭を下げて名乗ってきた。
「宮川さくらです。郷土研究会の会長をやっています」
「ああ、香坂に聞いてる」
頷くと、宮川はゆっくりと頭を上げてこちらを見た。やけに冴え冴えとした目がピンクの縁の眼鏡の向こうから見つめてくる。
「文芸部、盛況みたいですね」
「……君のところの展示のおこぼれだろうけどな」
普段ならこんなに部誌が捌けたりはしない。ついぽろりと零れた本音を、宮川は黙って受け止めてから、おもむろに部誌の山から一冊取った。
「ずいぶん卑屈な言い方をされるんですね」
「卑屈?」
これはまた失礼な物言いだ。ムカッとして宮川を見下ろすと、彼女はぱらぱらとページをめくりながら言った。
「これを作るのに、苦労されたんじゃないんですか。それなのにそんなことを言われるなんて驚きです」
「なにが言いたいんだ」
目の前の女の意図が読めない。低く問い返すと、彼女は部誌を机に戻してこちらに向き直った。
「私、あんまり婉曲にものを言うこと好きじゃないので、はっきり言おうと思いますが」
「奇遇だな。俺もそうだよ」
なんだか敵意を感じる。わけがわからないが、売られたけんかは買う主義だ。鋭く切り返すと、宮川はまっすぐに麻人を睨んで言い放った。
「いい加減、香坂くんを自由にしてもらえますか」
「香坂?」
なんでここにあいつの名前が出てくるんだろう。首を傾げた麻人を、宮川はじっと見つめ、整然とした口調で言った。
「杉村先輩だって思ってるんじゃないですか。香坂くんが文芸部なんかにいるのはなんでだろうって」
「なんかとはなんだ」
「なんか、でしょう。うちのおこぼれがないと、部誌を配るのも苦労するくせに」
なんなんだ、この女は。
不愉快指数がマックスになった麻人は、宮川を睨み据える。
「確かにうちは弱小だが、それでも、なんか、などと蔑まれる覚えはない」
「おこぼれ、などとおっしゃったのは先輩だと思いますが」
確かにそうだ。が、こいつ、ムカつく。
いらいらし始めた麻人の険しい顔にも、彼女は一歩も引く様子がない。
「香坂くんはクラス委員ですし、とても忙しいです。それなのに、弱小文芸部、いいえ、あなたにこき使われて大変迷惑しています」
「君にそれがわかるのか。君は香坂でもないのに」
瞬時に切り返すと、淡々と述べていた宮川の頬に朱が差した。案外簡単に動揺するんだな、と麻人は意地悪く思う。
「香坂がはっきりそう言うのなら仕方ないと思うが、君にそれを言われて、真偽もわからぬまま、そうだね、と納得する理由もないだろう」
「…………香坂くんだって迷惑していると言っています」
低く吐き捨てられ、麻人は息を呑む。
まあ、そういうこともあるだろうとは思う。
傷ついたわけではない。だが、一瞬、言い返すのが遅れた。
「香坂くんが、どうして文芸部にいるか、杉村先輩はわかっていますか」
「さあ」
かろうじてそう返すと、宮川は麻人をぎらぎらした目で睨みつけてきた。
「杉村先輩を見捨てられないからですよ。あなたのような人を可哀相と思っているからです。香坂がいなくなったら、あなたのそばには誰もいなくなる。だからですよ」
畳みかけられ、麻人は言葉を失った。
この女は、なにを言っているのか。
自分の周りには確かに人がいない。それを悲しいと思ったことがないわけではない。が、この性格だ、仕方ないと弁えている。
だが、今、叩きつけられた言葉に、確かに麻人は動揺した。どの部分に動揺したのか自分でもわからないが、確かに心が軋んだ。
「いい加減、さっさと引退してください。もう三年ですし、受験勉強に勤しまれたほうがいいんじゃないですか」
「俺は進学しない。就職だ」
「もしかして勉強は得意ではないんですか。あんなに偉そうに、他の生徒には勉強しろとか注意なさるのに」
「言いたいことはそれだけか」
やっとのことでそう言うと、宮川は大きく息を吸ってから、はい、と頷いた。
「全部言いました。杉村先輩は賢い方だから、私の言いたいこと、わかっていただけたと思います」
「俺は」
言いかけた麻人はしかし、唐突に肩に手を置かれて言葉を呑み込んだ。その手に強引に引っ張られ、一歩退かされる。きっとなってそちらを睨むと、呆れ顔の伊藤がいた。
「お前ら、怖すぎる」
蛍光灯に白く透ける金色の髪を掻き上げつつ、伊藤は顎をしゃくって周囲を示してみせる。見回すまでもなく、生物室の中はしん、と静まり返っていた。みな、展示などそっちのけでこちらを注目していた。