翌日、七瀬は陽の光で目を覚ました。

 残念ながら期待は裏切られ、寝ていた場所は七瀬には大きすぎる天蓋付の立派な寝台だ。
 部屋に他の人の姿はなく、窓の外から鳥の鳴き声だけが聞こえる。

(ええっと、鈴を鳴らせば人が来てくれるんだっけ?)

 とりあえず人を呼ぶべきだと思った七瀬は、寝台の横に置かれた鈴を鳴らしてみた。
 するとリウンが言っていた通り女官が現れた。現れた女官は新しい服やお湯を持ってきていて、てきぱきと七瀬の顔を洗って着替えさせてくれた。

 朝になってあらためて寝室を見てみると、そこは想像以上に綺麗な部屋であった。
 床は赤い幾何学模様の描かれた艶やかなタイルが敷かれ、寝台を中心に漆塗りの美しい家具が一通りならんでいる。

「この部屋って、元は何の部屋なの?」

 ただの客室にしては過剰な豪華さを不思議に思った七瀬は、服を着せてくれている女官に尋ねた。
 丁寧に帯を結びながら、女官は答える。

「こちらは、本来は王妃のための居室でございます。今は無人ですけれども」
「ディオグって、結婚してないの? 子供は?」
「お世継ぎは、陛下の兄上であった先王の長男である太子です。太子もそのお母上も離宮に住んでいるので、ここにはいません」
「ふーん、そうなんだ」

 言われてみれば、七瀬はこの世界に来てから身分が高い女性を見た覚えがあまりなかった。おそらくディオグには、政治的にも精神的にも妻子はあまり必要がないのであろう。

 身支度が整うと、今度は大きな食堂に連れ出された。
 部屋の中央には細長い机が置かれていて、その端にはお粥や薬味が用意されていた。ボーリングができそうなくらいに広い部屋なのに、そこで朝食を食べるのは七瀬だけのようだ。

 あまり食欲はない気がしたが、湯気の立つお粥を目の前にすればやはり食べたくなった。
 玄米みたいな色のついたお米で作られたお粥は、柔らかすぎず固すぎず、ほどよい塩加減で美味しかった。
 しかしこの美味しい朝食もディオグによる恐怖政治の中で成り立っているものだと考えると、微妙な気持ちになってしまう。

 大方食べ終わったころ、リウンが食堂にやってきた。
 リウンは最初に会ったときとは変わらぬ真面目さで、七瀬に挨拶をした。

「おはようございます、ナナセ様。昨夜はよく眠れましたか?」

 だが七瀬の方は、当初の態度のまま接することは難しかった。

「うん。まぁまぁ、かな」
 リウンと目を合わすことができずに、七瀬は答えた。深く関わらないことに決めたとはいえ、どうしても昨晩見たつらそうな表情のリウンが脳裏にちらついた。

 七瀬が一人で気まずい気持ちになっていると、突然ディオグも入ってきた。

「二人とも、おはよ」
 まるで国王ではない気軽さで現れたディオグは、爽やかな笑顔で挨拶をした。

「おはようございます、陛下」
 リウンが即座にディオグに頭を下げる。

 その服従を当然のように引き受けながら、ディオグは七瀬に歩み寄った。

「ナナセ、昨日は大丈夫だった?」

 そう言って七瀬に微笑みかけるディオグは、普通に気さくな人に見えた。
 思わず七瀬は、ディオグが変質的な嗜好を持った異常者であることを忘れてしまいそうになってしまう。

「うん。昨日は迷惑かけて、ごめん」
(いやでも、待って。元凶はこの人だよね?)
 七瀬はつい昨晩の粗相について無難に謝罪をしてしまったが、そもそもの発端であるディオグの所業を思い出して考え直す。

 さらにディオグの後ろには、キエンも控えていた。
 キエンはリウンと鏡写しのような姿をしているが、その飄々とした態度はやはりまったく違っている。

「陛下、朝の謁見まであと少しですけど」
「わかってるよ。ちょっと話すだけだから」

 急かすキエンを退けて、ディオグは七瀬にささやいた。

「ナナセは、血を見るのが苦手なのかな。それなら今度は、流血が少ない処刑を一緒に見ようか。錘つけて水に落とすとか」
「それはちょっと、やめとこうかな」

 血が流れなくても死んでるでしょ、と七瀬は心の中で突っ込んだ。
 だがディオグはまださらに七瀬を誘い続けた。

「じゃあ、絞首刑とか」
「それも、遠慮させてもらうよ」

 ディオグの趣味の異常さは、常人である七瀬にはまったく理解できないものであった。
 この処刑好きの狂王の統治の中でどれだけの命が失われているのか、想像しただけで背筋が寒くなる。
 何度も断ったところで、ディオグはやっとあきらめた。

「ふーん。そっか。それじゃ、僕はこれから一日仕事だから、あとは自由に過ごしていいよ」

 ディオグはつまらなさそうな顔をして、キエンと一緒に部屋を出た。
 キエンは妙にじろじろと七瀬を見ていたが、何も言わずに立ち去った。
 再び、七瀬はリウンと二人に戻る。

「キエンって、リウンの従兄弟なんだって?」
「はい。同じ邑の出身で、幼なじみです」
 七瀬が訪ねると、リウンは短く答えた。

 だがその声は、リウンにしては嬉しそうな響きだった。
 どうやらキエンは、リウンにとって本当に大切な友達であるらしい。

(私には、キエンって人もちょっと変な人に見えるけど……。でも、幼なじみってそういうものなのかな)

 七瀬はキエンという人物の不可思議さについて考えながら、食後に用意されたお茶を飲んだ。
 ディオグの側近をやって涼しい顔をしているのだから、キエンもただ者ではないだろうと七瀬は思う。
 だがリウンにとっては良い友達であるようなので、その点に触れるのはやめた。