目を覚ますと、七瀬は寝台の上にいた。

 まだ夜であるらしく部屋は暗く、明かりは隅に置かれた燭台だけだった。しかし寝室として使われている場所なのだろうということは何となくわかった。
 寝ている間に女官か誰かが着替えさせたのか、服も見覚えのない新しいものに変わっている。

(私、吐いて倒れたよね?)

 七瀬は慌てて、すぐに起き上がった。

 すると近くにリウンがいて、椅子から立ち上がって七瀬の様子を見に来た。
 リウンも宴のときの服から着替えたらしく、もう血の汚れはまったく見えなかった。

「お目覚めですね。ご気分はどうでしょう。水が必要ですか?」
「今は全然。っていうか、さっきは……」

 七瀬はいきなりリウンがいて、何から質問すればいいのかわからなかった。

「宴でのことは、陛下は気になさってないので大丈夫です」
「それはまぁ、それでありがたいことなんだけれども……」

 リウンは、七瀬が一番に気にしているのはディオグの服に吐いたことだと思っているらしかった。
 だが、七瀬が聞きたいのはそこではなかった。

「えっと、あの女の人は、どうなったの?」
 遠まわしに聞けないか迷いながらも、結局七瀬は直接尋ねた。
 当事者であるリウンにはなかなか切り出しづらいものがあったが、気になってしまったことには仕方がない。

「彼女は奴婢に落とされました。止血の処置を受けたはずなので、生きてはいると思います」
 寝台の側に跪き、言葉少なくリウンは答える。
 処刑の際に見せた感情はもう見えない、落ち着いた態度だった。

 だが七瀬は、その裏にあるはずの深い葛藤の存在を知っていた。

(おかしいのはこの世界であって、リウンじゃない。でも……)

 これ以上リウンを追及するのは、酷なことだと良心が告げる。
 だがどんなに残酷な命令を下されても従い続けるリウンの姿を見ていたら、七瀬は思わず抱いた疑問をぶつけてしまった。

「どうして皆、あんなのに付き合ってられるの? 家に帰ろうとしたくらいで死罪とか手を切り落とすとか、絶対変でしょ」

 リウンを責める気はなかったが、それでも七瀬の問いは鋭く響いた。
 しばらく、沈黙が流れる。

 暗闇の中で感情を隠すように目を伏せ、リウンは七瀬の批判を静かに否定した。

「おかしいことではありません。それがこの国の法で、命じたのは王である陛下ですから」
「でも、だからって」
「ご安心ください。稀客であるナナセ様は、まず危害を加えられることはありません」

 納得しない七瀬に、リウンはなだめるように言った。

「そういう問題じゃなくて……」
 七瀬は自分の置かれた状況の理不尽さに気付かない、リウンの疎いほどの善良さが歯がゆかった。

「リウン。あなただって本当は、あんなことやりたくないんじゃないの?」
 自分の傍らに跪くリウンを見つめ、七瀬は尋ねる。
 だが、その言葉はリウンに届くことはなかった。

「全てこの国のために定められたことです。俺の感情は関係ありません」
 リウンは真摯に七瀬を見つめ返した。そして小さくお辞儀をし、立ち上がった。
「今日はお疲れでしょう。ゆっくりお休みください。俺は一旦帰ります。この鈴を鳴らしていただければ女官か、ご用命の内容によっては俺が対応します」

 そう言って寝台の脇の棚に置かれた鈴を指し示し、リウンは去った。
 退出する時もまた、その従順すぎる態度が変わることはない。

 残された七瀬は、釈然としない気持ちでリウンの出て行った扉を眺めた。

(自分が人を傷付けるときにどんなに苦しそうな顔をしているのか、リウンは気づいていないんだろうなぁ)

 どうしようもない気持ちになって、七瀬は寝台の上に寝転がった。

 法律や主従関係という社会的規範に従わないことには国は成り立たない、というリウンの主張は間違ってはいない。
 だが、この国の王であるディオグがその社会の構造を利用してやっていることは、そういう理屈では正当化できないものが確実にあった。

(だってあの人、単純に人をいたぶるのが趣味なだけだよね?)

 ディオグは明らかに、処刑を楽しんでいた。

 しかもさらにたちが悪いことに、ディオグは人を肉体的に苦しめることだけでなく、それをリウンのような善良な人間に命じて無理矢理実行させることに喜びを見出していた。
 わざわざキエンの申し出を断ってリウンを指名したのは、そのためだとしか思えなかった。
 しかし当のリウンは、ディオグの命令は絶対で従うのが当然だと信じて疑っていない。

 ディオグが王であるのは事実であるし、たしかにその命令はこの国の民にとっては強制力があるものだと思われた。だが今現実に目の前にある力関係は、それだけでは片づけられないほど不気味で病的なものだ。

(こういうの、マインドコントロールって言うんだったかな……。うぅ、何だか恐ろしいところに来てしまったみたいだ)

 七瀬は寝返りをうって、ため息をついた。
 いくら稀客は傷付けられる心配がないとは言っても、こんな狂った王の支配する世界には二週間どころか一秒だっていたくはない。

 夢なら終わらないだろうかと期待しながら、七瀬は眠りにつこうとする。

 しかし同時に、リウンを助けたいという気持ちも生まれつつあった。それは、七瀬がこの世界に来て初めて持った能動的な感情であった。
 だがその想いに素直に従えるほど、七瀬は思いやりがある人間ではなかった。

(こんな世界で人を救うとか、ただの女子高生の私にできることじゃないしな……。せっかく二週間で帰れるんだし、余計なことは考えない方がいいよね)

 七瀬はさっさと自分の正義感に見切りをつけ、掛布団に包まった。
 なめらかな生地に覆われた布団は軽く、ちょうどいい温かさだった。