ディオグから逃れて外に出ると、もう夜になっていたため森は真っ暗であった。
(確か、瑞風ってやつが起きるのは森の奥の湖……なんだけど、それはどっちだ?)
昼でも道がわからない深い森を前に、七瀬は途方にくれた。
周りの様子が良く見えない上に、枝や木の根が邪魔をする。
それでもディオグのいる遺跡から離れなくてはという一心でやみくもに走っていると、人影が前に現れた。
「ナナセ。やっと見つけました」
暗闇の中で目を凝らすと、ほっとした顔でそう七瀬に呼び掛けているのはリウンだった。
七瀬は立ち止まり、距離を置いておそるおそる尋ねた。
「私を探していたの?」
「はい。もうすぐ瑞風が起きるのに戻らないので、探していました。宮殿のどこにもいらっしゃらないため、もしかしたらと思いここに」
そう答えるリウンに表情に、嘘はなかった。
リウンはディオグの配下の人間であるため、七瀬は一瞬身構えていた。だがリウンはディオグの本当の目的を何も知らないようだったので、ひとまず安心する。
「リウン。あの、ディオグが私を殺そうと……」
七瀬は、リウンに手短に事情を説明しようとした。
「陛下が?」
だがリウンが眉をひそめたそのとき、木陰から兵士の集団が出てきた。
現れた兵士たちは十人ほどで、二人に槍を向け四方をぐるりと囲む。気配を消して近づいていたのか、突然のことであった。
「これは誰の命令だ」
リウンは腰に佩びた刀に手をかけ、七瀬を守るように立った。
兵士たちに問いかけるリウンの横顔は上官らしさがあり、七瀬の知らない雰囲気だ。
(敬語を話してないリウンって、何気に初めてかも)
七瀬は自分の危機も忘れて、いつもと違う声に聞き惚れた。
リウンのことをそれなりにわかっている気になっていたが、本当はまだ見ていない表情がたくさんあった。
「衛士殿、それは……」
兵士たちのリーダー格らしい青年が、リウンに説明しようとする。
しかしそのとき、兵士たちの後ろから深く甘やかな声が響いた。
「僕の命令に決まってるでしょ」
その声の持ち主は、もちろんディオグであった。
ディオグは七瀬を追ってきていた。七瀬は気づかなかったが、おそらくこの兵士たちも神殿の近くに控えていたのであろう。
「陛下」
刀の柄にかけた手を迷わせて、リウンは狼狽えながらディオグを見た。
今までリウンに下されてきた命令と矛盾するディオグの行動に、混乱しているようだ。
兵士を従わせたディオグは超然と立ち、高圧的な態度で言った。
「リウン、ナナセを僕に渡しなさい。命令だ」
白い袖を揺らしてディオグが手を上げると、七瀬たちを囲む兵士たちはさらに槍を近づける。
(こんな大人数、どうにかなるの?)
七瀬は不安になって、リウンの影に隠れた。
兵士たちはよく訓練されていて、とても簡単に突破できる相手には見えない。
絶対の支配者であるディオグの命令を前に、リウンは口答えをすることをためらいながらも聞き返した。
「ナナセを、殺すのですか?」
「うん。そうだよ」
「なぜ? 稀客は帰すのが決まりではないのですか?」
ディオグは、今まで客人としてもてなしていた存在であるナナセをあっさりと殺そうとしている。その変化について行けず、リウンは戸惑い悩んでいた。
だがディオグはリウンの迷いを一蹴する鋭さで、七瀬を殺さなくてはならない理由を述べた。
「それは安心させるための嘘だよ、リウン。本来稀客は、この国のために殺されなくてはいけない生贄なんだ」
それは反論を許さない単純さを持った説明だった。
そしてディオグは冷ややかにリウンに微笑み、再度命令を下す。
「だからリウン、僕に従いなさい。ナナセは死ぬべき存在だ」
それはリウンが今までずっと従ってきた、残酷な王の命令であった。
よく通るディオグの声は、先天的に生まれ持った人を屈服させる力のようなものがある。
手を震わせて、リウンは刀を抜き七瀬に向けようとした。
七瀬は黙って立って、それを見ていた。
ディオグに殺されそうになったときは全力で逃げようとした七瀬であるが、不思議とリウンからは逃げる気にはならなかった。
リウンが自分を殺さないという確信があるわけではない。だが、リウンが選んだ結末ならどういうものでも受け入れることができる気がした。
何かをしたというわけではないが、七瀬はリウンにそれなりに関わってきた。その上でリウンが七瀬を殺すなら、それは半分は七瀬自身が責任を負うべき結末なのだと思った。
「俺は……」
落ち着いた態度を取る七瀬に対して、リウンはひどく苦悩していた。七瀬を死なせることは、すぐには従えない命令であるらしい。
刀の柄を掴んだまま立ち尽くすリウンに、ディオグはあざ笑うように問いかける。
「もしかして、七瀬を守るつもり? そんなことをして、今まで殺してきた人に申し訳ないと思わないのかな」
「っ……」
ディオグの言葉に、リウンは怯えた。それは的確に、リウンの罪悪感を突いていた。
犯させた罪を檻にして捕らえ逃がさないというのが、ディオグの支配だった。
ディオグの命令に逆らうことは、それまでその命令によって犯してきた罪と向き合わなければならないことを意味する。その罪悪から逃れるためには、ディオグに従い続けるより他はない。そうして殺してきた人の死で、リウンはさらに囚われていた。
だがそのときのリウンは、ディオグの命じた通りには行動しなかった。
「……従えません」
震える声で、リウンは言った。リウンは初めて、ディオグの命令に逆らっていた。
ディオグはリウンの反抗に、その酷薄な瞳をわずかに見開く。
「今、何て言ったのかな」
「従えません、と言ったんです」
リウンはゆっくりと刀を抜き、ディオグに対して構えた。
顔色は悪く表情は強張っていたが、その瞳には確かな決意がある。
(リウンが、私のためにディオグに逆らっている……)
リウンの後ろで守られて、七瀬は半ば申し訳ない気持ちでその背中を見つめた。
そうなることを期待していたのであるが、現実として目の当たりにすると負い目を感じた。ディオグの命令に反することは、リウンにとって非常に重い意味を持っているはずだ。
「リウン、僕に逆らうの?」
ディオグは静かにリウンに尋ねた。
どんな結果になるにしてもリウンは自分の影響から逃れられないと確信しているのか、それとも結局はリウンは替えのきく存在に過ぎないのか、ディオグは七瀬が想像したよりもずっと冷静だった。
リウンは迷いを振り切って、真っ直ぐにディオグを見据える。
「ナナセは殺させません。ナナセはこの世界とは関係ない人です。だから絶対に帰します」
そう言って、リウンは刀を持っていない方の手で七瀬の手を強く握った。
「俺から離れないでください」
リウンが横目で七瀬の顔を見る。
「わかっ……」
七瀬が返事をしようとした瞬間、周りの兵士が槍で二人を刺そうとした。
「ひっ!」
四方から槍を突きつけられ、七瀬は息を飲んだ。
リウン相手ならともかく、知らない男に殺されるのはやはり嫌だった。
リウンは身を竦ませた七瀬の腕を引っ張って抱き寄せ、槍の切っ先を刀で滑らしてそらしながら攻撃を避けた。
そしてそのまま素早く手前に兵士に近づいて、峰打ちで倒す。
「走ります」
リウンは七瀬の耳元でそうささやくと、崩した囲みを抜け出て走り出した。
「う、うん」
七瀬はリウンに手を握られたまま、必死でついて行った。
(確か、瑞風ってやつが起きるのは森の奥の湖……なんだけど、それはどっちだ?)
昼でも道がわからない深い森を前に、七瀬は途方にくれた。
周りの様子が良く見えない上に、枝や木の根が邪魔をする。
それでもディオグのいる遺跡から離れなくてはという一心でやみくもに走っていると、人影が前に現れた。
「ナナセ。やっと見つけました」
暗闇の中で目を凝らすと、ほっとした顔でそう七瀬に呼び掛けているのはリウンだった。
七瀬は立ち止まり、距離を置いておそるおそる尋ねた。
「私を探していたの?」
「はい。もうすぐ瑞風が起きるのに戻らないので、探していました。宮殿のどこにもいらっしゃらないため、もしかしたらと思いここに」
そう答えるリウンに表情に、嘘はなかった。
リウンはディオグの配下の人間であるため、七瀬は一瞬身構えていた。だがリウンはディオグの本当の目的を何も知らないようだったので、ひとまず安心する。
「リウン。あの、ディオグが私を殺そうと……」
七瀬は、リウンに手短に事情を説明しようとした。
「陛下が?」
だがリウンが眉をひそめたそのとき、木陰から兵士の集団が出てきた。
現れた兵士たちは十人ほどで、二人に槍を向け四方をぐるりと囲む。気配を消して近づいていたのか、突然のことであった。
「これは誰の命令だ」
リウンは腰に佩びた刀に手をかけ、七瀬を守るように立った。
兵士たちに問いかけるリウンの横顔は上官らしさがあり、七瀬の知らない雰囲気だ。
(敬語を話してないリウンって、何気に初めてかも)
七瀬は自分の危機も忘れて、いつもと違う声に聞き惚れた。
リウンのことをそれなりにわかっている気になっていたが、本当はまだ見ていない表情がたくさんあった。
「衛士殿、それは……」
兵士たちのリーダー格らしい青年が、リウンに説明しようとする。
しかしそのとき、兵士たちの後ろから深く甘やかな声が響いた。
「僕の命令に決まってるでしょ」
その声の持ち主は、もちろんディオグであった。
ディオグは七瀬を追ってきていた。七瀬は気づかなかったが、おそらくこの兵士たちも神殿の近くに控えていたのであろう。
「陛下」
刀の柄にかけた手を迷わせて、リウンは狼狽えながらディオグを見た。
今までリウンに下されてきた命令と矛盾するディオグの行動に、混乱しているようだ。
兵士を従わせたディオグは超然と立ち、高圧的な態度で言った。
「リウン、ナナセを僕に渡しなさい。命令だ」
白い袖を揺らしてディオグが手を上げると、七瀬たちを囲む兵士たちはさらに槍を近づける。
(こんな大人数、どうにかなるの?)
七瀬は不安になって、リウンの影に隠れた。
兵士たちはよく訓練されていて、とても簡単に突破できる相手には見えない。
絶対の支配者であるディオグの命令を前に、リウンは口答えをすることをためらいながらも聞き返した。
「ナナセを、殺すのですか?」
「うん。そうだよ」
「なぜ? 稀客は帰すのが決まりではないのですか?」
ディオグは、今まで客人としてもてなしていた存在であるナナセをあっさりと殺そうとしている。その変化について行けず、リウンは戸惑い悩んでいた。
だがディオグはリウンの迷いを一蹴する鋭さで、七瀬を殺さなくてはならない理由を述べた。
「それは安心させるための嘘だよ、リウン。本来稀客は、この国のために殺されなくてはいけない生贄なんだ」
それは反論を許さない単純さを持った説明だった。
そしてディオグは冷ややかにリウンに微笑み、再度命令を下す。
「だからリウン、僕に従いなさい。ナナセは死ぬべき存在だ」
それはリウンが今までずっと従ってきた、残酷な王の命令であった。
よく通るディオグの声は、先天的に生まれ持った人を屈服させる力のようなものがある。
手を震わせて、リウンは刀を抜き七瀬に向けようとした。
七瀬は黙って立って、それを見ていた。
ディオグに殺されそうになったときは全力で逃げようとした七瀬であるが、不思議とリウンからは逃げる気にはならなかった。
リウンが自分を殺さないという確信があるわけではない。だが、リウンが選んだ結末ならどういうものでも受け入れることができる気がした。
何かをしたというわけではないが、七瀬はリウンにそれなりに関わってきた。その上でリウンが七瀬を殺すなら、それは半分は七瀬自身が責任を負うべき結末なのだと思った。
「俺は……」
落ち着いた態度を取る七瀬に対して、リウンはひどく苦悩していた。七瀬を死なせることは、すぐには従えない命令であるらしい。
刀の柄を掴んだまま立ち尽くすリウンに、ディオグはあざ笑うように問いかける。
「もしかして、七瀬を守るつもり? そんなことをして、今まで殺してきた人に申し訳ないと思わないのかな」
「っ……」
ディオグの言葉に、リウンは怯えた。それは的確に、リウンの罪悪感を突いていた。
犯させた罪を檻にして捕らえ逃がさないというのが、ディオグの支配だった。
ディオグの命令に逆らうことは、それまでその命令によって犯してきた罪と向き合わなければならないことを意味する。その罪悪から逃れるためには、ディオグに従い続けるより他はない。そうして殺してきた人の死で、リウンはさらに囚われていた。
だがそのときのリウンは、ディオグの命じた通りには行動しなかった。
「……従えません」
震える声で、リウンは言った。リウンは初めて、ディオグの命令に逆らっていた。
ディオグはリウンの反抗に、その酷薄な瞳をわずかに見開く。
「今、何て言ったのかな」
「従えません、と言ったんです」
リウンはゆっくりと刀を抜き、ディオグに対して構えた。
顔色は悪く表情は強張っていたが、その瞳には確かな決意がある。
(リウンが、私のためにディオグに逆らっている……)
リウンの後ろで守られて、七瀬は半ば申し訳ない気持ちでその背中を見つめた。
そうなることを期待していたのであるが、現実として目の当たりにすると負い目を感じた。ディオグの命令に反することは、リウンにとって非常に重い意味を持っているはずだ。
「リウン、僕に逆らうの?」
ディオグは静かにリウンに尋ねた。
どんな結果になるにしてもリウンは自分の影響から逃れられないと確信しているのか、それとも結局はリウンは替えのきく存在に過ぎないのか、ディオグは七瀬が想像したよりもずっと冷静だった。
リウンは迷いを振り切って、真っ直ぐにディオグを見据える。
「ナナセは殺させません。ナナセはこの世界とは関係ない人です。だから絶対に帰します」
そう言って、リウンは刀を持っていない方の手で七瀬の手を強く握った。
「俺から離れないでください」
リウンが横目で七瀬の顔を見る。
「わかっ……」
七瀬が返事をしようとした瞬間、周りの兵士が槍で二人を刺そうとした。
「ひっ!」
四方から槍を突きつけられ、七瀬は息を飲んだ。
リウン相手ならともかく、知らない男に殺されるのはやはり嫌だった。
リウンは身を竦ませた七瀬の腕を引っ張って抱き寄せ、槍の切っ先を刀で滑らしてそらしながら攻撃を避けた。
そしてそのまま素早く手前に兵士に近づいて、峰打ちで倒す。
「走ります」
リウンは七瀬の耳元でそうささやくと、崩した囲みを抜け出て走り出した。
「う、うん」
七瀬はリウンに手を握られたまま、必死でついて行った。