魚海町に住むマルコと別れ、今日の出来事について話しながら歩く。
「ところでミチル、お爺さんがマシュマロを使って、あたしたちを時計堂に案内させたってどうしてわかったの?」
紅葉が聞く。僕もそこは気になっていた。
「町の人たちにはマシュマロの姿が見えてないみたいだって紅葉言ってたでしょ? それに〝五人の写真〟。きっとマシュマロは、わたしたち以外には本当に見えてないのよ」
お爺さんは〝自分はあの場所から動くことができない〟と言った。時計堂に僕たちを集めるために、マシュマロを迎えに寄こしたと考えるのは自然だ。
「でも、よくあたしが商店街にいるってわかったね」
「紅葉ちゃんがいないときに気づいたのよ。ヒントが写ってたの。写真の右上にね……」
ミチルはゴソゴソと手さげカバンから写真を取り出すと、「あれ?」と声をあげた。
「真っ白になってる! なにも写ってない!」
「ええ⁉ なんで消えちまったんだ⁉ 手品か? 確かに俺ら写ってたよな⁉」
裏表をひっくり返しても何もない。ミチルが紅葉に説明した。
「この右上の隅にね、商店街の提灯が写ってるって、マルコが気がついたの。でも……」
みんなが沈黙した。手の中にあるのは、まるで現像する前の写真。掘り起こしたときにはあったはずの僕ら五人の鮮明な姿はすっかり消え去っている。
「ひょっとしたら、これもお爺さんが仕かけたのかもね。現に僕たちは、マシュマロの訴えに気づいて追いかけたけど、結果的に足の速い紅葉だけが先に行ってしまって、残された僕たちは迷って逸れてしまったし。だから、僕たちがバラバラになってしまった時のことを想定して、みんなが同じ目的地にたどり着くようにあんな写真を作ったのかも……」
もちろん本当のことはわからない。でもこの仮説がよほど真に迫っていたのか、みんなはそれで納得した様子だった。
途中、紅葉とミチルに別れを告げて、僕とジョージは人馬町の自宅へと歩く。帰り道ずっと、ジョージは腕時計を眺めては、早く使いたいとばかりに目を輝かせていた。
「あー……あー……こちらクレイジー1号、マルコ隊員応答願います」
すると、さっそくマルコから通信が返ってきた。
『こちらマルコ……今、ご飯を食べてるから、後にしてくれないかなあ?』
モゴモゴ話す声の後ろから、マルコのお母さんらしき声がする。
『マルコ? なにを一人でブツブツ言ってるの? ご飯のおかわり?』
生活感丸出しの初通信に僕とジョージが大笑いしていると、腕時計から紅葉のケラケラとした笑い声が聞こえてきた。続いてミチルも参戦してくる。
『あんたたち! くだらないことしてんじゃないわよ!』
『マルコ、今日の晩御飯のメニューはなんだった?』
『うんとね、今日はオムそばにポテトサラダに唐揚げだよ!』
ちっともブラジルらしくないそのメニューに、みんなが笑っていると、
『マルコ、具合でも悪いの? さっきから一人でブツブツ言いっぱなしよ?』と心配そうなマルコのお母さんの声が聞こえてくる。僕らの声はまったく聞こえないようだ。
「この通信機も実体がないのかな。僕たち以外には見えないし聴こえないみたいだね」
『そうみたいね。マルコ? 心配させちゃうから、もうしゃべっちゃダメだよ』
『うん! わかったよ! ミチルちゃん、ありがとう!』マルコは元気に答える。
だからしゃべっちゃダメだって言ってるのに……。
その夜、お父さんがテーブルに着くなり興奮して言った。
「今日お父さん、イエローバスが路肩の街路樹にぶつかるところを見たぞ!」
授業中に見たバスの事故のことだ!
「それ、僕も教室の窓から見えたよ!」
「確かに千斗の学校からも見える位置かもな? ちょうど仕事で近くのビルにいてね。打ち合わせをしてたら突然すごい音がしたんで見てみたら、バスが街路樹に衝突して止まってたんだ。ぶつかったときの音はすごかったけど、大きなケガ人は出なかったようだよ」
「そう、それはよかったわね」お母さんが、安心した声を出す。
「ねえ、お父さん、なにが原因でバスは事故を起こしたんだと思う?」
「目撃した人によると、運転手さんが居眠りしてたらしいって話だよ。とにかく、おまえも道を歩くときは気をつけろよ? だれか知ってる人が乗ってたんじゃないかって、さすがにお父さんもヒヤッとしたからなあ」
大きな被害は出ていないとわかっても、安心はできなかった。今日は他にもサイレンを聞いている。町に一つサイレンが鳴ると、一体何人の人が怪我をしたり怖い思いをするんだろう。それにこうやって、大事な家族を心配させることにもなる。
「ねえ、明日お弁当作ってくれない? 友だちと公園で一緒に食べる約束をしたんだ」
「うーん、急ねぇ。大した物作れないわよ?」
「うん、ありあわせでいいから。突然でごめんね。ごちそうさま!」
すべてがやつの仕業かはわからない。でもスカーフェイスを捕まえて、この町に鳴るサイレンを一つでも防ぐことができるなら……。そう考えると緊張で背筋がぶるっとした。
僕たちがこれからやろうとしていることは、きっとすごく大事なことだ。突然現れたマシュマロ。黒野時計堂のお爺さん。時間泥棒のスカーフェイス……。夜になっても、僕はずっと考えこんでいた。リビングでもお風呂でも、布団の中でもずっとだ。
いつもならテレビを見たり、次に出るマンガの発売日を考えたりしてダラダラしている。でも今日は昼間のことを考えるだけで、あっという間に時間がすぎていった。
一日はいつだって同じ二十四時間のはずなのに、どうしてこんなに違って感じるんだろう……。一番身近にあって、一番説明のつかない時間ってもののことを、僕は夢の中まで持ち込んで考え続けた……。
『みんな、おはよう! 今日はお弁当忘れないように持ってきてよ! 特にジョージ! あんたお弁当忘れても、分けてあげないからね!』
いつしか寝てしまっていた僕は、腕時計から聞こえる紅葉の元気な声で目をさました。
「千斗ー、そろそろ起きなさい」
お母さんが部屋に入ってくる。僕は慌てて腕時計を隠し、声が漏れないようにした。
「どうしたの千斗、突然布団に包まったりして。起きてるなら早く顔を洗ってきなさい」
珍獣でも見るような目だ……。そういえばこの時計は他の人にはわからないんだった。これじゃまるで怪しんでくださいって、わざわざ言っているようなものだ。お母さんはニヤニヤしている。何を怪しんでいるのか知らないけど、すごく嫌な感じだ。
『こちらミチル、お弁当の件了解です』
ミチルからヒソヒソ声での通信が届いた。たぶん近くに家族がいるんだろう。
『おはよう! ボク、マルコ、お弁当は大丈夫だよ! 今ママが作ってくれてるんだ!』
『こちら…クレイジー1号……』
ジョージは半分夢の中だ。今日の遅刻も間違いない。
「おはよう、こちら千斗。僕もお弁当は大丈夫だよ、じゃあ後で」
『なによみんな! そんなんじゃ敵に逃げられるわよ!』
紅葉だけは元気はつらつだ。
「お父さん、おはよう」顔を洗って食卓に着くと、大きく開いた新聞で顔を隠していたお父さんが、横から笑顔をのぞかせた。
「千斗、今日はみんなで弁当を食べるんだって?」
花見でもすると思っているのか、お父さんは新聞紙ごと椅子を引きずりゴニョゴニョと言った。
「公園で弁当なんてうらやましいな。千斗のお目当ての女の子は来るのか」
「ちっ、違うよ⁉ そんなんじゃないってば!」
思わずスープを吹き出す。
「なあ、いいだろ? 教えろよ」
お父さんは新聞に隠れるようにしてニヤついている。
「なーにバカやってるのよ、うちの男どもは……」
お母さんが、お父さんから新聞を奪いとりながら、こぼしたスープを拭いて呆れ声で笑った。
「じゃあ、もう僕行くからね。お母さん、お弁当ありがとう!」
「千斗!」と僕を呼び止めたお父さんが、リビングから顔だけ出して笑っている。
「がんばれよ!」
だから違うって言ってるのに! でも僕たちは、僕たちのやるべきことを頑張るよ。
「いってきます!」
通いなれた通学路を、時間を盗まれた人がいないか気にしながら歩く。注意深く辺りを観察しながら進むけど、今日は様子のおかしい人たちを見かけない。
ただ穏やかで、心地好く吹く風とポカポカした陽気――それは喜ばしいことのはずなのに嵐の前の静けさのように感じられて不気味だった。
スカーフェイスは今どこに潜んでいるんだろう。結局何事も起こらないままに僕は学校へと到着して、居眠りしそうになる暖かい窓際に今日も座った。
一限目の国語の授業が三〇分も過ぎたころ、いつものように教室の扉がガラッと開く。
「おはようございます! 昨日興奮して、なかなか寝つけませんでした!」
「そのまま席で立ってなさい」
遅刻の理由はいつもと違うけど、先生とのやり取りはだいたい同じだ。そんなこんなで土曜日の授業が滞りなく過ぎていって終業チャイムが校内に流れると、みんないっせいに帰り支度を始める。紅葉がみんなを集めると言った。
「さあ、マシュマロが待ってるわ。ライオン公園に向かうわよ」
「紅葉ちゃん、部活休むって、伝えに行かなくていいの?」マルコが心配そうに尋ねる。
「大丈夫よ。朝練のときに顧問の先生に伝えたわ! このまますぐ出発よ」
「俺、昨日いろいろ考えたんだけどさ……」
ジョージが口を開いたのは、獅子丘町の坂をのぼっているときだった。
「『コスモ戦隊クレイジーレンジャー』か、『クレイジー戦隊コスモレンジャー』しかないと思うんだよ」
まさかとは思うけど、それを考えるために昨日寝つけなかったんじゃないよね?
「どっちもないわよ!」
紅葉に見事に一刀両断されて、ジョージは意気消沈だった。
「みんなー、おつかれさま!」
坂の上を見上げると、マシュマロが公園入り口の石門まで迎えにきていた。
「マシュマロー! こんにちは」嬉しそうにマルコがかけ寄る。
「みんな、待ってたよ。お昼を食べたらさっそく出発しよう」
マシュマロの後について芝生に腰をおろすと、さっそくお弁当を広げた。
「ねえマシュマロ。チーズカマボコも持ってきたから、よかったら食べて?」
自分の弁当とは別に、マルコはマシュマロの分も持ってきていた。
「ありがとうマルコ。気持ちはすごく嬉しいけど、ボク食べられないんだ」
「どうして? チーズカマボコは嫌い?」
悲しそうにするマルコに、マシュマロは首を横にふる。
「違うよ。君たちの目にボクは見えるけど、ボクにはこの世界での《実体》がないんだ。つまり食べたくても、口をすり抜けちゃって食べれないんだよ」
「え? どういうこと?」
きょとんとしたマルコがマシュマロの口もとにチーズカマボコを差し出すと、カマボコはマシュマロの体をすり抜けた。
「うわ! 本当にすり抜けたよ!」
「ちょっと待って。マルコはマシュマロのこと、膝に乗せてなかった?」ミチルが聞く。
「君たちは別だよ。ボクに触れるのは君たちだけ」
一つ疑問が浮かんでくる。
「マシュマロ、お爺さんはクロを捕まえてくれって頼んだよね? 僕たちは特別だから、スカーフェイスの姿が見えるし触ることもできる。でも、何を頼りにクロを探せばいいの? それにチーズかまぼこが君の体をすりぬけたってことは、捕まえるのに道具を使うこともできないってこと?」
「あ! そっか。わたしたち以外には見えないってことは、目撃情報もないから探せないわけだ! 痕跡がなかったらどうやって探せばいいのかわからないもんね!」
「ナァ!? どういうことだよ? 俺にもわかるように説明してくれ!」
「千斗君、ボクもわからないよ」
「これは推測なんだけど、つまり町の人たちに黒猫を見ませんでしたか? って聞いて回っても、そもそも他の人にはスカーフェイスは見えてないし、情報なんてあるわけがないんだ。仮に黒猫を見たっていう人があらわれても、それは猫違いってことになる」
「ううん千斗君、違うんだ。クロの姿は町の人にも見えているよ。でも目撃情報はなかなか聞き出せないと思う」
なぜだかマシュマロがさびしそうに否定した。
「え? おまえは俺たちにしか見えないのに、どうしてスカーフェイスは他の人たちにも見えるんだ?」
「不法の器……。この世界で実体のないボクたちは、本来なんの干渉もできないんだ。でも一つだけ、この世界に干渉する方法があるんだよ」
「どういうことよ? それがその、不法の器ってやつ?」
紅葉が尋ねると、マシュマロはさらに表情を曇らせながら言葉を泳がせる。
「うん。でもこれは絶対にやってはいけない禁術だって、おじいさんに言われてたのに」
クロ、つまりスカーフェイスは、その禁術を使ってしまったってことなんだろう。でも、一体どうしてマシュマロはこんなにも悲しそうなんだ?
「でも、それってつまり、実体を持って姿が見えるようになるだけなんでしょ?」
それのどこがいけないの? って顔で紅葉が尋ねた。
「ボクたちは時間の管理人なんだ。そんなボクたちが、君たちの世界で実体を持つってことは、つまり君たちの世界で力が使えるってことなんだよ。それにこっちで実体を持つためには、こっちの世界の器、つまり生身の体が必要になるんだ」
そうか、最近町で多発しているこの時間泥棒の事件は、スカーフェイスがこっち側で実体を持ったから起きてることだったんだ!
「え? じゃあ、今スカーフェイスが使ってる器ってのは?」
「君たちの町で暮らしている別の黒猫の体を、クロは無理やり乗っ取っているんだ」
マシュマロの話では、乗っ取られた黒猫は、その間の記憶を失くすらしい。つまり、これも黒猫の時間をかすめ取るって行為なんだ。すると、マルコが核心をついた。
「でもさ、どうしてスカーフェイスは、ボクたちの時間を盗むんだろう?」
「ボクも詳しいことはわからないんだ。おじいさんも話してくれないし……」
マシュマロは少しうつむき加減にそうつぶやくと、顔を上げ僕たちを見回して言った。
「クロがおかしくなったのは、お兄ちゃん代わりのブッチがいなくなってからだよ」
「ブッチ? ブッチって、猫なの?」
紅葉が聞くと、マシュマロは黙ってうなずいた。
昨日僕たちがマシュマロを追いかけて時間の狭間に入り込んだとき、お店にはお爺さんしかいなかった。黒野時計堂には他にもブッチっていう猫が住んでいたってこと?
「ブッチはね、とても面倒見のいいお兄ちゃんで、ボクもクロも、ブッチのことが大好きなんだ。ボクたち双子は、生まれたときからお父さんもお母さんもいなくてさ、ずっとふたりきりで生きてきたから、ブッチと会ったときは本当のお兄ちゃんができたみたいで、ボクたちとっても嬉しかったんだよ!」
マシュマロのひげがピンと張っている。昔を思い出すのか、その目をキラキラとさせながら少し興奮しているように見えた。
「クロは、ボク以上にブッチにべったりでね。ボクたちの仕事は、時計の中で《時間》を正確に刻むことなんだけど、あんまりにもブッチが大好きなクロは、いつもブッチにくっついてフラフラしちゃうから、黒野おじいさんやブッチに怒られてばかりだったよ」
マシュマロは時計の《短針》、つまり一番大きな時間を示す役割だとお爺さんは説明した。スカーフェイスは《長針》で、《分》の役割をしてたってことだろ? じゃあもうひとりのブッチの役割って……。
「なるほどね。ブッチを追いかけちゃったら、スカーフェイスの時間は狂っちゃうよね」
そんなミチルの発言に、さっぱりわかっていないはずのジョージが「なるほどッ!」と相づちをうって、紅葉につっこまれている。
残る役割はひとつ――《秒針》だ。確かに、《分》で動かなきゃならないスカーフェイスが、秒の役割のブッチにべったりくっついてしまったら、正しい時間なんて到底刻めない。だからお爺さんもブッチも、スカーフェイスを叱ったんだろう。
「それでもクロは嬉しそうだったよ。もともとすごくさびしがり屋で、いつも一緒にいるボクがほんのちょっといなくなっただけで、心配して探しにくるくらいだったからね」
「でも、そのブッチっていう猫がいなくなっちゃったからって、どうしてスカーフェイスは、こんないたずらをするのかしら?」
紅葉がそう聞くと、隣でしばらく考え込んでいたミチルが口を開いた。
「ねえマシュマロ、ブッチは一体どこへ行ったの?」
「それはボクにもわからないよ。でも黒野おじいさんは言ったんだ。いつかおまえたち三匹が、力を合わせて時間の管理人としてやって行くためには、今は別々で暮らす必要があるって」
マシュマロの尻尾とひげがまたぐったりした。
「でも! クロは本当はこんなことするやつじゃないんだ。だからみんな、クロを止めるためにも力を貸してほしいよ」
マシュマロが、強い視線でじっと見上げる。
「まかせろ! 俺たちがクレイジーに決めてやるからさ!」
「そうね! とにかくまず、スカーフェイスを探さなきゃ話にならないわ」
「じゃあ行こうか!」
みんなは口々に「うん!」と言い合った。
こうして一緒にお昼をすませた僕たちは、まずこのライオン公園から捜索を開始することにした。
「ところでミチル、お爺さんがマシュマロを使って、あたしたちを時計堂に案内させたってどうしてわかったの?」
紅葉が聞く。僕もそこは気になっていた。
「町の人たちにはマシュマロの姿が見えてないみたいだって紅葉言ってたでしょ? それに〝五人の写真〟。きっとマシュマロは、わたしたち以外には本当に見えてないのよ」
お爺さんは〝自分はあの場所から動くことができない〟と言った。時計堂に僕たちを集めるために、マシュマロを迎えに寄こしたと考えるのは自然だ。
「でも、よくあたしが商店街にいるってわかったね」
「紅葉ちゃんがいないときに気づいたのよ。ヒントが写ってたの。写真の右上にね……」
ミチルはゴソゴソと手さげカバンから写真を取り出すと、「あれ?」と声をあげた。
「真っ白になってる! なにも写ってない!」
「ええ⁉ なんで消えちまったんだ⁉ 手品か? 確かに俺ら写ってたよな⁉」
裏表をひっくり返しても何もない。ミチルが紅葉に説明した。
「この右上の隅にね、商店街の提灯が写ってるって、マルコが気がついたの。でも……」
みんなが沈黙した。手の中にあるのは、まるで現像する前の写真。掘り起こしたときにはあったはずの僕ら五人の鮮明な姿はすっかり消え去っている。
「ひょっとしたら、これもお爺さんが仕かけたのかもね。現に僕たちは、マシュマロの訴えに気づいて追いかけたけど、結果的に足の速い紅葉だけが先に行ってしまって、残された僕たちは迷って逸れてしまったし。だから、僕たちがバラバラになってしまった時のことを想定して、みんなが同じ目的地にたどり着くようにあんな写真を作ったのかも……」
もちろん本当のことはわからない。でもこの仮説がよほど真に迫っていたのか、みんなはそれで納得した様子だった。
途中、紅葉とミチルに別れを告げて、僕とジョージは人馬町の自宅へと歩く。帰り道ずっと、ジョージは腕時計を眺めては、早く使いたいとばかりに目を輝かせていた。
「あー……あー……こちらクレイジー1号、マルコ隊員応答願います」
すると、さっそくマルコから通信が返ってきた。
『こちらマルコ……今、ご飯を食べてるから、後にしてくれないかなあ?』
モゴモゴ話す声の後ろから、マルコのお母さんらしき声がする。
『マルコ? なにを一人でブツブツ言ってるの? ご飯のおかわり?』
生活感丸出しの初通信に僕とジョージが大笑いしていると、腕時計から紅葉のケラケラとした笑い声が聞こえてきた。続いてミチルも参戦してくる。
『あんたたち! くだらないことしてんじゃないわよ!』
『マルコ、今日の晩御飯のメニューはなんだった?』
『うんとね、今日はオムそばにポテトサラダに唐揚げだよ!』
ちっともブラジルらしくないそのメニューに、みんなが笑っていると、
『マルコ、具合でも悪いの? さっきから一人でブツブツ言いっぱなしよ?』と心配そうなマルコのお母さんの声が聞こえてくる。僕らの声はまったく聞こえないようだ。
「この通信機も実体がないのかな。僕たち以外には見えないし聴こえないみたいだね」
『そうみたいね。マルコ? 心配させちゃうから、もうしゃべっちゃダメだよ』
『うん! わかったよ! ミチルちゃん、ありがとう!』マルコは元気に答える。
だからしゃべっちゃダメだって言ってるのに……。
その夜、お父さんがテーブルに着くなり興奮して言った。
「今日お父さん、イエローバスが路肩の街路樹にぶつかるところを見たぞ!」
授業中に見たバスの事故のことだ!
「それ、僕も教室の窓から見えたよ!」
「確かに千斗の学校からも見える位置かもな? ちょうど仕事で近くのビルにいてね。打ち合わせをしてたら突然すごい音がしたんで見てみたら、バスが街路樹に衝突して止まってたんだ。ぶつかったときの音はすごかったけど、大きなケガ人は出なかったようだよ」
「そう、それはよかったわね」お母さんが、安心した声を出す。
「ねえ、お父さん、なにが原因でバスは事故を起こしたんだと思う?」
「目撃した人によると、運転手さんが居眠りしてたらしいって話だよ。とにかく、おまえも道を歩くときは気をつけろよ? だれか知ってる人が乗ってたんじゃないかって、さすがにお父さんもヒヤッとしたからなあ」
大きな被害は出ていないとわかっても、安心はできなかった。今日は他にもサイレンを聞いている。町に一つサイレンが鳴ると、一体何人の人が怪我をしたり怖い思いをするんだろう。それにこうやって、大事な家族を心配させることにもなる。
「ねえ、明日お弁当作ってくれない? 友だちと公園で一緒に食べる約束をしたんだ」
「うーん、急ねぇ。大した物作れないわよ?」
「うん、ありあわせでいいから。突然でごめんね。ごちそうさま!」
すべてがやつの仕業かはわからない。でもスカーフェイスを捕まえて、この町に鳴るサイレンを一つでも防ぐことができるなら……。そう考えると緊張で背筋がぶるっとした。
僕たちがこれからやろうとしていることは、きっとすごく大事なことだ。突然現れたマシュマロ。黒野時計堂のお爺さん。時間泥棒のスカーフェイス……。夜になっても、僕はずっと考えこんでいた。リビングでもお風呂でも、布団の中でもずっとだ。
いつもならテレビを見たり、次に出るマンガの発売日を考えたりしてダラダラしている。でも今日は昼間のことを考えるだけで、あっという間に時間がすぎていった。
一日はいつだって同じ二十四時間のはずなのに、どうしてこんなに違って感じるんだろう……。一番身近にあって、一番説明のつかない時間ってもののことを、僕は夢の中まで持ち込んで考え続けた……。
『みんな、おはよう! 今日はお弁当忘れないように持ってきてよ! 特にジョージ! あんたお弁当忘れても、分けてあげないからね!』
いつしか寝てしまっていた僕は、腕時計から聞こえる紅葉の元気な声で目をさました。
「千斗ー、そろそろ起きなさい」
お母さんが部屋に入ってくる。僕は慌てて腕時計を隠し、声が漏れないようにした。
「どうしたの千斗、突然布団に包まったりして。起きてるなら早く顔を洗ってきなさい」
珍獣でも見るような目だ……。そういえばこの時計は他の人にはわからないんだった。これじゃまるで怪しんでくださいって、わざわざ言っているようなものだ。お母さんはニヤニヤしている。何を怪しんでいるのか知らないけど、すごく嫌な感じだ。
『こちらミチル、お弁当の件了解です』
ミチルからヒソヒソ声での通信が届いた。たぶん近くに家族がいるんだろう。
『おはよう! ボク、マルコ、お弁当は大丈夫だよ! 今ママが作ってくれてるんだ!』
『こちら…クレイジー1号……』
ジョージは半分夢の中だ。今日の遅刻も間違いない。
「おはよう、こちら千斗。僕もお弁当は大丈夫だよ、じゃあ後で」
『なによみんな! そんなんじゃ敵に逃げられるわよ!』
紅葉だけは元気はつらつだ。
「お父さん、おはよう」顔を洗って食卓に着くと、大きく開いた新聞で顔を隠していたお父さんが、横から笑顔をのぞかせた。
「千斗、今日はみんなで弁当を食べるんだって?」
花見でもすると思っているのか、お父さんは新聞紙ごと椅子を引きずりゴニョゴニョと言った。
「公園で弁当なんてうらやましいな。千斗のお目当ての女の子は来るのか」
「ちっ、違うよ⁉ そんなんじゃないってば!」
思わずスープを吹き出す。
「なあ、いいだろ? 教えろよ」
お父さんは新聞に隠れるようにしてニヤついている。
「なーにバカやってるのよ、うちの男どもは……」
お母さんが、お父さんから新聞を奪いとりながら、こぼしたスープを拭いて呆れ声で笑った。
「じゃあ、もう僕行くからね。お母さん、お弁当ありがとう!」
「千斗!」と僕を呼び止めたお父さんが、リビングから顔だけ出して笑っている。
「がんばれよ!」
だから違うって言ってるのに! でも僕たちは、僕たちのやるべきことを頑張るよ。
「いってきます!」
通いなれた通学路を、時間を盗まれた人がいないか気にしながら歩く。注意深く辺りを観察しながら進むけど、今日は様子のおかしい人たちを見かけない。
ただ穏やかで、心地好く吹く風とポカポカした陽気――それは喜ばしいことのはずなのに嵐の前の静けさのように感じられて不気味だった。
スカーフェイスは今どこに潜んでいるんだろう。結局何事も起こらないままに僕は学校へと到着して、居眠りしそうになる暖かい窓際に今日も座った。
一限目の国語の授業が三〇分も過ぎたころ、いつものように教室の扉がガラッと開く。
「おはようございます! 昨日興奮して、なかなか寝つけませんでした!」
「そのまま席で立ってなさい」
遅刻の理由はいつもと違うけど、先生とのやり取りはだいたい同じだ。そんなこんなで土曜日の授業が滞りなく過ぎていって終業チャイムが校内に流れると、みんないっせいに帰り支度を始める。紅葉がみんなを集めると言った。
「さあ、マシュマロが待ってるわ。ライオン公園に向かうわよ」
「紅葉ちゃん、部活休むって、伝えに行かなくていいの?」マルコが心配そうに尋ねる。
「大丈夫よ。朝練のときに顧問の先生に伝えたわ! このまますぐ出発よ」
「俺、昨日いろいろ考えたんだけどさ……」
ジョージが口を開いたのは、獅子丘町の坂をのぼっているときだった。
「『コスモ戦隊クレイジーレンジャー』か、『クレイジー戦隊コスモレンジャー』しかないと思うんだよ」
まさかとは思うけど、それを考えるために昨日寝つけなかったんじゃないよね?
「どっちもないわよ!」
紅葉に見事に一刀両断されて、ジョージは意気消沈だった。
「みんなー、おつかれさま!」
坂の上を見上げると、マシュマロが公園入り口の石門まで迎えにきていた。
「マシュマロー! こんにちは」嬉しそうにマルコがかけ寄る。
「みんな、待ってたよ。お昼を食べたらさっそく出発しよう」
マシュマロの後について芝生に腰をおろすと、さっそくお弁当を広げた。
「ねえマシュマロ。チーズカマボコも持ってきたから、よかったら食べて?」
自分の弁当とは別に、マルコはマシュマロの分も持ってきていた。
「ありがとうマルコ。気持ちはすごく嬉しいけど、ボク食べられないんだ」
「どうして? チーズカマボコは嫌い?」
悲しそうにするマルコに、マシュマロは首を横にふる。
「違うよ。君たちの目にボクは見えるけど、ボクにはこの世界での《実体》がないんだ。つまり食べたくても、口をすり抜けちゃって食べれないんだよ」
「え? どういうこと?」
きょとんとしたマルコがマシュマロの口もとにチーズカマボコを差し出すと、カマボコはマシュマロの体をすり抜けた。
「うわ! 本当にすり抜けたよ!」
「ちょっと待って。マルコはマシュマロのこと、膝に乗せてなかった?」ミチルが聞く。
「君たちは別だよ。ボクに触れるのは君たちだけ」
一つ疑問が浮かんでくる。
「マシュマロ、お爺さんはクロを捕まえてくれって頼んだよね? 僕たちは特別だから、スカーフェイスの姿が見えるし触ることもできる。でも、何を頼りにクロを探せばいいの? それにチーズかまぼこが君の体をすりぬけたってことは、捕まえるのに道具を使うこともできないってこと?」
「あ! そっか。わたしたち以外には見えないってことは、目撃情報もないから探せないわけだ! 痕跡がなかったらどうやって探せばいいのかわからないもんね!」
「ナァ!? どういうことだよ? 俺にもわかるように説明してくれ!」
「千斗君、ボクもわからないよ」
「これは推測なんだけど、つまり町の人たちに黒猫を見ませんでしたか? って聞いて回っても、そもそも他の人にはスカーフェイスは見えてないし、情報なんてあるわけがないんだ。仮に黒猫を見たっていう人があらわれても、それは猫違いってことになる」
「ううん千斗君、違うんだ。クロの姿は町の人にも見えているよ。でも目撃情報はなかなか聞き出せないと思う」
なぜだかマシュマロがさびしそうに否定した。
「え? おまえは俺たちにしか見えないのに、どうしてスカーフェイスは他の人たちにも見えるんだ?」
「不法の器……。この世界で実体のないボクたちは、本来なんの干渉もできないんだ。でも一つだけ、この世界に干渉する方法があるんだよ」
「どういうことよ? それがその、不法の器ってやつ?」
紅葉が尋ねると、マシュマロはさらに表情を曇らせながら言葉を泳がせる。
「うん。でもこれは絶対にやってはいけない禁術だって、おじいさんに言われてたのに」
クロ、つまりスカーフェイスは、その禁術を使ってしまったってことなんだろう。でも、一体どうしてマシュマロはこんなにも悲しそうなんだ?
「でも、それってつまり、実体を持って姿が見えるようになるだけなんでしょ?」
それのどこがいけないの? って顔で紅葉が尋ねた。
「ボクたちは時間の管理人なんだ。そんなボクたちが、君たちの世界で実体を持つってことは、つまり君たちの世界で力が使えるってことなんだよ。それにこっちで実体を持つためには、こっちの世界の器、つまり生身の体が必要になるんだ」
そうか、最近町で多発しているこの時間泥棒の事件は、スカーフェイスがこっち側で実体を持ったから起きてることだったんだ!
「え? じゃあ、今スカーフェイスが使ってる器ってのは?」
「君たちの町で暮らしている別の黒猫の体を、クロは無理やり乗っ取っているんだ」
マシュマロの話では、乗っ取られた黒猫は、その間の記憶を失くすらしい。つまり、これも黒猫の時間をかすめ取るって行為なんだ。すると、マルコが核心をついた。
「でもさ、どうしてスカーフェイスは、ボクたちの時間を盗むんだろう?」
「ボクも詳しいことはわからないんだ。おじいさんも話してくれないし……」
マシュマロは少しうつむき加減にそうつぶやくと、顔を上げ僕たちを見回して言った。
「クロがおかしくなったのは、お兄ちゃん代わりのブッチがいなくなってからだよ」
「ブッチ? ブッチって、猫なの?」
紅葉が聞くと、マシュマロは黙ってうなずいた。
昨日僕たちがマシュマロを追いかけて時間の狭間に入り込んだとき、お店にはお爺さんしかいなかった。黒野時計堂には他にもブッチっていう猫が住んでいたってこと?
「ブッチはね、とても面倒見のいいお兄ちゃんで、ボクもクロも、ブッチのことが大好きなんだ。ボクたち双子は、生まれたときからお父さんもお母さんもいなくてさ、ずっとふたりきりで生きてきたから、ブッチと会ったときは本当のお兄ちゃんができたみたいで、ボクたちとっても嬉しかったんだよ!」
マシュマロのひげがピンと張っている。昔を思い出すのか、その目をキラキラとさせながら少し興奮しているように見えた。
「クロは、ボク以上にブッチにべったりでね。ボクたちの仕事は、時計の中で《時間》を正確に刻むことなんだけど、あんまりにもブッチが大好きなクロは、いつもブッチにくっついてフラフラしちゃうから、黒野おじいさんやブッチに怒られてばかりだったよ」
マシュマロは時計の《短針》、つまり一番大きな時間を示す役割だとお爺さんは説明した。スカーフェイスは《長針》で、《分》の役割をしてたってことだろ? じゃあもうひとりのブッチの役割って……。
「なるほどね。ブッチを追いかけちゃったら、スカーフェイスの時間は狂っちゃうよね」
そんなミチルの発言に、さっぱりわかっていないはずのジョージが「なるほどッ!」と相づちをうって、紅葉につっこまれている。
残る役割はひとつ――《秒針》だ。確かに、《分》で動かなきゃならないスカーフェイスが、秒の役割のブッチにべったりくっついてしまったら、正しい時間なんて到底刻めない。だからお爺さんもブッチも、スカーフェイスを叱ったんだろう。
「それでもクロは嬉しそうだったよ。もともとすごくさびしがり屋で、いつも一緒にいるボクがほんのちょっといなくなっただけで、心配して探しにくるくらいだったからね」
「でも、そのブッチっていう猫がいなくなっちゃったからって、どうしてスカーフェイスは、こんないたずらをするのかしら?」
紅葉がそう聞くと、隣でしばらく考え込んでいたミチルが口を開いた。
「ねえマシュマロ、ブッチは一体どこへ行ったの?」
「それはボクにもわからないよ。でも黒野おじいさんは言ったんだ。いつかおまえたち三匹が、力を合わせて時間の管理人としてやって行くためには、今は別々で暮らす必要があるって」
マシュマロの尻尾とひげがまたぐったりした。
「でも! クロは本当はこんなことするやつじゃないんだ。だからみんな、クロを止めるためにも力を貸してほしいよ」
マシュマロが、強い視線でじっと見上げる。
「まかせろ! 俺たちがクレイジーに決めてやるからさ!」
「そうね! とにかくまず、スカーフェイスを探さなきゃ話にならないわ」
「じゃあ行こうか!」
みんなは口々に「うん!」と言い合った。
こうして一緒にお昼をすませた僕たちは、まずこのライオン公園から捜索を開始することにした。