大広間の奥、大きな木の植えられた左手に厨房への開かれた入口がある。中へ入っていくと厨房の中もなかなかの広さだった。
「竹輪かー。冷蔵庫かな? どこかしら?」
 厨房というからには、きっと業務用の大きな冷蔵庫があるはず。だが見当たらない。おかしいな、と思いながらさらに奥まで進みかけると、後ろから「おねえちゃん!」とアケルが呼んだ。
「どうしたの?」
「あった!」
 アケルが指差す先には、家庭用のこじんまりとした冷蔵庫があった。直接床に置かれている。どう見ても『生活家電』といった風貌の四角い箱は、この本格的な厨房に似合わない代物だ。
「……あった、といっていいのかな、これ?」
 私はその冷蔵庫の前にしゃがみ込んだ。
「うーん、小さいな。なんだか細かいところがちょっと残念な感じよね……。ちょっと失礼しますよー」
 アケルも私の横に座ると膝を抱えて丸くなり、わくわくしている。「しますよー」
 ガチャッと音を立てて扉を開け、庫内を物色する。そこには庶民的な食材やら調味料などがゴッチャリと詰め込まれていた。
 たくあんにキムチ、浅漬けの入ったタッパー、そして卵……。
 さらには昨日の残り物なのか、いかにも家庭用の鍋がそのまま突っ込まれている。蓋を開けてみると王子様な感じのカレー。人参が星型に抜かれていて、ハチミツの甘い匂いがする。
「これ、星の王子様カレーだ……」
 もしかしてこれケルビムが食べた残りなのかな? 彼があの仮面をずらしながら星型の人参をスプーンで口に運んでいる姿を想像すると吹き出しそうになってしまう。隣で一緒に覗き込んでいるアケルは目を輝かせてまんざらでもなさそうだった。
 とりあえず竹輪を探そう、竹輪……竹輪……。
 ――あった!
『ちくわ』と書かれた白い袋を見つけ手に取ると、アケルが立ち上がり、「バンザーイ!」とはしゃいで厨房内をぐるっと一周走って戻ってくる。その姿がすごくかわいらしい。
 竹輪ひとつでこんなに喜ぶなんて、やっぱりまだ小さな女の子なんだな。名前もわからないような不思議な料理を並べられるより、家庭的で親しみのある料理の方が嬉しいのかもしれない。
 ま、この年齢なら当たり前か。
「アケル、竹輪どうやって食べたい?」
「チクワ!」
 アケルは竹輪のマネをしているつもりなのか、両腕をまっすぐ上に伸ばしておかしなダンスを踊った。
「竹輪ね、よぉーし! 一丁おねえちゃんがアケルのために腕をふるってやるか!」
「ふるう! ふるう!」
 アケルはそう言うとピョンピョン跳ねた。

 調理台に竹輪を持っていき、まな板と包丁を用意していると「わたしも手伝う!」とアケルが騒ぐ。アケルには調理台が少し高いので、なにか踏み台を探さなきゃと思い探していると、仮面の男が切り株を持ってやって来た。
「ケルビムありがとう、気が利くね。でもそれ、地面からしっかりと生えてなかった? どうやって外したの?」
「えぇ、もしかしたら要り用かと思いお持ちしました。これでも力仕事には自信がございます」と自慢げに言う。
 底がきれいに切り取られているところを見ると、力任せに引っこ抜いたわけではなさそうだ。
 切り株を調理台の足元に置いてもらい、アケルとふたり並んで竹輪を切り始めると、後ろに立ったまま仮面の男が口を開いた。
「ところで千里様……」
「どうしたの?」
「誠に申し上げにくいのですが……」
「うん?」
「申し上げるべきか申し上げないべきかで申し上げますと、これは殊ことに申し上げるべきなのですが……えぇ、殊に」
「だからなによ?」
 なかなか切り出さないので私が急かすと、ケルビムは恥ずかしそうに言った。
「実はわたくし、お料理をすべて平らげてしまいまして……」
「えっ平らげた⁉ あんなにあった料理をひとりで……?」
「ハィ……」仮面の男はもじもじしながら答える。「わたくしの作った料理がわたくしの口にあまりに合いまして……」
「お客様をもてなす料理をあなたひとりで食べてどうするの……?」私はふて腐れてーーというより、もはや呆れてそう言うと、アケルが面白がって大笑いしている。
「もう、楽しみにしてたのに」
「すみません……」
 申し訳なさそうに肩をすぼめる仮面の男の頭を、アケルが踏み台の上から笑いながら撫ぜていた。
 そんなやり取りを見ていたらおかしくなってくる。
「まぁいいわ、罰としてあなたも竹輪料理を手伝うこと」
 少しだけ茶化した感じで私が言うと、アケルがまた例によってマネをした。
「手伝うこと!」
「ハ、ハィ! 喜んで!」
 ケルビムは真っ白なフリルのエプロンを背中からするりと取り出すと、スーツの上から着込んで竹輪を切るのを手伝い始めた。