「アケル様をお連れして、オーナー様の待つ本館へ向かう途中のことでございます。わたくしは、不慣れな場所で怯えになられたご様子のアケル様の緊張を解そうと、あれこれとお話をして差し上げておりました――」
 その際、アケルの好きな食べ物が魚だという情報を会話の中でつかんだ仮面の男は、この世界にいる色々な魚の話をした。アケルははじめ、興味ありげに話を聞いていた。もう一押し! と感じた仮面の男は調子に乗り、様々な魚の捌き方を事細かに説明し始めたという。
 気がつくとアケルの姿は見当たらなくなっていた――。
「それは当然の反応よね」
 こんな小さな女の子なんだもの。こわがって当たり前だ。
「面目ありません……」
 仮面の男は小声で肩をすぼめる。なんというか、図々しいのか控えめなのかよくわからない総支配人だと思った。
「アケル、もう大丈夫だよ。一応怖い人じゃないみたい」
 私は笑ってみせたが、アケルはまだ不満そうに唇を尖らせている。
「まだなにかあるの?」
「……あの人のお面が怖いの……」
「ああ、なるほど……」
 狐のような不気味な面。この年頃の少女が怖がるのはもっとも。私だって怖いくらいだ。
「ですって、その仮面とったらどう?」
 私がそう言うと、仮面の男はその場にひざまずき、肩を震わせメソメソと泣き始める。
「ちょっ……ちょっと、あなたどうしたの?」
 仮面の男は涙声で答えた。「ああっ、また主人に叱られます。わたくし、仕事は完璧にこなせるのですが、顔の怖さだけが唯一の欠点でありまして……ホテルご利用のお客様を大いにビビらせてしまうことが多分にございまして……ううっ!」
 見掛けとのギャップが激しい。あまりに弱々しいことをいうのでなんだか不憫に見えてくる。
「我が主人にもそのことについておおいにお叱りを受けておりましたので、わたくし知恵を絞り、お客様の前ではこの笑顔のお面を被るようにしているのですがっ!」
 ――知恵を絞ってソレかぁ……。
 そう思うとますます可哀相で仕方がなかった。
「ねえ、そのお面、大人の私から見ても不気味よ。ましてやアケルのような子どもには、恐怖以外のなにものでもないと思うの。他に、もっとかわいらしいお面はないの?」
「これ以外にはなにもございません……」
 仮面の男はすっかり消沈している。
「うーん、困ったわねぇ……」
 すると、アケルが私のズボンを引っ張り、小声で呼んだ。
「ねぇねぇ……」
「ん? どうした?」
 私が腰を屈めると、アケルが耳元でゴニョゴニョと囁く。
「あのおじさんのお面に、かわいいのをいっぱい描いたらこわくなくなるかも」
「あはは、それ面白いね」
 でも、それなりに高級そうな仮面だ。そんなことさせてくれるだろうか。そう思いながらちらりと支配人を伺うと、彼は、「なにか打開策でも⁉」といった様子で身を乗り出した。
「ねぇ、ケルビムさん。あなたのそのお面に絵を描かせてくれない? そうすればきっとアケルも怖がらないと思うの」
「なんとそのような! それは素晴らしいお考えです!」
 男は手を打つと、素早くスペアの仮面を取り出し、アケルに颯爽と手渡した。
「さあどうぞ、いかようにもなさってくださいませ」
 ――いいんだ……。さすがに支配人としての立場もあるだろうから、そこまでは無理かと思ったのに、意外にもすんなり受け入れたことに私は驚いていた。
「……ところで、さっきからあれこれ取り出してるけど、どこから荷物が出てくるの?」
「わたくしのスーツの背中には、カンガルーのようなポケットがございます」
 仮面の男はにっこりと笑――ったりはしなかったけど、機嫌のよい声でそう言うと今度はクレヨンを取り出した。
 有名な猫型ロボット並みの便利さだ。
「かわいいの、描く!」
 アケルはクレヨンの箱を早速開いて座り込み、スペアのお面にぐりぐりと絵を描き始めた。お姫様、お花、虫……なにかよくわからない動物の絵や、流れ星などを所狭しと描いていく。
「るったらた~♪ るったった~♪ るったらったった♪」
 ご機嫌に口ずさみながら、お面を塗り潰していくアケルの斜め後方で、仮面の男は手にいつの間にか手拭きのようなものを持って、じっと待ち遠しそうに顔をこちらへ向けていたが、姿勢だけは、さすがホテルマンといった感じで直立不動だった。