「ところで、まだ北館への入口は見つかってないのよね?」
「そうですね」ケルビムがしずかに答える。食堂の奥。中央に植えられている大きな木のさらに後方を指した。
そこに、先ほどまでなかった扉が姿を現していた。
「たった今入口は開かれたようです。千里様のご尽力のお陰です」
この食堂に入ったときには確かにそこには何もなかったはずだが、ふしぎとあまり驚かなかった。
古めかしい、両開きの木製ドアを見つめて訊ねる。
「これもエデンの変化なの?」
「このホテルエデンには〝鍵〟という実体は存在しません。各館の出入口もしかり。なにか隠されたキーワードが鍵となり、扉が現れることになっているのです」
「じゃあ残りの分館も同じようになにかがキーワードになってるのね? 今回は万華鏡――〝美しい変化〟ってところかな?」
「そのようでございますね」ケルビムが優しい口調で答える。
「よーし! 次もサクッと入口の鍵を開けるわ!」
なんだかやる気が出てきた。
「おぉ! 頼もしいお言葉でございます」
木漏れ日が射す大広間に優しい風が吹き込んでいる。夢中で万華鏡を覗き込んでいたアケルがふいに私たちに向かって叫んだ。
「おねえちゃん! ケルビム! キラキラありがとう!」
満面の笑顔。少し離れたこの場所からでもわかるほど、アケルはキラキラとした笑顔で手を振った。
「アケルー! そろそろ次行くよー! おいでー!」
アケルは両手にしっかりと万華鏡を握りしめ、パタパタとこちらに向かって走ってくる。
「では、お二方、準備はよろしいでしょうか?」
私たちはそろって奥へ進み、北館入口に続く大きな扉へ足を踏み入れる。
北館ではいったいなにが起こるんだろう?
いつの間にか私はこのおとぎの国に順応し、次に待ち受ける〝何か〟に胸を高鳴らせている。アケルは道腕に万華鏡をしっかりと抱え込み、左手では私の右手をしっかりと握りしめていた。表情を覗えば、その口元をふっくらと期待で膨らませている。
アケルもこれから起こる事柄にワクワクしているようだった。
†
長い長い通路を歩いていく。
陽の光は当たらず、太い木の根がびっしりと這う狭いトンネルのような空洞を進んでいく。そこかしこから、ピチャン、ピチャンと水滴が落ちる音がトンネル内に響いていた。水たまりができているのか、たまに足元でも水を踏む音がしていた。
しばらく歩き続ける。いまや光はまったく差し込まず、さらなる暗闇に、狭く、深く、沈んでいくように思われる。ケルビムが背中のポケットからオイルランプを取り出し、マッチを擦って火を燈した。
ランプは磨かれてはいるが使い込まれている。ところどころ煤がついた丸いガラスの中で柔らかい灯りがゆらゆらと揺らめいている。
ケルビムはランプの持ち手に布地を挟み、前方を照らすように大きく先へ突き出している。その姿は中世のお城の通路を行く執事のようで堂に入っていたが、ただしここはお城ではなく、木の根のトンネル。――たとえるなら森に迷い込んだ民というところか。
ケルビムの影が、後ろをいく私とアケルに長く覆いかぶさり、闇を重ねてくる。ランプに照らされた木の根のトンネルは幻想的だったが、アケルの目には不気味に映るのだろうか、怖いと見えて私の右手を一層強く握りしめ、体を寄せていた。
さらに奥深く、しばらく闇を進んでいくと、うっすらとトンネルが明るさを取り戻した。
ケルビムが立ち止まり、ランプの蓋を開ける。小さな指ぬきのようなものを被せて火を消し、背中のポケットにランプをしまった。
「お二方、いよいよホテルエデン、北館に到着でございます」
「そうですね」ケルビムがしずかに答える。食堂の奥。中央に植えられている大きな木のさらに後方を指した。
そこに、先ほどまでなかった扉が姿を現していた。
「たった今入口は開かれたようです。千里様のご尽力のお陰です」
この食堂に入ったときには確かにそこには何もなかったはずだが、ふしぎとあまり驚かなかった。
古めかしい、両開きの木製ドアを見つめて訊ねる。
「これもエデンの変化なの?」
「このホテルエデンには〝鍵〟という実体は存在しません。各館の出入口もしかり。なにか隠されたキーワードが鍵となり、扉が現れることになっているのです」
「じゃあ残りの分館も同じようになにかがキーワードになってるのね? 今回は万華鏡――〝美しい変化〟ってところかな?」
「そのようでございますね」ケルビムが優しい口調で答える。
「よーし! 次もサクッと入口の鍵を開けるわ!」
なんだかやる気が出てきた。
「おぉ! 頼もしいお言葉でございます」
木漏れ日が射す大広間に優しい風が吹き込んでいる。夢中で万華鏡を覗き込んでいたアケルがふいに私たちに向かって叫んだ。
「おねえちゃん! ケルビム! キラキラありがとう!」
満面の笑顔。少し離れたこの場所からでもわかるほど、アケルはキラキラとした笑顔で手を振った。
「アケルー! そろそろ次行くよー! おいでー!」
アケルは両手にしっかりと万華鏡を握りしめ、パタパタとこちらに向かって走ってくる。
「では、お二方、準備はよろしいでしょうか?」
私たちはそろって奥へ進み、北館入口に続く大きな扉へ足を踏み入れる。
北館ではいったいなにが起こるんだろう?
いつの間にか私はこのおとぎの国に順応し、次に待ち受ける〝何か〟に胸を高鳴らせている。アケルは道腕に万華鏡をしっかりと抱え込み、左手では私の右手をしっかりと握りしめていた。表情を覗えば、その口元をふっくらと期待で膨らませている。
アケルもこれから起こる事柄にワクワクしているようだった。
†
長い長い通路を歩いていく。
陽の光は当たらず、太い木の根がびっしりと這う狭いトンネルのような空洞を進んでいく。そこかしこから、ピチャン、ピチャンと水滴が落ちる音がトンネル内に響いていた。水たまりができているのか、たまに足元でも水を踏む音がしていた。
しばらく歩き続ける。いまや光はまったく差し込まず、さらなる暗闇に、狭く、深く、沈んでいくように思われる。ケルビムが背中のポケットからオイルランプを取り出し、マッチを擦って火を燈した。
ランプは磨かれてはいるが使い込まれている。ところどころ煤がついた丸いガラスの中で柔らかい灯りがゆらゆらと揺らめいている。
ケルビムはランプの持ち手に布地を挟み、前方を照らすように大きく先へ突き出している。その姿は中世のお城の通路を行く執事のようで堂に入っていたが、ただしここはお城ではなく、木の根のトンネル。――たとえるなら森に迷い込んだ民というところか。
ケルビムの影が、後ろをいく私とアケルに長く覆いかぶさり、闇を重ねてくる。ランプに照らされた木の根のトンネルは幻想的だったが、アケルの目には不気味に映るのだろうか、怖いと見えて私の右手を一層強く握りしめ、体を寄せていた。
さらに奥深く、しばらく闇を進んでいくと、うっすらとトンネルが明るさを取り戻した。
ケルビムが立ち止まり、ランプの蓋を開ける。小さな指ぬきのようなものを被せて火を消し、背中のポケットにランプをしまった。
「お二方、いよいよホテルエデン、北館に到着でございます」