家に帰り、今日の出来事をさっそく報告しようとパソコンを起動させると、めずらしく朱里から先にメールが来ていた。

『おはよう、茜。
 そこはここよりもずっと離れた場所で、ものすごく近くにある場所。
 行きたくても行けない場所で、いつの間にかたどり着いてる場所。
 ハローワールドも同じように晴れの日もあれば、雨の日もあるわ。』

 はぁ……また朱里お得意の謎かけだ。

 Re.ハローワールド
『朱里、ただいま! 聞いて! 今日はすごい事件が起こったのよ! 博多からの転校生くんがついにやってくれたわ!』

 あたしはパソコンの前に座ったまま。
 朱里からの返信はすぐにやってきた。

『おかえり、茜! なに? なに? いったい博多くんが茜のクラスでなにをやってくれちゃったわけ?』

 思った通り! 朱里もこの話題に食いつかないはずない。

 Re.ハローワールド
『なんと! なんとよ! うちのクラスの根本っていう、意地が悪くて、みんなから嫌われてる男子をぶっ飛ばしてくれたのよ!
 みんなの前で、しかもHR中の先生のいる前でよ。
 クラス中があぜんとしてたわ!』

 はやく来い! はやく来い!
 あたしははやく続きを話したくて、ソワソワしながら返事を待つ。

『博多くん、その根本って男子生徒に暴力を振るったの?』

 Re.ハローワールド
『そうなの! すごいでしょ?
 でも、誰も根本に同情なんてしないよ。
 もちろんその後、先生に連れ出されてお説教はされてたけど、
 ネズミみたいに目を真っ赤にしていい気味だったんだから!
 あたしもさんざん嫌味をいわれてたし、おかげで胸がスッとしたよ!』

 きっと、朱里も今日起きた事件を自分のことのようによろこんでくれるって思いこんでいた。でも朱里からの返事は想像に反するものだった。

『茜は、その根本って子が泣いているのを見て、胸がスッとしたのね?
 だとしたら、あたしは茜に対して本当に残念でならないわ。』

 その言葉に胸が締めつけられる。

 Re.ハローワールド
『なんで?
 あたしだって、さんざんイジメられてたんだよ?
 それに、あたしが直接なにかをしたわけでもないし……。』

 朱里はなにか勘違いしている!
 これまでは吃音のことや根本のことを話してなかったから。
 急に話したからきっとわからなかったんだ。
 勘違いしても仕方ない!
 ――あたしはそう考えた。
 ……なのに、朱里からさらに返って来たのはこうだった。

『だとしても、暴力を受けて泣いている彼を見て胸がスッとした茜は、
 暴力を振るった博多くんと同様に弱い人だわ。』

 いっている意味がまるでわからない。
 古賀くんが弱い?
 だって根本を叩きのめしたんだよ?
 古賀くんを弱いなんていう人はいないはず。
 クラスの誰もが古賀くんを認めたのに……。

『茜、よく考えてみて。
 物事を解決するのに、正しいやり方と間違ったやり方とがあることを。
 強い人間になってほしいとは思ってないけれど、
 間違ったことに気づかないままでいる人や、
 間違ってることを間違っているといえない人には、なってほしくないわ。

 あたしはいつだって茜の味方だよ!
 いつだって茜を支えるからね。』

 ショックだった。顔が熱くなる。朱里とここまで意見が対立するのは初めてだった。
 朱里は、あたしの話にすべて賛成してくれるかと思えば、思わせぶりでよくわからないことを言ったりする。でも理由もなく反対するとは思えなかった。
 最後の二行をもう一度読む。いつも朱里は味方でいてくれてる。
 朱里にもらった手紙を思い出す。薬局でもらったカバンにはいっていたあの手紙だ。もし上辺だけの関係なら、あたしの考えを否定するなんて絶対にしないはずだ。
 すごくもやもやとする。この気持ちがなんなのか、はっきりとはわからない。でも朱里がどうして残念だというのか、もう一度ちゃんと考えようと思った。
 朱里は心から考えてくれている。だからこそ気づいてほしいはずだ。
 根本のことは好きじゃない。古賀くんが間違っていたかどうかも謎だ。でも古賀くんがした行動を喜んで報告したあたしを、朱里は残念だといった。
 いつも支えてくれる朱里をがっかりさせたことがすごくかなしかった。気に入られるためにすべて言う通りにしようなんて思ってない。でもあたしは朱里のことが大好きだし、なにより嫌われたくなかった。
 改めて、朱里という親友に出会えた奇跡に感謝した。もしクラスのみんなが朱里みたいな子ばかりだったら、あたしのまわりは「友だち」であふれてたのに……。

 あ、あたしが朱里だったら……⁉

 あたしみたいなひねくれ者でも、朱里と出会うことで随分と素直になれた。じゃあ、もしあたし自身が朱里みたいな人間だったらみんなはどう思うんだろう?
 どうなるんだろう?
 もしかしたら、なにか変わるんだろうか……。
 あたしは急に思いついたこの〝考え〟に胸が高鳴った。こわいような気持ちと、すごく待ち望むような気持ちの両方で、胃のあたりが少し気持ち悪くなるほど。

『茜、よく考えてみて。
 物事を解決するのに、正しいやり方と間違ったやり方とがあることを。』

 古賀くんが取った方法が間違っていたなら、正しい解決方法っていったいなんだろう。

『あたしは、茜に強い人間になってほしいわけではないけれど、
 間違ったことに気づかない人間や、
 間違ってることを間違ってるっていえない人間には、なってほしくないわ』

 朱里がいおうとしていることの、微妙なところはやっぱりはっきりとしない。でもきっと朱里はその答えを知っているしヒントをくれている。

 ――もし、あたしが朱里だったら……。

 そんなことが頭を過ぎる。
 もうすぐ開きそうな大きな扉を手に入れたような気分だった。