ーーー 風で揺れる木々の音。枝を踏みしめて、パキッと折れる軽い音。そのどれもが、ただでさえ速く鼓動する双葉の心臓を、更に慌ただせる。

言い出しっぺの太陽が先頭に立ち、その後ろをオカルト好きの穂が続く。そしてそんな2人と最後尾の類に挟まれるように、春の腕にしがみつく双葉。

月の明かりだけでは心許ない夜道を、懐中電灯の明かりを頼りに進んでいく。

「あれ? ここ、さっきも通ったよな?」

そんな中、太陽が急に足を止めて、そう口にする。

「うん。確かに通った。ほら、そこの木の枝に結んだビニール紐。あれ、さっきも見たもん」

その太陽の言葉に穂も同意する。

「ほら、星の位置。さっきから動いていない。つまり、俺達は、閉じ込められたのかもしれない」

最後尾の類もまた、木々の隙間から見える星を指差し、同意を示す。

「え? え!? そ、そんな訳ないじゃん! だって! ビニール紐だって、何箇所にも縛ってあるし、星の位置なんて、ちょっとやそこらで変わらないでしょ? ね!ね!?」

双葉は背後に居る類に詰め寄るようにして、必死にそんな非科学的な現象を否定する。

「ご、ごめん。嘘。太陽がふざけるから、乗っかっただけ 」

そう急に距離を詰められて、どぎまぎと視線を逸らす類。

「はぁ!? 意味わかんない! 」

そんな戯れを挟みつつも、一行は噂の公衆トイレへと辿りついた。

「さぁて! 到着した訳だけど? 噂によれば、その現場になったのは、女子トイレの方な訳よ。つまり、俺と類が入るのは、モラル的にアウトという事で、後はよろしくな!」

太陽は、入口の前に立つと、ガイドのように、淡々と説明をこなし、女子トイレを手の平で指すと、女性陣に調査を促す。

「はい!? 言い出しっぺのくせに何それ!?」

無論、これには異を唱える双葉。

「いやぁ。そう言われましてもね。いくら、誰もいないとは言え。あぁ、いや、誰かは居るかもしれないけれど。男が女子トイレにいる画は不味いでしょ? まぁ、ほら。念の為にさ、こっちはこっちで、男子トイレも調べてみるから。これでいいだろ?」

太陽の少し脅かしの入った弁解に、キツい睨みを効かせる双葉。

「はいはい。もういいですよ! ついでにトイレも行きたかったし、実際来てみたら、明かりを点ければなんてこと無さそうだし! パッパッと済ませて、速く戻ろう!」

双葉は太陽への呆れから、恐怖心を少し忘れ、先頭に立ってズケズケとトイレ内に侵入していく。

それに「太陽先輩。ちっさ」と憐れみを残す春と、「じゃあ、また!」とワクワクを隠し切れていない穂も続いていく。

「あぁ〜。何だ。俺もついでに用を足したかったし、うん。お疲れ」

類もまた、そんな太陽を残しつつ男子トイレへと足を踏み入れる。

「いや! なんでたよ! 俺は間違った事言ってないだろ!? 待てよ、類!」

こうして男女に分かれ、公衆トイレの怪異の探索が開始されるも、噂通りの、照明の点滅も、女性らしき声も聴こえる事なく、意味のない時間が過ぎていく。

「何もないね。やっぱり、こういうのって、大人数じゃ、向かないのかもしれないね」と残念そうに溢す穂。

「まぁ、そもそも。オカルトを信じて無いわけじゃないんですが、こういうのって、尾ひれがついたり、伝染するに連れ、盛られて行くものじゃないですか? そもそも、この噂の元を辿れば、意外と大した事が無いのかもしれないですし、声だって、物音とか、風の音とか、聞き間違いが、大きく広がり過ぎただけじゃないんですか?」

春の冷静な分析に、穂は「う〜ん」と喉を鳴らしながら、噂の鏡を凝視する。

「お待たせー」

するとそこへ、用を足していた双葉も合流し、洗面所で手を洗い始める。

「ここで、顔を上げたら女性の顔が真横に………だったよね?」

穂はそんな双葉を眺めながら、声のトーンを落とす。

「ちょっと、やめてよね。大丈夫だと分かっていても、顔を上げるのが怖くなるじゃん」

恐る恐る蛇口を捻り、水を止めた双葉は、あり得ないと内心で繰り返しながら、ゆっくりと顔を上げる。

双葉の視線が蛇口から鏡との間にある石壁、鏡と境目と徐々に上がり、いよいよ正面で自らの顔を捉えた時、「きゃっ!」と細かい悲鳴を上げた。

「どうしたの!?」と何故か嬉しそうな穂の言葉に、ゆっくりと人差し指をある一点に向ける双葉。

穂と春はその指し示された地点にシンクロした動きで視線を移した。

「ひぃ!」と春、「やっ!」と穂がそれぞれ情けない声を上げる。

「どうした!?」

その声に反応して、ひと足先にトイレの外へと出ていた類が、躊躇なく飛び込んでくる。

「が、が、がが」

「が?」

双葉の震えた声では要領が掴めずに、類もまた双葉の指し示す指の先に視線を移す。

「………蛾?」

そこには、双葉の小さな手の平サイズの大きな蛾が
鎮座していた。

「な、なんだよ………。蛾か……」

安堵と少しの気落ちで、小さくため息をつく類。

「早く出よう! 飛び立つ前に!」

思わず足を止めてしまっていた春のその合図で、双葉と穂も我に返り、急いで出口へ向かい歩みを進め始める。

その波に飲まれるようにして、類も踵を返したその時だった。

「助けて〜」という甲高い、子供の物とも聞こえる声がトイレ内で響き渡る。

「ひっ!!」

双葉はその声に悲鳴にならない細く短い声をあげる。

「嘘………だよね? 嘘だよね!? 」

双葉とは真逆の反応を見せたのは穂だった。穂は勢いよく振り返ると、辺りをキョロキョロと探るように見渡す。

「おにぃ?」

春は出入口付近に立つ類に強く抱きつき、目尻に涙を溜めている。

「ちょ、ちょちょ! 早く! みのりん! 早く進んで!! 早く!!」

立ち往生する穂を押し退けるように、双葉は小さな体を穂にぶつける。

「え? 待って! 鏡! 鏡を確かめないと!」

「いいから! そんなのいいから! 早く!!」

火事場の馬鹿力。双葉の穂を押す力は、通常の何倍以上もの馬力を誇っている。

その力に、体幹の弱い穂は、バランスを崩すようにトイレの外へと押し退けられる。

その2人の小さな波に運ばれるようにして、類と春の兄妹も漂流する。

「おぉ〜、どうした?」

近くの自動販売機で缶ジュースを買い、マイペースに嗜んでいた太陽が、呑気にそんな疑問符を浮かべた。

「どうした? じゃないよ! 出たんだよ! 本当に出たんだよ!!」

双葉はそんな自分との温度差に、声を荒らげる。

「わかった。わかったって! 落ち着けよ。それで、出たっていうのは? その、血まみれの女か?」

「知らないよ! そんなの調べる余裕なんてないっての!」

双葉は今にもへたり込みそうなほど、両足を小刻みに震えさせている。

「とりあえず、基地に戻ろう。ここにいない方がいい」と、冷静な類は、太陽に目配せをして、太陽を先頭に、基地への道を辿り始める。

太陽の後ろには、春と双葉は互いを支え合うようにして、その後ろから、腑に落ちないといった様子の穂、そして最後尾に類が続く。

その最後尾の類は、足を踏み出す直前、一度、公衆トイレの出入口付近、隅っこを見やる。

そして、そこにしたり顔で鎮座する、白い毛並みのシルエットを視界で捉える。

「はぁ~。悪ふざけは、程々にな」

類は、その白い毛並みのシルエットに、ため息を吐き捨てて、4人の背中を追いかけた。