「待って? ルゥくん。それじゃあヴァ-ジルさんは、婚約者がいるのに私を花嫁としてここに連れてきたってこと・・・・・・?」

(どうしよう。久しぶりに頭の整理が追いつかない……)

 ヴィクトリアは、困惑しながらルゥに尋ねた。

「でっ、でもっ! これは、ご主人様が望まれたことではありませんっ! 周囲の方々が、勝手に決められたことなのです!」

 ルゥは慌てて、高い声で答えた。
 それから声の調子を落として、彼は、静かに目を伏せた。
 
「『許婚』様のことは、全て吸血鬼族の、血族の方々が決められたことなのです。先祖返りである御主人様が花嫁を選ぶことを、御主人様の周囲の方々はずっと願っておられました。『グレイスの血』が途絶えた今こそ、魔族のための魔族の時代を、再び取り戻すべきだというお考えなのです」
 
「『グレイスの血』……?」

 ヴィンセント・グレイス――それがセレネの、前魔王の名前だ。そして彼女の家系は、実は長く続くセレネの王の家系でもある。

「花嫁様。花嫁様は『月の欠片』のお話を覚えていらっしゃいますか?」

「うん。覚えてるよ」

 ヴィクトリアは頷いた。
 魔素とは月の欠片であり、その力こそ、この世界に魔族を生んだ物質である、という話だったはずだ。

「『夜の王』――吸血鬼族はかつて、セレネで最も強い力を持っていました。けれど、先代魔王ヴィンセント・グレイス様――その、グレイス家の登場により、吸血鬼族はその地位を奪われました」

「『奪われた』……?」

「――はい。そうです。少なくとも吸血鬼族の方々の多くは、そうお考えです。……話を戻します。歴代の魔王陛下輩出して来たグレイス家は、魔族の中で唯一『家系魔法』を持たない代わりに、唯一無二の特別な力を持っていました。そして初代グレイス――ルチア・グレイス様は、月の光しかなかったこのセレネに、人工的な光をもたらしました。それがこの世界の、仮初《かりそめ》の『太陽《ソレイユ》』です」

 ルゥはそう言うと、バルコニーの向こう側に輝く光を見上げた。
 セレネの空には、今日もデュアルソレイユの二つの太陽とはことなり、輪郭の少しおぼろげな光が浮かんでいた。

「彼女は、強すぎる魔素に侵されて死んでいく魔族たちを救うための希望の光として、その命をもって、一つの魔法を叶えました。空に浮かんだその光は、セレネの魔素の濃度を下げる力を持っていました」

 その話は、ヴィクトリアも知っていた。
 初代魔王、ルチア・グレイス――彼女はセレネの歴史において明らかに『異質』な存在だ。
 弱肉強食のセレネで、彼女は命がけで『弱者』に手を差し伸べた。それが今の、セレネの魔族の多様性にも繫がっている。

「それは魔界セレネにおける、『新しい時代』の始まりでもありました。魔素が薄まったことで、本来死ぬはずだった魔族も命をつなぐことが出来るようになり、魔族は大きく数を増やしました。僕のようなコウモリ族は、当時多く死んでいたと聞きますから、今僕がここにいることができるのは、初代魔王陛下のおかげともいえます。でも、光があれば影ができるというように――初代魔王陛下の力があまねくセレネに降り注いだ時、吸血鬼の暗黒時代は幕を開けました」

 くるり、とヴィクトリアのほうを振り返って、ルゥは苦笑いした。

「花嫁様は、ヴァージル様の朝のご様子を覚えていらっしゃいますか?」

「う、うん……」

 少し気だるげなヴァージルを思い出して、ヴィクトリアはほんのり頬を染めて頷いた。

(なんていうか、いつもより不思議な色気があって怖いくらいだったよね……)

「『夜の王』とまで呼ばれていた吸血鬼族でしたが、実は苦手なものがありました。御主人様が朝を苦手とされるように、吸血鬼族は光に弱かったのです。そして彼女の一族が魔王としてセレネを収める一方で、『夜の王』として、圧倒的な力で他者を服従させていたはずの吸血鬼族は、その立場を追われることになりました」

(――あ、そっか……)

 ヴィクトリアは正直なところ、ルゥの話は少し意外でもあった。何故なら五〇〇年前、『ヴィンセント』が魔王として君臨していただき、ヴァンパイアの一族はなんの反抗の意思も見せなかったからだ。

「御主人様は一〇〇〇年ぶりの『先祖返り』。グレイス家が途絶えた今、吸血鬼族の方々は、御主人様こそ『新しい魔王』に相応しいとお思いのようなのです。そして、そんな『先祖返り』の御主人様がさらに強い力を持てるように、才能《ちから》のある『花嫁』を選べば、今魔王城にいらっしゃる方々とも、対抗できるかもしれない。そのために『許婚』に選ばれたのが、銀髪金眼のルイーズ様なのです」

 吸血鬼の一族における強者の証。
 ヴァージルには劣るものの、ルイーズも稀有な存在と言っていいだろう。
 確かにヴァージルほどの素質を持つものが血を飲んで力を覚醒させたなら、カーライルやルーファスだって危ないかもしれない。
 でも、それは――……。

「……ヴァージルさんは、それを本当に望んでいるの?」

 それではまるで、吸血鬼族がセレネにおける地位を取り戻すための人身御供だ。
 ヴィクトリアはその話を聞いて、少しだけ腹立たしく思った。
 自分の意志に関係なく、『生まれ』のせいで他人に人生を決められるなんて、そんなの不幸以外の何物でもない。

「僕は、御主人様の御心まではわかりません」

 ルゥは静かに答えた。
 それから彼は、真っ直ぐにヴィクトリアの瞳を見つめると、どこか強い意志を感じる声でこう言った。

「僕が知っているのは、御主人様がこれまでずっと、『花嫁』をお選びにならなったということ。そして今、御主人様はルイーズ様ではなく、花嫁様を選ばれたということ。――ただ、それだけです」