「それでは、こちらでドレスをご準備させていただきます」
「ありがとうございます。宜しくお願いします!」

 結婚式のドレスの採寸を終えたヴィクトリアは、部屋を出ていく仕立て屋の女性に、深く頭を下げて元気よく礼を述べたルゥを見て胸がチクリと傷んだ。

「花嫁様と御主人様が横に並ばれたら、どんなに素敵でしょう! 僕、すごく楽しみです!」

「そ、そうだね……」

 ヴィクトリアは、生返事をしてルゥから視線をそらした。

(ルゥくんを見ていると罪悪感がすごい……!)

 ヴィクトリアがまだ吸血鬼の城にとどまっているのは、デュアルソレイユの事件の真相究明と、カーライルからの命令を執行するために過ぎない。
 いわば潜入捜査中なのだ。
 花嫁衣装を着る予定はなくなりそうなのが申し訳ない気持ちもあるが、魔王として、事態を収めるのは自分の仕事だともヴィクトリアは考えていた。

(……それにしても、カーライル、怒ってたなあ……)

『結婚式のドレスの採寸? ああ、一ヶ月後に式があるのでしたね。勿論そんなこと、絶対に許しませんが』

 前世の幼馴染の声に静かな怒りが込められていることに、ヴィクトリアはすぐに気がついた。

『私の作る糸がこの世界で最も美しい。貴方のドレスを作るなら、私がこの世界で最も相応しいと思いませんか?』

 確かに、雪女族と蜘蛛の一族の両方の血を引くカーライルの紡ぐ糸が最上級品であることに間違いはないが、人生の晴れ舞台に、その糸で作られたドレスをまといたいかというとまた別の話である。
 その前にまだ自分は、カーライルとの結婚を了承した覚えもないのだ。
 まだセレネが安定していない中で、そんなことを考える余裕もない。

(もし私が誰かと結婚する時が来るとしたら――きっとそれは私が魔王として、本当に私がこの世界を治められるようになったとき、決めるべきことだから)

 それは決して、デュアルソレイユが血の海になり、アルフェリアやエイルが必要な世界であってはならない。
 
(そう。だから、そのためにも――)

「ルゥくん、今日このお部屋から出て、外を出てみて回れないかな?」

 ヴィクトリアは調査を行うため、ルゥに尋ねてみることにした。

(ヴァージルさんがいないうちに、少しでも状況を把握しておきたい!)

「お外ですか?」

 ルゥはヴィクトリアの質問に、少し困った、という顔をした。

(あれ? あんまり反応が良くない)

「お城の中なら……」

 一度ヴィクトリアから視線を外したルゥは、ちらっとヴィクトリアの方を見上げて言った。

「元々そのつもりだったけど、逃げるつもりがなくても、私が城の外に出るとヴァージルさんは怒っちゃうかな?」

「いえ、そういうわけではなくて……。花嫁様。花嫁様はご存じないかもしれませんが、デュアルソレイユとセレネには、大きな差があるのです」

「うん。そうだね?」

 ヴィクトリアが頷くと、ルゥは『きっとわかってはいらっしゃらない』という表情をした。

「セレネには、いわゆる、魔法、と呼ばれるものが存在します。姿を変えたり空を飛べたり。魔界には、魔族と呼ばれる様々な種族が存在します。そしてこの魔界には、魔素というものが存在していて、それはもしかしたら、花嫁様のお体に影響が与える可能性があるそうなんです」

「――『影響』って?」

「花嫁様は……そもそも『魔族』がどのように生まれたかをご存知ですか?」

 ルゥは、真剣な眼差しでヴィクトリアに尋ねた。ヴィクトリアは人間らしく、首を傾げてみた。
 ルゥは長い沈黙の後、神妙な面持ちで語り始めた。

「――『魔族』とはそもそも、『魔素』に適合できた、新種の生命体なのです」

「『適合』?」

「はい、そうです。今この世界に残っている魔族は、このセレネに適合できた生物だと言い換えることもできるのです。僕やご主人様がこの世界に生まれるよりはるか昔、セレネは、今よりずっと魔素濃かったそうなのです。現在、魔素は『月の欠片』とも呼ばれていますが、『月の欠片』の力に耐えることのできた生き物こそ、セレネにおける『魔族』そのものなのです」

 その話について、ヴィクトリアは記憶が無かった。
 おそらく、五〇〇年前には存在していなかった考え方のはずだ。

「魔族の中では珍しい、他種族との関係が良好なとある長命種族が魔素について詳しく研究を行ったところ、隕石の欠片の構成と、とても良く似ていたそうなんです。そしてまた、『魔族』の家系魔法と呼ばれる力は、デュアルソレイユに現存する生き物の能力とよく似ていたことから、『魔族』は『魔素』の力を得て独自に進化した生き物である可能性があるのだと、御主人様はおっしゃっていました」

「独自に進化……」

「はい。蜘蛛の一族は糸を操る能力に長けており、金色狼の一族は、デュアルソレイユでの狼に似た姿に変化する能力を受け継いでいる。毛が金色なのは魔素の影響を強く受けている証であり、そのお陰で金色狼は、この世界で誰よりも速く走る力を手に入れたのではないかとのことでした」

「…………」

「つまり『魔族』とは、『魔素』に耐えることができ、新しい力を手に入れた一族とも言えるのです。 そして、今はセレネの魔素は大分薄くはなっているそうなのですが――それでも、デュアルソレイユの人間の中には、その薄い魔素にさえ、体に不調が出られる方が存在します。これはいわゆる、『魔素中毒』と呼ばれるもので、この城にはご主人様による結界で魔素の量は抑えられているのですが、花嫁様が結界の外に出られてしまった場合は、その、僕では命の保証が……」

 ルゥの声は、徐々に小さくなっていく。
 そんな彼に、ヴィクトリアは笑って頷いた。

「わかった。ルゥくんは、私の身体のことを心配して、城の外にはいってほしくない、ってことでいいかな?」
「はい! その通りです!」

 ぱっと、ルゥの表情が明るくなる。
 ヴィクトリアはそんな彼を見て、ほっと胸をなでおろした。

 魔族の住む世界、セレネは月を意味する。

 だとしたら、『月の欠片』に適合でき、その魔力を受け継いで独自に進化を遂げた魔族が住む世界の名前としては、相応しい名のようにヴィクトリアは思った。
 だがこれは、逆に考えれば、人間はそうではない、ということである。
 確かにエイルのように多少の魔素には耐性があるものもいるだろうが、少なくともアルフェリアはそうではなかった。
 
(……だからこそ、セレネとデュアルソレイユを結ぶ扉を、誰もが開けることができる状態にしておくことはできない。勝手に魔族が『向こう側』に行くことも)

 魔王の城リラ・ノアールならば、デュアルソレイユに魔素を持ち込まずに行き来ができるが、原因不明で発生する『扉』により二つの世界が繋がれた時、セレネの魔素はデュアルソレイユに流れ込む。

 もしそれが、長い間続いたとしたら――?

 その時、多くの人間が命を落とす可能性はある。
 五〇〇年前、魔族の侵攻によって亡くなった人々の中には、外傷のないものも存在していたという話もあるのだから。

(アルフェリアを守るためにも、絶対に、昔と同じことは起こさせない)

 ヴィクトリアは改めて、そう心に強く誓った。


◇◆◇


「綺麗だね」

 ルゥの付き添いのもと、ヴィクトリアは城の庭を訪れていた。ヴィクトリアの監禁部屋(?)から、すぐ近くの庭には、美しい花が咲いていた。

(よかった。イーズベリーじゃなくて……。食人花が咲いていたらどうしようかと思った)

 食人花イーズベリー。
 魔族にとって一般的なこの花は、その生態もあってか血なまぐさいイメージが強いのだ。庭に咲く美しい花を見て、ヴィクトリアは心が洗われるような思いがした。

「ご飯をお持ちしました」

 地面に布を敷いたルゥは、ヴィクトリアがその上に座ってから、ピクニックバスケットを置いた。
 
「ほら、ルゥくんも座って。一緒に食べようよ」

 ポンポンと、自分の隣を叩く。
 ルゥはヴィクトリアの提案に、一瞬固まったから慌てて一歩退いた。

「……そ、そんな、僕はっ!」
 
 顔を真っ赤にして首を横に振る。だがその瞬間、大きな音があたりに響いた。

 ぐうううう。

「随分大きなお腹の音だね?」
 
 あまりにも可愛いから、少し意地悪したくなってしまう。くすくすと笑いながらヴィクトリアが言えば、ルゥは顔を赤く染めたまま、わずかに視線を落とした。

「ほら、ルゥくんも食べて?」

 そんな彼に、ヴィクトリアはサンドイッチを差し出した。
 流石に受け取るだろうと、ヴィクトリアは考えていたわけのだが――。

「あむっ」

(あれ?)

 ルゥは、ヴィクトリアが手にしたサンドイッチにそのままかぶりついていた。
 ヴィクトリアは予想外の行動に、思わず目を丸くした。

「あの……花嫁様?」
「ああ、うん。大丈夫だよ。渡そうと思ってたんだけどルゥくんがそのまま食べたから、少し驚いちゃって」
「え? わあ! す……すいませんっ!」

 ルゥは勢いよく頭を下げた。

「いいよ。ほら、じゃあ。もう一回。はい、あーん」
「あ、あの、その……」
「ルゥくんはもうお腹いっぱいかな?」

 からかうようにヴィクトリアが言えば、ルゥはゆっくりと、もう一度パンにかぶりついた。

「お……おいしい、です」

 手で口元をおさえて、ルゥは目をうるうるさせていた。
 嬉しいけれど、恥ずかしくて泣きそう、という顔だ。

 ――正直、いじらしくてとても可愛い。

 ヴィクトリアが思わず顔をほころばせていた。
 ルゥはヴィクトリアの笑顔を見て、少しだけ低い声で尋ねた。

「花嫁様は、その、僕と一緒にご飯を食べるのは嫌ではないのですか?」

「……え?」

「僕は……御主人様以外から、あまり良く思われていなかったので」

 困ったように、どこか寂しそうにルゥは笑う。

「ルゥくんは可愛いって思うけど。私の子どもにほしいくらい」

 レイモンドと違って愛嬌がある。
 こんな子が養子だったら、きっと毎日可愛くてしょうがなかったに違いない――ヴィクトリアはたはだそう思っての発言だったが、ルゥはその言葉に食いついた。

「本当ですか!? なら僕、花嫁様の子どもになりたいですっ!」
「えっ?」

 おとなしそうな彼が珍しく前のめりになって言う。

「ルゥくん、私の子どもになりたいの……?」

 しかし、ヴィクトリアの戸惑いの混じった声に気付いて、ルゥは声の調子を落とした。

「僕は幼い頃、捨てられているのを御主人様に引き取っていただいたので、お母様を知らなくて。でも、きっと僕にも『お母様』がいたら、こんな感じだったのかなって思ったんです……」
「ルゥくん……」

 確かに『白色コウモリ』を産んだ母親が、自分の身可愛さに、ルゥを捨てた可能性はある。

「でも……僕みたいなのが息子なんて、御主人様はきっと嫌ですよね」

 ヴィクトリアは『御主人様』の『花嫁』だから。
 ヴィクトリアがルゥを養子に迎えれば、ルゥはヴァージルの子どもにもなる。
 ヴィクトリアはヴァージルとルゥが、二人並ぶ様子を想像してみた。親子だとしても、特に違和感は無いように思えた。

「そんなことはないと思うけど」
「……どうしてそう思われるのですか? 花嫁様は、御主人様と会ってまもないのに」

 ルゥの言葉に、ヴィクトリアは小さく笑った。

「うん。そうだね。勿論お父さんになってくれるかは私にも分からないけど……ただ、ヴァージルさんはルゥくんのこと、きっと大事にしてきたんだろうなっていうのは分かるよ」

「?」
「ヴァージルさんじゃなくて、ルゥくんを見たらわかるよってこと。大事に育てられたんだって、ルゥくんを見てたらわかるよ。ルゥくんは、ヴァージルさんのこと大好きなんだね」
「……はい」

 ヴィクトリアが微笑んで言えば、ルゥは顔を赤くして頷いた。
 そうして――。

「花嫁様。やっぱり、僕のお母様になってくださいませんか?」

 ルゥは再び、今度は目を輝かせて、ヴィクトリアの右手を小さな両方の手のひらで包んで『お願い』した。

「えっ?」
「それに花嫁様が僕のお母様になってくださったら、御主人様も、僕のお父様になってくださる気がするんです!」
「う、うん……????」

 今にも血の繋がらない息子ができそうである。
 というより、話が逆になっている気がするのは木のせいだろうか。

「ルゥくん、あのね? ルゥくんが一番家族になってほしいのが私じゃなくてヴァージルさんなら、まずはヴァージルさんに先にお願いしたほうが……」

 そうしないと、あとでルゥ自身がまた悩むかもしれない。

 ヴァージルが自分の父になってくれたのは、ヴィクトリアのためだったと――ヴィクトリアは、ルゥがいつかそう思い悩むのが嫌だった。

(それに今私がここにいるのは、潜入調査のためなわけだし)

 いずれこの地を去る予定の自分が、二人を引き離す約束をしてはならない。

「やっぱり、花嫁様も……僕のお母様になるのはお嫌ですか?」

「それは――……」

 ヴィクトリアが返事に詰まった時だった。
 ヴィクトリアの知らない男の声が、背後から聞こえてきた。


「どうしてこの城に、俺の知らない女がいるんだ?」